第36章
36.
この世界では前世に於ける写真に相当する技術がなく、人の姿を第三者に示すには人が手で描いた似顔絵に頼る事になる。その似顔絵が描ける者となると、名の売れた宮廷画家を除けば、実際問題としてかなり限られている。つまり、葬儀屋だった。この世界に於いても葬儀に際して故人を偲ぶ為の肖像画を飾る風習があるのだが、その際には葬儀屋若しくは葬儀屋が雇った画学生が描く鉛筆画が用いられる。
彼らは中々に優秀で、死体があればその顔を生き生きと多少の脚色も交え写し出し、魔物に食われて遺体が無ければ無いで、故人を知る者から特徴を聞き取って所謂モンタージュを造り出す。
ウエンバンの捜索では、ウエンバンの行きつけの飲み屋の店員に金を掴ませ、モンタージュ作りに協力を頼んだ。勿論、作成後に『似顔絵作りに協力した』という記憶の方は抜き取って、後顧の憂いは絶ってある。店員は家に帰ったら財布にお金が増えていて、理由が分からず驚くかもしれない。
「あなたがデヴラ商会の、ウエンバンさんですね?」
アルティフィナが問うと、話し掛けられたウエンバンは、何か気恥ずかしそうに顔を赤らめた。その様子にグレンがこれ見よがしに舌打ちしてウエンバンを震え上がらせるが、すかさずアルティフィナの蹴りがグレンの脛にのめり込んだ。グレンが大きな体を丸めて、悶絶する。
馬車の後席に座るウエンバンさんは、鉛筆画に比べると若干というか、かなり爽やかさに乏しい小柄な男だった。如何やら似顔絵書きの葬儀屋はいつも通りの故人扱いで、大分盛っていたらしいが顎のところに描かれていた黒子だけは、そのままんま、という印象だ。
隣には一応は自分を救いだしてくれた命の恩人であるデカいグレンが座っていて、助けてくれたという事実がなければ『僕を襲わないで!』と逃げ出したい心境だろう。
どちらにせよ居心地が悪いだろうが、もう暫し我慢して貰う事にしよう。
「は、はい。僕がウエンバンです。デヴラ商会の帳簿係をしていました。奴らに捕まって、監禁されるまでは。いったい何が如何なっているんですか? そ、それに、いったい君たちは何者なんだ?」
ウエンバンさんは緊張と『助かった』という安堵とが混ざり合って、まだ自分でも自分の感情を上手くコントロール出来ないのかもしれない。
だが、わたしにとっては、それは好都合だったりもする。
人の記憶は、混乱の中に置かれている時の方が触れやすいからだ。
「わたし達はこの国の貿易関係に関する不正行為に関して、内々に調査をしている者です。王家直々に、特命を受けております。こちらをご確認ください」
アルティフィナの説明に合わせて、顔とついでに、やたら目立つそのツインテールを頭巾をすっぽり被って隠したアイリーン嬢が(だったら今日ぐらいはやめとけよ、という話もある。言わないケド)、袖口から懐刀の柄に刻まれた王家の家紋を覗かせた。
うねる様な文様を目にしたウエンバンが、びくりと体を震わせる。
アイリーン嬢は第四皇女として守り刀を帯刀しているだけなのだが、特命を受けた家臣が王家の後ろ盾を証明する為に家紋のある品を預かっている場合もあったりする。
「わたし達は、とある不正に関する密告を受けデヴラ商会の倉庫を調査していて、『たまたま』ウエンバンさんが拉致されているのを見つけ、助け出した訳です。偶然とはいえ、大変幸運でした。ウエンバンさん、あなたが何故監禁されていたか、わたし達に説明して頂けますか?」
本当に知りたいのはアイリーン嬢の結婚相手としてデヴラ男爵の人となりなのだが、その前に如何しても確認しておきたい事がある。
申し訳ないがウエンバンさんには折角助け出したその命、掛け金として使わせて貰うつもりだった。
「じ、実は、今日から三日後にルトビアに届く船荷の中に、帳簿に載っていない密輸品が含まれている様なのです。このルトビアの街まで直接に、陸路を経ずに持ち込める最大規模の荷船なのに、積み荷の一覧はやたらと少ない。おかしいと思って調べていたら、奴らに『余計な事をするな』と脅されて・・・」
密輸という単語に、未だに脛を擦っているグレンと、頭巾に隠れたアイリーン嬢が僅かに身を震わせた。同じく頭巾を被ったシャーロット嬢の方は表情は見えないが、僅かな身じろぎもない。流石近衛騎士、ちょっとの事では、動じる事もないのだろう。
因みにステラさんは、今はグレンに代わって馬車を走らせてくれている。先ほどは、わたしの横の席に戻りたがるのを押し止めるのに、また要らぬ労力を要してしまった・・・。
「お願いです、僕をデヴラ男爵の屋敷に連れていって貰えませんか? この事を男爵にお伝えして、男爵に船の奴らを罰して頂かないと」
如何やら、デヴラ男爵に対する最初の試験は合格だ。部下の帳簿係からデヴラ男爵は、不正を無暗にお上に訴えるのではなく、デヴラ男爵に正して頂くという期待を懐かれるぐらいには信じられているらしい。アイリーン嬢のお相手としては、良い事と言える。
「分かりました。では、これから男爵の屋敷の前まで、お連れしましょう。ですが、ウエンバンさんは自力で監禁先から逃げ出したと、そう報告して頂けますか? それが、条件です」
アルティフィナの漆黒の瞳が、馬車の客室で向かいに座るウエンバンを見詰める。
ウエンバンは何か自分の目前に座る少女の、美しい黒髪と同じ闇の色をしたその瞳が、自分の魂までも吸い尽くそうとしている様な気がして、思わず座席の背もたれに張り付いた。とても甘美で、それでいて耐えられない程のとてつもない恐怖が、心のうちに湧きあがる事を止める事が出来なかった。
だがその時、実際に吸い出されていたのは魂などではなく、ウエンバンの『記憶』だった。見詰めるアルティフィナやグレンの『顔』も『声』も、全てが本人の知らぬ間に抜け落ちていく。たとえ拷問にかけられたとしても、もう、ウエンバンは何も思い出せはしないだろう・・・。
「わ、分かりました。皆さんの事は男爵には話さない様にします」
さぁ、これで餌は撒かれた。
まずは、これで良い。
それより。
ウエンバンさんを男爵の屋敷まで送り届けたら、早速今日の戦利品を見分しなくてはいけない。
それはもう、速やかに。
あの芳醇な香り。
焙煎にはきっと、細心の注意が必要だろう。
もちろん、豆の選別にも。
思い出すだけで頬が緩みそうになるのを必死に我慢しながら、アルティフィナは今暫くのひと時を、馬車の揺れに身を任せた。




