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第74章

74.

倉庫での6本腕の魔族との戦いでは、アルティフィナは左右二刀を自在に振るって見せた。正確には左手に携えていたのは、いつもの特殊警棒だったから、刀と言うには語弊があるかもしれないが。

だが、相手の魔族の6刀には足りないにしろ、その二刀で魔族をねじ伏せ、倒してしまった事には変わりない。そして、俺ではとても二刀を操ったところで、あの6本腕に勝てなかっただろう事も変わりない。

ならば、この一振りを極めるしかない。

もっと疾く。

もっと重く。

ただ一太刀で、すべてを切り裂く程に。

グレンは雨に煙る商館の中庭で、一人、剣を振るい続ける。

降り掛かる雨が熱気に弾かれ、背中から、湯気となってゆらゆらと立ち昇る。雨音を圧する剣風が幾度も巻き起こっては、雨脚に押し流され、尽きることのないリズムを刻み続けていた。


「まったく。やっぱり、其処に行き着くのよね・・・。そうだろうとは、思っていたのだけどね」

中庭に開かれた入り口の軒下でアルティフィナは、降り注ぐ雨も気にせず素振りを続けるグレンの、幅広い背中を見詰めていた。

いつの間にか、随分と逞しく育ったものだ。

ひょっとして、わたしを抱くだけじゃなく、守れる位に?

クスっ、と口元から笑みが零れた。

やっぱり、なのか。当然、なのか。

求めるは、一撃必殺の剣筋。

「・・・グレン?」

勿論、世に言う開祖などという者たちは自分で、その流派の基礎を築き上げたのだろう。だが、前世におけるそれらの剣術流派の祖とて、一人でとは言っても、周囲の者との切磋琢磨があっての事だ。つまり、時代とか、環境とか。総じて『世界』が、築き上げたものだ。

しかしながら、『魔法』という大きな、余りに大き過ぎる『力』を内包するこの世界では、剣術はけしてメジャーではない。

そして、真に一人では、道を極めるには人の命は短過ぎる・・・。


「な、なんだ、アルティフィナか? 如何したんだ? そんな所にいたら、風邪をひくぞ?」

急に背後から掛けられた聞き知った声に、グレンは悪戯を見つかった子供の様に、肩を竦め慌てて振り向いた。

しまった、ひょっとすると何か用があったのだろうか?

それを、放っておいたからなのか?

そう言えば素振りを始めてから、どれ位の時間が経ったのだろう?

雨雲に閉ざされた空では、時を知らせる気配に乏しい。

頭上を見上げるグレンの頬を、一瞬強まった雨脚が叩いた。

それに、どれ位の時間、アルティフィナに見られていたのかも分からない。分かったところで、気恥ずかしくなるだけだろうから、余り知りたくもないのだが。


「なんだとは、何よ?」

アルティフィナも、雨の中に踏み出す。

風邪をひくのは、わたしじゃなくて、雨に打たれ続けていた貴方でしょう?

馬鹿なんじゃないの?

馬鹿だけど。

知ってるケド。

頭が痛い。

保護者として。ついでに、恋人として。まぁ、どちらにしても似た様なものかも?


「い、いや、アルティが急に出てきたからつい、その・・・」

アルティフィナが、可愛い頬を膨らませているのを見て、グレンは慌てて言い訳を探す。

視線が周囲を彷徨うが、解決策はこの狭い中庭の何処にも転がってはいなさそうだ。

まずい。

今が何時か分からないだけに、今から朝までコースと言われた場合の覚悟に必要な度合いも分からない。

いや、分かったところで回避策はないだろう。


「・・・さっきからいたけど。そんな事より、良いかしら? 一度しか、やらないわ。わたしは、あなたがたった一度だけで其れを理解し、やがて自分の物にしてしまう事を知っているから」

そう、前のあなたも、そうだった。

そう、何年も何年もその剣を鍛錬し。

そして、僅か数日の間に何百という敵を殺し。

最期に、敵の剣に貫かれ、死んだ。

アルティフィナは、ゆっくりと突き出した右手をグレンの胸に当てて下がらせると、そのまま頭上に掲げた。降り注ぐ雨粒を掴むように掌を開くと、『何もない虚空から』一振りの剣を取り出してみせる。

まるで雨粒に紛れて低く垂れ込める雲から、降って来たかの様に。『悪龍の化身』と呼ばれた古の剣が、双眸を真紅に染めたアルティフィナの頭上で、天を突く様に掲げられていた。あの日と同じ恐怖、そしてその深紅の瞳に入り混じった、あの日と同じ強烈な欲望。見るものを嫌悪させずにはおかない、ねっとりとした空気が周囲を幾重にも覆い包み込んだ。

左脚が前出て、剣を握る右手が、スッ、と耳の横まで下り、左手が添えられる。

そして、一瞬の停滞、その後に。

腰を沈めたアルティフィナが大きく一歩を踏み込み、そのまま中空へ跳ぶ。弓なりの痩身から長剣が背中に着かんばかりに振りかぶられ、踏み切った両脚も踊る様に後ろに逸らされている。

斜め前方への跳躍は、グレンの想像を絶する程高く、そして速かった。

「キィエェー!!」

猿叫と呼ばれる奇怪な叫びが、更にグレンの度肝を抜く。

八相に近い蜻蛉と呼ばれる構えから斜めに降り下ろす斬撃が、降り注ぐ雨をまるで焦がすように割って仮想の敵を斜めに両断し、そのまま地を抉った。


「な、何て剣筋なんだ・・・」

気が付くと、何時の間にかアルティフィナはいなくなっていた。

それにしても。

アルティフィナらしい、防御の欠片もない、まさしく攻撃だけの剣筋。

自分は二刀を自在に操るくせに、俺にはあの剣筋を極めろと?

息苦しい程のねっとりとした空気は、何の変哲もない単なる雨粒へと戻り、雨の中庭には再びグレン一人が佇んでいる。

アルティフィナは、あの剣筋を俺の物にしろと、そう言った。

どんなに口は悪くとも、その音色だけは鈴が鳴る様だった声が、何か鳥を捻り殺した様な叫びに代わってもいた。

・・・とんでもない師匠だ。

あの叫びの所為で度肝を抜かれて、何が何だか、ちっとも分からない。

それを、一度で理解しろと言われてもな。

後でちゃんと、指導を請う必要がある。

まずは、何か美味しい料理でも作ってみるか。

雨粒が、グレンの顔を叩く。

いや、朝まで色々と頑張れば、うん、と言ってくれるだろう、きっと。

今夜は如何やら、長い夜になりそうだ。

まぁ、それはそれで楽しいが、俺は明日は死んでるだろうさ。

グレンは小さく溜息をつくと、ドアのある軒下の方へ踵を返した。


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