第31章
31.
グレンの鉄拳が、相手の脇腹に叩き込まれた。
血反吐を吐いて悶絶した男が背後の仲間ごと、路地の壁まで吹き飛ばされる。
グレンは器用な男で、わたしと違って大体どんな武器でも使いこなせるのだが、武器が手元に無ければないで、相手にとっては不幸な事に拳闘士としても実に優秀だ。冒険者志望と言うだけの事はある。
残念ながら、現職の喫茶店の調理師兼給仕からの転職は、禁止だけど。
前世の世界で言えばヘビー級の、・・・と言うのは言い過ぎだろうが、わたしはグレンを殴りはしても殴られた事がないので分からないが、少なくとも上に乗っかられると潰れる。息が出来ずに後で、げほげほっ、て感じ。力士は現役生活の間は不可能な、正常位に憧れるという話を聞いた事があるが(都市伝説か?)この世界に於いても『体重何キロ以上の者は、正常位を禁ずる』法律とかを作るべきかもしれない。
「粋がってた割には、お粗末だな? 俺が足腰の使い方ってぇのを、指導してやろうか?」
いやいやいや、そんな指導は望まれてないから。
いろんな意味で。
ていうか、毎回重いの嫌だから、今夜はわたしが指導してあげるから。
若干グレンの方には、内心では望む冒険者への転職を禁じられ、憂さ晴らしの感がしないでもない。精神的には溜まっているのだろう、肉体的には吸い尽くされているにしても。
そもそもグレンが絡まれた理由は明らかで、壁際で延びてるチンピラたちに一方的に非があるとは言い難いかもしれない。これだけ場末の裏通りを、これ程の美少女を連れて歩けば、それは『襲って下さい』と言っている様なものだろう。
因みに美少女とは、わたしの事。街のチンピラの男共の嫉妬心を刺激するにも、程があるというものだ。
ふぅ(自分の罪深さに、思わずついた溜息の音)
それはそれとして。
今のうちに狭い通りから数歩階段を降りた先、半地下になった小汚い酒場の扉をヒールで蹴り開けて中へと踏み込む。日中の今の時間はこの店は営業時間外のはずで、少なくとも訪れる客はいないはずだ。
そこが、重要。
「何だ、表が騒がしいと思ったら、アルティフィナの嬢ちゃんか。店の中で暴れるのは、もう勘弁してくれよ? こっちはなぁ、後で片付けが大変なんだからな?」
何よ!?
だから、ちゃんとまだまだ暑いのに、他の客がいない昼間っから来たんじゃない。同じ街の南の端っこ、遠くはないけどね。
それなのに人をまるで、疫病神みたいな目付きで見て!
薄暗い店のカウンターの奥から、この店『アルデバランの酒場』の主人が顔を出して、そうボヤいている。グレン並にガタイのゴツイ親父で、どうやら夜からが営業時間のこの店で、一人開店準備をしていたらしい。
そして、この手の店の主が情報屋の副業で知られていたりするのは、良くある事だったりもする。この手の店には情報が集まるからだ。
前回はこの店の営業時間帯に来たら、愚かにもこのわたしに言い寄って来た男たちがいて、目立たない様に穏便に済まそう、っていう日頃の自制心よりも『これはもう、叩きのめしても良いのかしら?』っていう、嗜虐心がちょっと上回っただけじゃない。店の丸テーブルが一つ二つ、ひょっとしたら三つ四つ位壊れただけで、全然大した事じゃないわ!
大体ねぇ、客に対する躾がなってないのよ、躾が!
つい、前回の大立ち回りを思い出して引き攣った顔に、如何にか微笑みを浮かべつつ、店の主人の鼻先にペンで肖像画の描かれたゴワゴワの紙を突き付ける。
「・・・勿体無いなぁ。嬢ちゃんは、なんでそう無駄遣いを・・・」
この世界では紙は貴重で、再生の効かないペン画を描くのは、この世界の感覚ではかなり勿体無い事ではある。羊皮紙ならペンで書いても表面を削れるし、紙なら鉛筆で書けば消せない事もない。ペンで紙に書くのは、非常識という訳だ。
だが、この紙に描かれた線はペンで書いた訳ではない。
「良いから、仕事をしなさいよ。この男を探して欲しいの。名前はウエンバン、街のデヴラ商会の帳簿係なんだけど、一週間前から行方不明らしいわ」
紙に描いたのは、この絵が複製だからだ。オリジナルの肖像画の上に紙を置いて、『魔力』で下の透けた肖像画の線をなぞって焼いた、お手製のコピーで、複数の街の情報屋に配る為の手段だった。
版木を起こすよりは簡単で、印刷技術が未発達なこの世界では、ひょっとしたら『三大発明』に匹敵する技術かも?
まぁ、魔力の乏しい人間では、『魔力で焼く』というのは実用には程遠いでしょうけれど。
「ウエンバンの姿が最後に目撃されたのは、デヴラ商会を出て通りを少し南に下った辺りにある自宅に向かった時が最後。その日は結局自宅に帰ってない事は確認済み。彼に関する情報を買うから、何かあったら教えてね?」
ここ二三日で何度目かの説明を繰り返し、わたしの退去にこれ見よがしに安堵する店の主人に見送られ、グレンの待つ通りへと戻る。
「どうだい、アルティ。これなら、俺も冒険者になっても一旗あげられそうじゃないか?」
店の前で延びたチンピラたちを、暇潰しにツンツン棒切れで突きながら、グレンが笑い掛ける。
晴れ々々とした、良い笑顔ではある。
ちょっとだけ、惚れてしまいそうだが、だから、それは『禁止』だって。
・・・それにしても、懲りない子だわ。
可哀想なグレン。
またも今夜は、わたしにセクハラされる未来しか、頭に思い描けない。
まぁ、お店に帰り着くまでは、泳がせておいてあげましょうかね。
わたしも知っているけれど、男の子には、夢が必要ですものね。




