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第38章

38.

ルトビアの街を取り囲む石積みの城壁の外側には、見渡す限りの平原と様々な彩をした斑な穀倉地帯が広がっている。

広大な面積を占める青々とした下草は魔物さえいなければ、豊かな放牧地となっていただろう。ちょっとやそっとの柵では魔物の侵入は防げないので、実質的に城壁の外での放牧は不可能と見做されている。

一方、魔物は基本的に肉食なので人の植えた穀物を荒らす事はないが、耕作する人間を襲う事は普通にあり得る。今の季節、秋の収穫期に向け、どの耕作地にも多くの人出が出ていた。

結果として、ここでは非人道的なバランスが成り立っている。つまり、農耕に従事する奴隷の供給量と、魔物に食われる奴隷の数は等しく、その危ういバランスの上にルトビアの街で消費される穀物の供給が成り立っていた。

ビレニアム運河は今日も穀倉地帯を豊かに満たし、遠くランス王国へと流れ去る。運河の周辺に闊歩する魔物の存在も、魔物に怯えながら土地を耕さなければならない奴隷たちの存在も、その流れは何も気に留める事もなく、ただただ豊かに流れていた。


「長閑ですね・・・」

うっとりとした声で、ステラさんが呟いた。街で借りた荷馬車の荷台で、ステラさんはかなりご満悦の様だ。

理由は簡単で、今日はアルティフィナを独占出来る。大学の授業が始まったアイリーン嬢とその護衛のシャーロット嬢は、流石に今日はこの場にはいない。アイリーン嬢を大学に戻らせるには多大な労力を要したが、いろいろと犠牲を払いつつもアルティフィナは目的を達する事に成功していた。

で、問題は残りの約一名。

ステラがしな垂れ掛かって来るので、少しアルティフィナは上半身を傾げて、荷台の側板で二人分の体重を支える必要があった。

運河沿いの道を、ゆっくりと東へと向かう。時折、収穫されたイモや豆の詰まった麻袋を満載した荷馬車とすれ違うが、荷馬車の前後は馬に跨った騎士たちが護衛している。馬にまで鎖帷子を纏わせた重装備の騎士たちで、手にするのは5メートル以上あるランスと呼ばれる長槍だった。

いざ、魔物と遭遇した場合は、複数の騎士たちが魔物に向かって、このランスを手に突撃する。上手くすれば魔物を矢衾で包み仕留め、荷馬車の荷は守られる。失敗すれば騎士たちは逃げ出し荷を運ぶ奴隷は食べられるが、魔物が暴れたりしなければ、荷馬車と荷は後で回収出来なくもない。運しだいだろう。


「この先に、古い出城の跡があるわ。そこで夕食をとって、デヴラ商会の荷船を待ちましょう。多分荷船が来るまでは、少し時間があると思うわ」

出城というのはルトビア建国の騒乱のさ中、臨時に建てられた要塞の跡で、その役目を終えて放棄されてから久しい。ルトビアの街を取り囲む穀倉地帯が終わりを告げ、運河沿いの街道を行き交う荷馬車はなく、荷船を待つには丁度良い場所だろう。この辺りを荷船が通過するのが夜中になると推測されるのも、望ましいタイミングだった。

朽ち果てた要塞も、入口で『魔物避けの香木』を焚いて『結界石』で補強してやれば、一晩安全に過ごすには十分だった。

天気も良いし荷船の積み荷の事がなければ、きっと素敵な一夜となるだろう。後で、嫉妬に狂った第四皇女を、如何宥めるかを考えたりしなければ。

まぁ、良いわ。

アイリーン嬢の事は、再会した時に考えましょう。

明日出来る事は、今日は考えない。

それが、わたしのモットー。


「・・・悪いんだが、夕食前に、一仕事必要みたいだぜ?」

前方を見詰めたまま、御者席のグレンが一見のんびりとした口調で、そう呟いた。努めてのんびりと、だが抑えきれない緊張が僅かな声の震えを造り出している。

アルティフィナは馬車の荷台で立ち上がって、御者席に座るグレンの肩に手を突いた。目を凝らすと、地平線まで続く運河と街道の、照り返しで空気が揺らぐその先に、灰褐色の塊が街道を塞いでいる。

この地が、豊かな自然で満たされていながら、けして人にとっては住み易い土地とはなり得ない理由。一度その石積みの壁から出れば、人が食物連鎖の頂点ではないと言う事を知らしめる存在、『魔物』が街道の行く手にあった。

知らず知らずのうちに、肩に置かれたアルティフィナの小さな手の爪先がグレンの肩に食い込んで、グレンは僅かに顔をしかめた。

迂闊な事をすれば、夕食前にこちらが食事にされてしまう。

人(人じゃないけど)と『魔物』は、喰うか食われるか。

わたしは食べないし、食べられるつもりもないけど。

如何やら、お仕事(待ったなし!)だわ!


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