第54章
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ステラさん曰く、デヴラ商会の帳簿によれば『木箱入りの金剛砂一箱』と記載されている商品が、毎月アンネリーゼ嬢宛てに届いていたと言う。
金剛砂と言うのは粒状の鉱物素材で、魔法陣を描く際に、すり潰した金剛砂の水溶液で顔料を希釈するのに使用される。金剛砂の水溶液が凝固すると強力な触媒として作用し、起動した魔法陣上の魔力の循環を持続させる効果がある。元々は魔法学が発展している魔族の研究成果の一つだが、ある時点で人間にもその貴重な情報は流出し、模倣される様になった。
因みに普通の魔族には、情報統制とかセキュリティ保持という観念は皆無で、その辺りはいい加減の一言に尽きる。魔族のわたしが言うのだから間違いない。けして、わたしだけが、いい加減な訳ではないという事を附しておく。
「あ、これです。この隅の多分、緑色の5箱がアンネリーゼ先輩の部屋にあった箱だと思います。隣の山は中身は一緒ですけど、準備室に元からあった分だと思います」
ジェニフィー嬢が準備室の壁際に積み上げられた、木板で組まれた箱の山を指差した。木の箱は中身の重さに耐えられる様に、厚みのある木の板で出来てはいるが、おそらく金属の釘は使われていないはずだ。鉄や銅は純度が高いと、魔法関連の素材とは妙な反応を起こす事もある。中身の素材が本来の力を失う位ならまだまともで、下手をすると金属と反発しあって箱ごと爆発する事さえある。触媒系の魔法素材は、特に扱いが難しい。
元からあった分だと言う方は、鮮やかな黄緑色の箱で、色や塗りも揃っている。一方、アンネリーゼ嬢がデヴラ商会から入手した金剛砂の木箱は、大きさは同じだが少しくすんだ色合いで、五つの箱が無造作に部屋の隅に積み上げられていた。
「開けて見ても、良いでしょうか?」
ステラさんが、ジェニフィー嬢の横に進み出た。
流石ステラさん、魔法の素材だろうと大学の資産だろうと、まったく物怖じしない。その豊かな胸の為せる自信故か? ・・・って、関係ないですね。
箱の外見は変哲もない木箱だが、果たして中身は如何だろう? 一度はどの箱もジェニフィー嬢が自ら開けてみて、金剛砂が詰まっている事をその目で確認しているそうで、特に変わった事は無かったそうだ。
「ちょっと待って、ステラさん。ジェニフィーさん、何か箱の中身を移せる大きな箱か、床に敷く布地を借りられないかしら?」
アルティフィナがステラの手を取り留めると、ステラは顔を赤らめて後ろに下がった。
多分、魔力のないステラさんなら、箱の中身に触れても問題ない。だが、推測通りなら、これまでジェニフィー嬢が箱の中身を見るだけで手を触れ無かったのは、不幸中の幸いと言える。
ジェニフィー嬢から受け取った大きなシーツみたいな白い布地を、準備室の床に広げ、わたしとシャーロット嬢以外は布の外に下がって貰う。アイリーン嬢が、不満そうに可愛い頬を膨らませている気がしないでもないが、面倒くさいので今は無視。シャーロット嬢に手伝って貰いながら、一番上の箱を布地の真ん中に降ろして、蓋を開ける。
地味に重い。何故かグレンを連れてこない時に限って、このか弱い肢体に肉体労働を強いる事になる。グレンのせいだ、多分。
箱に詰まっているのは、ジェニフィー嬢の言った通り、金剛砂だった。
「ゆっくり、箱を傾けるからね?」
シャーロット嬢と箱の中身を、布地の上にあけていく。
多分、この役目が適しているのは、ステラさんとシャーロット嬢。一方が巨乳(これはもう、隠し切れていないので確定)、もう一方が貧乳(と推測)一見、二人の共通点は皆無だが、共通点として、ここにいる中では二人とも魔力を持たない。でも、わたしは外せないし、二人の中では(外見上では、さっぱり分からないが)シャーロット嬢の方がタフだ。近衛騎士の筋力と、万が一の時の敏速な行動に期待。故にわたしとシャーロット嬢が、作業者となる。
「砂の他には、何もなさそうですね?」
柄にも無く?慎重なわたしに、足元の砂の山を見詰め、少し拍子抜けした様にシャーロット嬢がそう呟いた。
そう、砂には何もない。ただの金剛砂。
でも、砂が零れるにつれて現れた箱の内側。
さらさらと流れ落ちる砂に洗われ、黒い木板一面に彫られた禍々しい紋章が姿を現す。
「こ、これは!? 発火紋!?」
木箱の仕掛けを目ざとく見つけたアイリーン嬢が、驚きの声を上げた。
内張の木板に彫られているのは、魔力に反応して発火する紋章。そしてその木板に塗られているのは、発火薬。
これだけの分量の発火薬だ、魔力のある者が箱の中の金剛砂を掻き回しでもすれば、意図せずして、たちまち全身を炎が包んだだろう。
だが。
予想はしていたけれど、既に箱の中には、何もない。
凶悪なトラップの仕掛けられた木箱が運んできた『何か』は、今は亡きアンネリーゼ嬢に抜き取られた後だった。




