第47章
47.
9月も下旬を迎え、ルトビアの街は何時の間にか夏の暑さを忘れ、冷たい秋雨が煙る日が続いている。通りに面した、店の厚みのある淡い水色をした炭酸ガラスの外は、今日も雨だった。この世界では一日の長さが前世の世界とは異なり多分26時間もあるのに、それ以外はかなり似通った感じで、ひと月の長さも(正確に測った訳ではないが)一年の長さも余り変わらず、剰え前世同様に結構明確な四季があったりもする。四季があるのは緯度や気候帯にも依るのだろうが、勿論、四季があるのを不満に思う訳ではない。良いわよね四季、死ぬほど暑くなければ。(実はサキュバスの体は余り暑さ寒さが気にはならない、つまりは温度環境には鈍感だったりするので、気温以外の五感の入力こそが四季を楽しむ要素だったりもする。気温に関しては、過度なくらいが丁度良いのだ。ついでに言うと、けしてわたしが鈍感な訳ではない、と思う。サキュバスが、そういう体質なだけで。それ以外は、寧ろ敏感過ぎるくらい。いろいろと。わたしが夏でも長袖長スカートを愛用しているのには、ちゃんと意味があるのだ)
そんな事はさておいても、過ごし易い季節というのは、気分的に満たされるはずではある。悩ましいのは、暑さが和らぎ日中の通りの人出も戻ったというのに相変わらず、わたしの店には閑古鳥が鳴いている事が原因だろう。まるで戦場の様であった早朝の市場への出店も、朝市開催の終わりと共に取り止めとなり、店の売り上げは以前にも増して厳しい状況だと言わざるを得ない。
唯一、不幸中の幸いと言えるのは、いよいよ大学の授業が始まって、泣く々々アイリーン嬢とシャーロット嬢が(別にシャーロット嬢は泣いてはいないが)王立ルトビア魔法学大学校へと戻ったことだろう。(生徒であるのは、やはりアイリーン嬢だけだが)
まぁ、あのツインテールも、いなきゃいないで、少し寂しくはある。少しだけね。
という訳で、第四皇女私設秘書の肩書を得たステラさんが、執事姿も凛々しく(白いシャツの胸元だけは男装解除済み、流石ステラさん、良く分かっていらっしゃる)暇なドアマン(但し今は何故か、テーブルの向かいの席に座っている)をし、厨房の暇な調理係(別名、グレン。こちらも、わたしの隣に座っている)と窓際の客席を占領する暇なメイド(つまり、わたし)が、今日も暇な営業時間を持て余していた。
「暇よね・・・」
テーブルに片肘をついたアルティフィナが、ぼそりと呟いた。
抜ける様に白い頬を、漆黒の髪が縁取っている。
アルティフィナの眼の前の木のテーブルには、ガラスの小さな花瓶に金木犀っぽい切り花が生けられ、オレンジ色の可愛い花が心地よい香りを放っていた。
それにしても。
つんつん、と小さな花を指で突きながら、出掛けた欠伸をかみ殺す。
わたしは喫茶店のお仕事は好きなのだけど、最近、微妙に張り合いがない。
しかも、ステラさんもいるので、グレンで憂さ晴らしするというのも微妙に躊躇われる。なので、グレン相手のお預けの練習は自重し、結局この不満は夜に持ち越される事になる。一日のトータルではグレン的には余り待遇が改善されている訳ではあるまいが、昼と夜でやることが明確で健全な生活サイクルではあるだろう。多分、一般市民としては、あるべき姿と言える。
「第四皇女の婿調査ってのは、もう終わりなのか? だったら、ちょっとランス王国の迷宮にでも潜って、一稼ぎするっていうのはどうだ?」
俺、良いこと言った?って感じの、所謂ドヤ顔で見詰められても、何も思うところはない。
敢えて言うならば。
うん、中々良い提案だけどグレン、その対価は、あなたのお仕置きで良いかしらね? 何度言ったら、そういう『冒険者稼業』は禁止って、理解するのかしらね? やっぱり、その無駄にデカい体に、きっちりと教え込んであげる必要があるのよね?
そうやってわたしの嗜虐心を煽る事が何がうれしいのか、本当理解に苦しむわ・・・。
因み、アイリーン嬢の婿候補その3の方は、取り敢えず情報待ちだったりする。デヴラ男爵の時もそうだったが、情報が足りないのだ。
実際に動くには、もう少し時間が掛るだろう。
「あの魔物を何処で捕まえたのか、それが分からないんですよね・・・。アルティフィナさんの話では、デヴラ男爵は魔法が使えた訳でもなさそうですし。その時だけ不相応な実力を示したとは、とても思えないんです。何か、見落としているのかしら?」
金木犀の可愛いオレンジの花をつんつんしていた右手を、思わずテーブルの上から引き下ろすと膝の上で握り締める。
・・・うん。ぜひ見落として頂ける様、お願いします!
ごめんなさい、ステラさん。今はまだステラさんにも、この指輪をデヴラ男爵に渡した者の存在を明かすのは、早すぎる気がする。
ステラさんはアイリーン嬢の命で、デヴラ商会を掌握すべく様々な業務記録や帳簿を店に持ち込んで、調べていた。・・・それって、商会の建屋でやった方が効率的なんじゃ?とかは、言わないでおく。
だが、有能且つ、隠れ巨乳のステラさんの事(いや、隠してないし。て、いうかこの際、大きさは関係ないかも?)遠からず、わたしが余り知られたくない不都合な真実に行き着く気はする。
つまり。
気をそらさせる、必要がある。
たとえば、無駄に押し倒してみるとか。
それはダメだ。
いや、Aの次はBと決まっている。
これは、世界共通の真理だろう。
こういう事には、様式美というか手順が必要なのだ。
なので、不本意ではあるが、仕方ないわ。
やはりわたしが、その胸を・・・。
その時、カラン、と店の扉のベルが鳴った。
持て余した間暇が、わたしを妄想の無限ループに誘い掛けた瞬間、幸か不幸かベルの音がわたしを現実へと引き戻した。
えっ!?
お客様よ!?
お仕事しなきゃ!(当たり前だけど!)




