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第45章

45.

「皆、きいてくれ! この国はまだ、生まれたばかりの若い国だ! だが、この国には古より続く帝国にも、古きランス王国にもない素晴らしい物がある。自由と平等と、そして俺たち、この国を愛する者たちだ!」

ウイリアムが声を張り上げると、城の中庭に居並ぶ兵たちが耳を聾さんばかりの歓声をあげた。煌びやかな甲冑をつけた堂々たる騎士も、単なる革の胴当てだけを纏った若者も、足を踏み鳴らしてこれに和したが、再びウイリアムが片手を挙げると一瞬にして静寂が周囲を包み込む。

「明朝、この名もなき出城の横を、帝国の犬共が通り過ぎる。何の為か? ルトビアに住む者を殺し、奪い、街を葬り去る為だ! 俺たちの親を、子供たちを、恋人を殺す為にだ! お前たちは、それを許すと言うのか!?」

湧き上がる怒号が、狭い塀の内側を覆い尽くした。

兵たちが手にする得物が、怒りに任せ天へと突き上げらる。

ウイリアムは、櫓の木の欄干を握りしめて眼下の兵たちに身を乗り出す。ウイリアムが口を開くと、再び兵たちはウイリアムに喰い入る様な視線を集めた。

「明日、俺たちは死ぬだろう。敵は貴族に雇われた傭兵共、その数は一万は下るまい。それに比べ俺たちは此処にいる僅か一握り、僅か百人だけだ。だが、もし俺たちが一日、一日だけ此処を守れば、その間にルトビアを守る兵を集める事が出来る」

果たして一日で、兵が集められるものだろうか? 南方の街や帝国の中でも辺境領の一部では、日頃から得意の日和見を改めてルトビアに味方してくれるところもあろう。父王は自ら早馬を駆り、時には脅し時には懐柔して出来得る限りの兵と協力を引き出して回っている。それでも、けして一万に届く事はあるまい。

だとするならば俺の、あるいは俺を見つめるこの者たちの死は、無駄でしかないのだろうか?

兵の手にした中には大型の包丁や、穀物の為の鋤まであった。兵の何割かは民兵で、良き父であり良き夫であり、あるいは店の主人でもあるのだろう。その者たちの死は、無駄でしかないのだろうか?

「一日、此処を守れば、あるいはもう一日、奴らを足止め出来るかもしれん。今死なずして、何時死ぬと言うのか!? だが、俺たちが一日長く戦えば、その分、街を守る兵が増えるんだ! 分かるか!? 俺たちは、一日でも長く、生き残る! それが俺たちの役目だ!」

分かっているのだ、この場に集った誰もが、おそらくは自分の死が無駄死であろう事を。自分はそれでも、皆が心のうちに秘めた不安や絶望を隠し、笑って死にに行ける様に手助けしてやる事が仕事だ。

再び歓声と怒号の渦巻く中、如何にか櫓を降りると、多分熱狂の中にあってただ一人苦痛と、あまつさえ薄っすらと涙を浮かべた顔を誰にも見せぬ様に、ウイリアムは城の小さな楼閣へと登っていった。



「こんな所にいたのか?」

階下から続く鐘楼の梯子を登り切ると、遠くの山々を見詰める黒き鎧を纏った少女に話し掛ける。その細っそりとした腰の位置よりも長い黒髪が、夜風を受けてさらさらと揺れた。居たのかも何も、居ると知っているから会いに来た。我ながら、陳腐な物言いだと思う。まるで、初恋の相手を前にしたガキの様じゃないか、ウイリアムはそんな自嘲地味た気分を振り払い、木戸を跳ね上げた窓の前に立つ彼女の横に並ぶ。

まぁ、初恋の相手というのは嘘じゃない。

ウイリアムにとって、彼女はかつて彼の読み書き教養を教えた館の教育係であり、未だに超えられない恐るべき剣術の師であり、そして勿論初恋の相手であり、そして今は唯一無二の恋人でもあった。


「とても見事な、演説でした。おばば様がきいておられれば、泣いて喜んだ事でしょう」

心地よい、鈴が鳴る様な声だった。

ウイリアムの記憶の限り遠き幼き日々も、そして今も何も変わらない。

その纏った黒い金属の鎧よりも更に色濃い絹の様な髪、その髪と同じ漆黒の瞳が俺を正面から見据えている。対象的に頬の色は病的なまでに白く、白磁の人形と話しているかの様な、人離れした美しさを持つ少女だった。

おばばというのは俺の祖母の事で、早くして亡くなった母の代わりに俺を育ててくれた人だ。今はルトビアの要塞の最奥に、ひっそりと暮らしている。俺がルトビアにある自由と共に、どうしても守らねばならない一人だった。

残念な事にお互い鎧を纏っていては、彼女の柔肌に触れる事はかなわない。

だが、唇は別だ。

彼女の黒い鎧には元から面あてがなく、その美しい肌に傷が付かないか前々から俺は気が気ではなかったのだが、今日だけは兜を被ろうとしない頑なな彼女に感謝しつつ、彼女を抱きしめ唇を奪う。


「そうだな。帝国貴族の奴らは『貧しい事は罪だ』と俺にそう、ぬかしやがった。民が貧しいのは、貴族共が民から搾り取るからだ。ははは、これは父の受け売りなんだが。だがそれでも俺は、もっと自由な国を造りたい。いや、国を造り王となるのは、父に任せるがな。俺はそういう面倒なのは、嫌いなんだ」

珍しく、大人しく俺の腕の中に収まったままの彼女に、語りかける。

面倒事が嫌いなのは、嘘じゃない。

だが何よりこれで俺は、サキュバスを愛したなどという不名誉を、誰にも知られる事なく墓の中にまで持っていける。

後は、『来世』の俺の仕事だ。

あの日、おばばは俺に言った。

『もうすぐ、お前は死ぬだろう。だが、死を恐れる事はない。お前が持つのは「天命流転」の相。直ぐに、お前の愛しい者に、また会えるだろうさ』

なんでも、普通は何十年何百年先になるか分からない『来世』が、俺の場合は直ぐに始まるのだそうだ。ただ、心残りなのは、『来世』の俺は彼女の事を忘れ、また一から始めなければいけないのだそうだ。

『だいたい来世の俺が何処のどいつなのか、彼女だって分からないんじゃないか?』俺がそう喰って掛ると、おばばは皺くちゃの顔を更にくしゃくしゃにして俺の頭を撫ぜて笑った。

『そんなの、見れば分かるに決まっておろうが!』


「さぁ、思う存分に戦って、死になさい。貴方の背中は最期まで、わたしが守り抜きましょう。だから貴方は、前からの敵の剣に貫かれるのみ」

腕の中で黒髪の少女がそう、呟いた。

「今回は、貴方の我儘をききました。ですから、次はわたしの我儘をきいて貰います。良いですね?」

望むところだ。

それに次は、もし本当に次があるなら、それは『来世』の俺の役割だ。

その役目は、えらく大変そうだ、そんな事を想像してウイリアムはニヤリと笑った。

城の脇を流れる小川が、さらさらと音を立てている。

中空に掛る月明かりを浴びて、いつまでも鐘楼の二人の影が重なっていた。


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