第30章
30.
前世の世界では、新興の高所得の市民階級の台頭により駆逐されつつあった貴族制だが、魔法と魔物の存在もあり、産業革命迄はまだまだ程遠いであろうこの世界に於いては、当面は最もポピュラーな支配制度であり続けるだろう。
貴族制の根幹を成すのは、世襲制だ。特権を備えた名誉と称号を、直系の子孫が受け継ぐ事で他の社会階級からの分離、つまり特権の確立と維持を確固たる物と為している。
勿論、場合によっては一代限りの称号の付与や特権の保証もあるが、少なくとも帝国に於いては貴族とは『嫡男』による世襲が前提であり、名誉ある帝国に於ける最高議決機関である帝国議会の議席もまた、男子帝国臣民にのみ選任される資格があった。但し帝国の市民権及び選挙権は婦女子に対しても同等に保障されており、制限が設けられているのは議員の非選挙権のみ、とも言えた。
「それで、なんでステラさんまで、この店にいるんでしたっけ?」
店のテーブルの向かいに座る、アルティフィナの冷たい視線を受けてもステラは頬を赤らめるだけで、寧ろ喜んでいるのではないか、そんなアルティフィナの危惧は、多分当たっている。
おかしい。
突然の炎の様に燃え上がった熱情は、急だった分だけ直ぐに冷めるはずなのだ。そうでないと、一夜だけの夢境を造るのが本分のサキュバスとしては、色々と困るのだ。
と、いうか、困ってる。
ステラさんは帝国の市民権は維持出来たが、予想通り帝国議会の議席は見事に剥奪された。日頃は議事が進まないと批判を受ける議会だが、今回は、あっ、と言う間に動きがあった。帝国議会の書記官からの一方的な一通の議席剥奪通知のみで、全ては完了してしまったのだそうだ。
一応は独立国家の体を取る聖ルトビア王国に於いては、宗主国とも言える帝国に比べれば、もう少し法も世論も緩やかだった。ステラさんはオークランド伯の爵位を正式に受け継ぎ、伯爵夫人ではなく自身が爵位を持つステラ・ドゥ・オークランド女伯爵として認められる事となった。
勿論、第四皇女による爵位の授与権を持つ、王家への働き掛けがあっての事ではあろう。
だが。
問題はそこではない、と、思う。
「はい。帝国議会議員としての俸給は、なくなってしまいましたし、このルトビアでも元より領地を持たない有名無実の伯爵家。議会から過去の俸給の返還を求められなかっただけでも、良かったと胸を撫で下ろしていたところです。亡き父が危惧した通り、帝国議会議員の名誉と同時に、生活の糧を得る手段も失ってしまいました。それで、アイリーン様に相談しましたところ・・・」
よりによって、アイリーン嬢か!
そこが、まず間違ってるわ。
かと言って、わたしに相談されても困るけれど。
伯爵家とは言っても、女執事を装っていたステラさんの生活は至って質素で、日々の暮らしに多大な浪費を伴う他の貴族とは違う。何か仕事さへ見つかれば生活の立て直しと安定は、けして不可能ではないだろう。
「ステラさんを、私の私設秘書として雇ったの。秘書たる者、私のいる場所で傍に控える必要があるでしょう?」
テーブルの横でアイリーン嬢が薄い胸を張って、仁王立ちでドヤ顔を見せる。
まぁ、可愛いけどね。
ていうか、そもそも『私のいる場所』自体が間違っているのですけどね。
取り敢えず、中腰で伸び上がってアイリーン嬢のピンクっぽい金髪、ツインテール頭を撫でおく。
良いわよね、可愛いメガネっ子が頭を撫でられ、にヘラっ、てする様は。
だが、よりによって、アイリーン嬢の秘書とは。
現実を思い出しアルティフィナは再び、がっくりと席に腰を落とした。
「まぁ、メイド三人に執事(給仕)二人って、北の大きな店みたいだな?」
確かに。
一部、調理師兼任だけど。
相変わらず、グレンは呑気ではある。
その人数の賄いを作るのは、あなたの役だからね?
でも、なんでステラさんは相変わらず、執事の着る燕尾服なんでしょうね?
ステラさんは銀白色の髪も麗しく、最初に会った時と変わらず華奢な体を執事の燕尾服に包み、美少女執事を継続している。
如何見ても、男装の麗人。
これだけの美貌なら、結婚相手には不自由しないのではなかろうか?
ステラさんの寿引退までは、この店の執事兼ドアボーイで止む無しか・・・。
「もう少しすると後期の大学授業が始まり、妃殿下は大学に戻られます。朝市の対応も、私は妃殿下の警護があり難しくなるでしょう。ステラさんがいれば、アルティフィナさんが不在でも、何とかなるのではないでしょうか?」
真面目なシャーロット嬢が、最後の一押しでそんな事を言うと、わたし以外の聴衆が、さもありなん、と頷いた。皆(わたしを除く)説得されているし。相変わらずアイリーン嬢の我儘の為なら、シャーロット嬢は妙に雄弁だ。
それは確かに、そうだけど。
もうすぐ大学が始まる季節と言う事は、もうすぐ朝市での出店営業も終わりと言う事だ。
アルティフィナの『誘惑』は、愛欲でもってステラの閉ざされた過去を洗い流してしまった。ステラは父に命じられた名誉ある帝国議会の議席の維持も、万が一の時の自身の死に依る秘密の隠匿も放り出し、ただただ、生きる道を選んだ。
めでたし、めでたし。
そうなのだが。
あぁ、わたし、ひょっとして、また、何か背負い込んじゃったのかしら?




