第67章
67.
男というのは実に単純な生き物で、自分の彼女が可愛ければ、ほぼ々々幸せと言っても良い。たとえば、本当は冒険者として生計を立てたい、強い俺が彼女を守るんだみたいな願望が全くもって叶っていなかったとしても。あるいは、目覚めた瞬間から夜の営みまで主導権を握られて、すっかりその可愛いお尻の下に敷かれ続ける日々を、日常として受け入れる事に、少しの不満さえも感じなくなっていたとしても。
ただ、時折、不安に思う時もある。
たとえば、その彼女が今日に限って妙にしおらしく、組みひしがれる(つまり、正常位)事に何の不満も述べず、体力の限界に挑戦しようみたいな事もなく。行為そのものよりも、事後にこうして、ひしと自分にしがみ付いたまま幸せそうな表情を浮かべ微睡んでいたりすると、否応無しに胸を掻き毟られる様な不安に襲われる。
「眠っているのか? アルティ?」
うつ伏せで眠るアルティフィナの絹糸の様な髪が、撫ぜる掌にしっとりと吸い付く感触。合わされたその肌は流石に少し汗ばんでいるが、長い黒髪は解かさずとも、降り乱された事などなかったかの様にさらさらと流れている。
グレンは、いつか見た夢を思い出していた。
その夢の中、漆黒の甲冑を纏った少女に出会った。良く思い出せないのだが、アルティフィナに似ていた様な気もする。まだガキだった頃にアルティフィナに拾われてから、アルティフィナ以外の女を知らない訳だから、夢の中で出会う女も他に選択肢がないのだろう。まぁ、それはそれで良い。
問題は、その時の俺は、少なくとも今の俺よりも強かった。
夢の中の少女同様に俺自身も、色までは思い出せないが金属の甲冑を纏い、今日アルティフィナが何処からともなく取り出して見せた様な(あんな不気味な代物ではなく、もっと普通の物だが)長い強そうな剣を手に戦った。
勿論、戦うからには何か目的があったのだろう。
戦争だろうか?
だが、それも今は如何でも良い。
どうせ、夢の中の話だ。
今の俺は、あの夢の中の俺の様に、アルティフィナを守って戦う事が出来ない。あの時の俺は自分の背をアルティフィナに預け、幾百、幾千という襲いくる帝国の犬共を切り捨てた。敵と味方の屍の山を踏み越え、最後まで二人で戦い、戦い続け、そして・・・、死んだ。俺の死は、俺がアルティフィナを愛した事を、サキュバスを愛した不名誉をなじる父王に対する当て付けでもある。俺は、斃れた俺を胸にかき抱き、涙の溢れそうな瞳で俺を見詰めるアルティフィナに『来世では、ちゃんとお前の我が儘を聞くから』と、そんな口約束をして、その言い草に自分の一人で満足して、それで・・・。
「何よ、一人でニヤニヤしてないでよね?・・・ 不気味じゃない。あ、わたし、そう言えば、お腹が空いてるのよね。わたしに、お夜食を作ってくれるのと、あなたがお夜食になるのと、どっちが良いか選ばせてあげるわ。そう言えば、グレンは何か掌に傷があったみたいだから、料理作るよりは、食べられちゃう方が良いかしらね?」
不覚だった。
アルティフィナは何だかんだ言っても、復活が早い。
もうちょっと、悩んでないで『しおらしい彼女』を素直に愛でておくのだった。
時既に遅し、だが。
「いやいやいや、今から朝までコースは勘弁してくれ。掌はたいした事もないから、何か簡単な物でも作って持ってくるさ。・・・ ていうか、元気になったんなら、これ位の傷ならアルティの魔法で治せるだろう? 出し惜しみせずに治してくれたら、ちぃったぁ、美味い物が作れるだろうさ」
アルティフィナは俺の胸に肘をついて身体を起こし、可愛い頬を膨らませている。まったく、口を閉じていてくれれば可愛いのだが、と言って黙っていられると狂おしい程に不安にさせられる。手間が掛かるが、きっと『我儘を聞く』などと約束した何処かの野郎のせいだ。
・・・ あれは、誰だったのだろう?
グレンはアルティフィナのほっそりとした身体を持ち上げ改めてベッドに寝かすと、アルティフィナを残して床に足を下ろした。
言われてみれば、確かに腹が減った。
もうすぐ、夜が開ける。
朝までコースもまんざらではないが、朝で解放されるとは限らない。
「さぁ、ちゃっちゃっ、と頼むよ。飛び切り美味いのを、食わせてやるから」
グレンはベッドの脇に立ち、まだ少し不満そうなアルティフィナに、両の掌を差し出した。




