第49章
49.
魔族に於ける魔法学の研究は、高度な分化と複雑な体系化がなされている。
聖典とも言われる古来の(多分人間には伝わっていない物ばかりだろう)魔法書の研究を行う『法学』、精霊や神々との関わりを論証する『神学』(魔族は神々を崇めるという感覚はなく、せいぜい自分たちと同列ぐらいに考えている)、身体強化と魔法薬を研究する『医学・薬学』(エルフたちが種族として守る魔法薬生成の手法と、分野的には一部類似しているだろう)、実践的な魔法の行使(起動言語の詠唱)手法を学ぶ『修辞学』、そして全ての研究の土台となっている『論理・幾何学』に別たれていた。
(敢えて言うなら、『論理・幾何学』に基づいて発展してきたので、ドワーフの扱う様な工房で実践的に行う、変性や鍛錬に関する研究が遅れているかもしれない。魔族は基本的には、自分で手を動かす事を嫌う傾向が強かった)
一方『紋章学』は『幾何学』の一分野であり、魔法陣に依る魔法回路の生成を研究する。
王立ルトビア魔法学大学校に於ける魔法学は、魔法学全般に秀でた魔族の研究体系に比べると、かなり偏りがあった。つまり、魔力に乏しい人間がその行使者であるという前提で、『紋章学』と呼ばれる魔法陣による魔力の増幅効果の発現方式を中心に特化されていると言っても良い。
「ジェニフィーさんの事は、アイリーン様から聞いています」
そう、ステラさんが話始めた。
ステラさんには、窓際に座るジェニフィー嬢の横、通路側に座って貰っている。見上げるのと、斜め正面とどちらが目の毒かという問題はあるが・・・、個人的な意見としては、見上げる方が更に凄い様な気がする。なので、今は少しクールダウン。ふぅ。
「デヴラ商会は、王立ルトビア魔法学大学校のアルネリーゼさん宛てに納める形で、幾つかの魔法学関連の研究素材を送っている事になっています。その中に『木箱入りの金剛砂一箱』というのが、あるのです。帳簿上は適切な売買金額だとは思うのですが、・・・何か変なんです」
声を潜めたステラさんが、顔を寄せ身を乗り出してきた。ついつい、こちらもつられて額を寄せる。
・・・良いですよ、もう一度Aからでも。
違うか。
「つまりですね、その荷物だけ、ルトビアの商館に在庫があるのにも関わらず、わざわざ南方から届くんです、しかも一箱だけ。まるで、アルネリーゼさんの為に、特別に仕入れているみたいに」
しん、とした店内に、グレンが珈琲カップの砂糖とミルクをかき回す音が、カラカラと響いた。
「ふん? 確かに怪しいな。ひょっとすると、何かお宝かもしれないぜ?」
お店のテーブル席は四人掛けで、わたしの横にはグレンが座っていた。ちょっと狭いが、お客様であるジェニフィー嬢や別の意味で大きいステラさんに狭い思いをさせる訳にはいかず、わたしが微妙な圧迫感を甘んじて受けるしか選択肢がない。
そういうのは夜だけにしてほしい、邪魔よ、邪魔。
それに何を言ったって、そんな砂糖とミルクたっぷりの甘ちゃんでは、ちっとも様になっていない。
「アルネリーゼさんの部屋を片付けた時、確かに金剛砂の入った箱が幾つか出てきて、私も一つ箱を開けてみたんですけど『なんでこんなに必要なのかしら?』って気にはなったんです。今は研究室の隅に、積み上げてあったと思いますけど」
ジェニフィー嬢が首を傾げた。
清純派を字で行くジェニフィー嬢は、白磁のカップを満たすアップルティーが良く似合う。ジェニフィー嬢ならば、珈琲でなくても許してあげよう。
金剛砂はすり潰して水に溶かし魔法陣を描く顔料に混ぜると、触媒として作用する。ある程度恒久的な効力を有する魔法陣を描くには必須の素材で、魔族でも文字に魔力を込める場合には普通に使う、そう言う意味では魔法学という狭い世界に於いてはごく一般的な素材だ。
・・・魔族でも使う、魔族でも手に入る。
南方からの輸入品?
「わたしたちに、その箱を見せて頂く事は出来ますでしょうか? もし良かったら、これからでも?」
アルティフィナが無意識のうちにその漆黒の瞳を見開き、正面からジェニフィーを見詰める。
ジェニフィーはアルティフィナの視線に吸い込まれる様な錯覚を覚え、知らず知らずのうちアルティフィナの白磁の様な顔に自分の唇を寄せた。唇が触れ合う直前、アルティフィナの細い人差し指が唇に触れ、辛うじて二人の唇の間を別った。
「良いですね?」
唇に微笑を浮かべるアルティフィナを見詰め、真っ赤になったジェニフィーが慌てて頷いた。
如何やら、まだ大学でのお仕事は、終わってはいないらしい。




