第66章
「ぐぉっ!?」
青黒い色をした手首が一つ、中空に舞った。
手放された刃毀れだらけの短剣が、くるくると舞って荷を入れた木箱の一つに突き立った。更に遅れて手首の付け根から噴き出した鮮血と言うには聊か赤黒い血潮が、周囲を赤黒く染め上げる。
肌は青くとも(実際は、人肌に近しい色合いの魔族も多い)、魔族の血は赤い。遺伝的にはきっと、魔物よりも人間に近しいのだろう。魔族を魔族たらしめている魔力それでさえ、人間であっても僅かながら保有はしている。
ジェラールホーンを染めた血潮は、ジェラールホーンが秘めた灼熱に炙られ一瞬で凝固し、黒い焦げ付きに変わり、最後には砂になって、さらさらと毀れ散った。
「まずは、一本目、ね・・・」
ベーレンゼイルの左の第一腕の手首を、跳ね飛ばした。
最初は懐に飛び込み、特殊警棒の一撃で仕留めようかとも思ったが、特殊警棒の必殺の間合いはゼロ距離。流石に簡単には、踏み込む事が出来なかった。
だが、何度かその剣戟を躱すうちに、ベーレンゼイルの六本の腕の動きには幾つかのパターンがある事が分かってきた。
考えてみると理由は簡単で、六本がバラバラに動いてしまっては、お互いの腕を傷つけてしまう。それ故に、その動きは、基本は二本単位に組みになっている。
ある時は、対角線上の二本、たとえば右上と左下。
あるいは、水平な位置にある二本。
時として、左半身の三本。
結局のところ六本腕に生まれついても脳の処理能力は、二本腕の人間とさして変わらない。おそらくは、長剣ではなく短剣を使うのも、不用意に剣先が絡まるのを防ぐ為なのだろう。
「これで、・・・二本目よ!」
右の第一腕の手首が、左にあったはずの相方を追って宙に舞った。
ベーレンゼイルの間合いは、その青黒い肢体を中心とする濃密な球だった。二本づつが絶え間なく降り注ぐ、その手数は尋常ではない。だが、その球は、けして大きくはない。ならば、少しづつ、削り取るだけだ。
見たところ、一番上にある左右第一腕が最も可動範囲が広く、攻撃にも多用されていた。削り取るなら、まずはそこからだろう。
「小娘っ! 貴様、何者なのだっ!? このワシを翻弄するとは、いったい何処でその剣技をっ!?」
アルティフィナは切先を下げ、更に赤黒い銑鉄の様に、まるで憎悪を燃え立たせているかの様な己が剣を見詰める。
本当は、ジェラールホーンを使いたくはなかった。
認めたくはないが一度使ってしまえば、この剣は麻薬と一緒。やはり、これほどにしっくりとくる剣はない。これ程、殺したくて殺したくて、如何しようもなくなる剣は、他にはない。
そして、わたし自身も・・・。
ベーレンゼイルの血走った視線を受けて、自分が手にするジェラールホーンの刃先を見詰めるアルティフィナの深紅の瞳は、更に艶めかしく輝きを増す。
ベーレンゼイルの残る二組四本の腕が、左右から包み込む様にアルティフィナのほっそりとした肢体を追った。だが、アルティフィナが伸びあがる様に身体を反らして、それを躱すと、ベーレンゼイルの四本の槍となって突き出された腕は、伸びきったところをジェラールホーンに刈り取られ、更に右の第二、第三腕の二本を同時に失う事となった。
「『魔王の右腕』である、あなたの死はッ! わたしから『群青の魔王』へのメッセージよ! 受け取りなさい!」
鈴が鳴る様な、それでいて悲痛に満ちた叫び声が、ベーレンゼイルの問いに応える。
痛撃を防ごうと、残る刃先の折られた長剣を翳す左の第二腕を二の腕ごと刈り、そのまま最後の第三腕を切り落とす。ジェラールホーンを持つ右手を返すと、アルティフィナはついに守りの無くなったベーレンゼイルの胸に左手の特殊警棒の切先を叩き込んだ。
伸びきった特殊警棒が一瞬にして縮まり、閃光がベーレンゼイルの胸板を貫いた。革鎧ごと、ベーレンゼイルの心臓を、水銀の詰まった弾丸がゼロ距離から破壊する。
「そ、そうか、貴様・・・、『魔王の妾』か。思い、出し、た・・・」
そう呟くベーレンゼイルの口からも鮮血が吹き出し、『魔王の右腕』と呼ばれた六本腕の怪異の魔族は、ついにアルティフィナの足元に倒れ伏した。
床には瞬く間に、血の水溜りが広がっていく。
終わった?
否、始めてしまった。
それは多分、わたしが望んだこと。
あるいは、あの男が描いたシナリオの、最初の一ページ。
アルティフィナは赤みを失った元の黒々とした瞳で、足元に広がる鮮血を見ていた。




