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第71章

71.

白波の連なる冬の荒れる海を渡ってきた風は、リングハートの街に冷たい雨を連れてきていた。護岸の石畳をてらてらと濡らし、粗末な薄い板張りの家々の壁に、ぱらぱらと打ち付けている。

少女を追って土地勘もない狭い路地裏に入り込んでしまった事を少しだけ頭の隅で悔いつつ、血飛沫を巻き上げる。シャーロットは、出来れば少女が風邪を引いたりする前に片を付けたいと、そんな事を考えていた・・・。

異国の地に於ける治安維持活動というのは、かなり気を使わざるえない物で、少なくともルトビア王家を守るべき近衛がこのリングハートの街で町民を無闇矢鱈と叩き切っても良い訳があろうはずはない。

なの、だが。

シャーロットが両手それぞれに持つ円形刃(正確には半円だったが)は、辛うじて相手の腕を切り落とさない程度に、あるいはその腹から内臓が漏れ出さない程度に浅く切り裂く事が、既に彼女の自制の限界ではあった。これ以上の躊躇いは自分と、更には自分が手を引く幼い少女の生命を危うくしかねない。


「お前たち、ただの町人ではないな?」

シャーロットにしては聊か長い文章での問い掛けに、答える者は勿論いない。(一般論としては全く長いとは言えないセンテンスではあったが、それはこの際は、あまり関係のない事だろう)

だがそれでも、切られてなお一言の悲鳴も漏らさぬ者たちが、普通の市井の無辜の民であろう筈はない。男たちが使うのはシャーロットの慣れ親しむ不必要に大振りな騎士たちの太刀筋とは違う、短剣による急所への刺突を中心とする、小振りで実践的な剣術。おそらくは、暗殺を生業とする者たちの流儀。

「答えずとも良いが、この娘は渡せぬぞ?」

元より、答えを期待しての問いではない。

間合いを保ち背後を庇いながら、じりじりと後ずさる。相手が闇に巣食う者たちであれば大通りまで戻れれば、こちらにも十分に分があるだろう。

一秒でも間を稼ぐ為の問い掛け、あるいはその緊張が齎す高揚、それが故の問い掛けだった。

そうでなければ、あるいは人通りのある場所までたどり着けなければ、数に押され絡め捕られる。


「キャッ!?」

緊張からか、あるいは追い詰められた者の恐怖からか、シャーロットの足元で少女が足を縺れさせた。しがみつかれて片足を封ぜられたまま、これを機と見て踏み込んできた男の、大型のナイフを握る右手を跳ね飛ばす。シャーロットが振るう半円形の刃がざっくりと肉に沈み込み、骨を断ち切る僅かな抵抗感が、ざらり、とした感触を残す。刃に沿って彫られた溝に沿って流れた鮮血が、刃先から零れ落ちた。

申し訳ないが少女がしがみつく左足が使えぬ以上、もはや手加減の余裕は無くなった。

ならば、ここから一歩も引かず、押し寄せる者たちを屠るだけだ。

近衛騎士団の副団長を拝命する身、アイリーン様にご迷惑の掛かる様な事態は避けたかったが、事ここに至っては是非も無い。躊躇いと分別を投げ捨てたシャーロットは、軸足を少女の小さな手に縫い止められたまま、次々と二枚の半月の刃を振るい鮮血を巻き上げた。


「ぐっ!?」

左腕で、飛来する矢を受ける。

男たちの全てが短剣しか持たないなどと、そんな都合の良い話はなかったらしい。これで自分の攻撃力は半減するが、足元の少女が串刺しになるよりは、まともだろう。鎧とは言わずとも手甲だけでも付けておくべきだったと、今更ながらに悔やまれる。まずは動くに邪魔な、左手に突き立つシャフトを切り落とす。幸か不幸か、即効性の毒矢などではなかったらしい。どちらにせよ、返しの付いた鏃は無理に引き抜く訳にもいかない。

そう、私にはまだ、左手が必要だ。

不便とか、そう言う話ではなく、左腕で切る事が出来ずとも、もう一撃二撃防ぐには役立ってくれるはずだ。

「・・・安くはないぞ? 貴様ら全員、我が命と引き換えに切り裂いてくれようぞ!」

振り被り、右手の円形刀を、弓を番える賊の首筋へと放つ。重量のある円形刀は、賊の握る弓と賊自身の首を跳ね飛ばした。 ・・・残念ながら、ブーメランの様に手元に戻って来てはくれなかったが(シャーロット自身はブーメランという概念を知らなかった)、使えなくなった左手の一刀を右手に持ち替える時間ぐらいは稼いでくれた。

取り囲む男たちの数は、まだまだ片手分よりも多い。

既に残る数以上を切り捨ててはきたが如何やら、この男たちが私の死という事らしかった。

最後まで近衛としての命を全う出来ずアイリーン様には申し訳ないが、ルトビアの騎士にとって自由と正義を守る事は、何事にも代えがたい事ではある。

つまり・・・、自分の命よりも、という事だ。


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