第37章
37.
ルトビアの街を南北に貫くのが大通りであるならば、東西に貫くのがビレニアム運河だった。因みにビレニアムというのは、英雄王を助け建国に尽力したという、今は亡き大魔術師の名前なのだそうな。ルトビア建国の初期に、城壁の建築に併せて掘られた人口的な運河で、魔物に取り囲まれて籠城する事になっても生活用水を確保出来る様にする為の用水路がその元となっていた。その後、街の人口の増加に伴い何度か、より深く幅広く拡張が繰り返されている。最近では物質を積んだ荷船の往来も増え、今では街道沿いの陸路と競い、遠くランス王国を経て他の大陸へ結ぶ海路へと繋がっていた。
海運の、というよりも街を閉ざす川に打たれた『杭を引き上げる権利』は、何人かの貴族たちが握っている。貴族というのは色々な物に権利を主張し、一旦握った権益は代々自分の子孫に継がせたがる。海運で一儲けしようと目論む商人は、そんな権益を持つ貴族の誰かしらに取り入って、出来るだけ安くその権利を借り出す必要があった。
他の貴族が権利を貸す事で利益を得る中、デヴラ男爵だけが自らが商会を設立して金儲けに手を染めた。それは、他の貴族たちから見れば信じられない程に卑しい事ではあったのだが、内心では羨ましいという気持ちも混じっていたのかもしれなかった。
「おいっ! 帳簿係の奴の死体が、杭に引っ掛かってるのが見つかったぜ!」
カラン、カランと扉のベルが、けたたましく鳴って、慌てたグレンの巨体が店の中へ飛び込んできた。
見つかったのは何でも顔を潰された死体だったそうだが、もしやと思ったグレンが遺体を引き上げた衛士に袖の下を渡して頼み込み、顎の黒子を確認したのだそうだ。顔以外にも全身に切り傷や、火傷の跡があったらしい。
ふぅ、と思わずアルティフィナは溜息をつく。
あのウエンバンとかいう帳簿係には、悪い事をした。
素直に心の中で詫びる。
そうなる確率は高いだろうと、思っていながら送り出したからだった。
「まぁ。折角、アルティフィナさんに助けて貰ったのに。強盗にでも襲われたのかしら?」
一応は悩んでいるか考えているかの様な、アイリーン嬢ではある。
その仕草には、こちらまで悩まされそうだ。
そんなアイリーン嬢だが、朝からアイリーン嬢が店に押し掛けてくるのも、今日が最後。
明日からは大学の後期の授業が始まるらしく、不満の多いアイリーン嬢を如何にか宥めすかしたところだった。
という訳で、ピンクっぽいその金髪を結わえた二つのしっぽも、ピンクの縁の伊達眼鏡も暫し見納めと言う事だ。
めでたしめでたし! 良く頑張ったわ、アルティフィナ!
今年の夏は、長かった!
それはそれとして、アイリーン嬢の言う強盗説は確率的に、まずあり得ない。顔を潰すのは、犯人に潰すのに足る時間的な余裕があるから。流しの強盗だったら殺しはしても、顔を潰す時間を惜しんでも早々に逃げるだろう。
ていうか、強盗は火傷を負わせない。
火傷の跡は、ウエンバンに加えられた拷問の跡だ。『誰がウエンバンを、監禁先から助け出したのか』それを聞き出したがった奴がいる。ウエンバンは言いたくても、言えなかったはずだ。思い出せないのだから。だから拷問がエスカレートし、火傷を負わせた。
ひょっとすると、殺したのも拷問の結果だったのかもしれない。
因みに火を使うのは、犯行現場が屋内だった証拠。夜間に屋外で火を使って拷問していては、目立ってしまって仕方がない。そして、男爵の館に入っていったウエンバンを捉え拷問し殺せるのは、男爵の手の者だけだ。
「そうです姫殿下。夜の街は、とても危ないのです。昨日は私も同行していましたが、いくらアルティフィナさんに頼まれたからとはいえ、あの様な遅い時間に街に出るなど良いことではありません」
もう一人の、赤髪ポニーテールメイドがそんな事を諭す。
いや、いや、いや。
わたしは頼んでいませんから。
アイリーン嬢の夜の街への同行を危険としてダメ出ししてくれるのは、わたしも全面的に同意するけれど。シャーロットさんも真面目な顔して、そんな長文を駆使してまで原因をわたしに振るのは止めてほしい。いや、真面目なシャーロットさんの事だから、多分、本気でそう思っているのだろう。
・・・頭が痛いかも。
最初は、男爵の成功を良く思わない他の貴族が、男爵の商売上の右腕である帳簿係を誘拐して、困らせようとでもしているのかとも考えた。だがウエンバンの話を聞いて、密輸の証拠を掴んだ事が誘拐のきっかけと分かり、他の可能性が高くなった。密輸がバレて困るのは誰か? それは密輸をしている者、おそらくは男爵の手の者に他ならない。
「そうです、姫殿下。アイリーン様が心配されずとも、このステラが貴族としてアルティフィナさんのお供をさせて頂きます」
デカくない方の執事が、そんな事をのたまわった。
いや、いや、いや。
それも違うから。
て、言うか、若干黒いのが滲んでませんかステラさん?
そうでなくても適切な婚期を逃しつつあるのだから、少なくともわたしの前から去るまでは、その腹黒さは隠しておいて頂けると助かります。
「何としても、船が街に入る前に、積荷を調べるわよ!」
アルティフィナが立ち上がると、皆が頷いた。
・・・今、危ないのはダメって言ってませんでしたっけ?
まぁ、取り敢えず、お仕事よ。
ひょっとすると、船は珈琲豆で溢れているのかもしれないし!




