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第27章

27.

雨が降っている。

朝晩が多少は過ごし易くなったとはいえ、まだまだ残暑が厳しいルトビアの地にあって、干乾びて埃だらけの夜の街を、まるで慈雨の様に優しく包み込んで洗い流している。

雨が覆い隠すのは日中の猛暑にダレた街の人々と、街をひた走る一台の馬車だった。

通りの轍跡に溜まった雨水を跳ね上げ、慌てて避ける酔っぱらいたちをずぶ濡れにするが、怒りに振り上げた酔っぱらいたちの拳は黒塗りの馬車の金の紋章を見た途端に萎えて下された。

厳然たる身分社会制度が色濃いこの世界で、たとえ泥水を被っても貴族様には楯突けない。元より今日は雨、被った泥も雨で流されるだろう・・・。『また、あの伯爵だぜ。いったい何処の店に行きやがんだ? まぁ、俺たちの飲める様な安酒とは、縁のない店だろうさ・・・』身分の違う見も知らぬ貴族を魚に、酔っぱらいたちの与太話が続く。

そして黒塗りの馬車は、雨に濡れながら元の邸宅の門の前に戻ってきた。

王城の通りを挟んだ、向かい側。古風な石造りの館を取り囲む、鋳鉄で出来た黒塗りのフェンスと、閉じられた正門。

だが黒塗りの門の前には、馬車の出発の時には、いなかったはずの人影があった。

雨に濡れるのも気にせずに待つ、黒い長袖ワンピースの少女の姿が。


「アルティフィナさん、如何してこんな時間に。何か急用でしょうか?」

閉ざされた門の前で雨に濡れて仁王立ちで待つアルティフィナに、馬車の位置の高い御者台から問うたのは、この屋敷の女執事ステラだった。

訝しげではあるが、堂々とした問いかけ。屋根のない御者席で黒い雨合羽に身を包む姿は、声を聴かなければ伯爵家の男の御者と見えただろう。

アルティフィナは腕組みを解いてその漆黒の瞳を伏せたまま、御者席の横まで歩み寄る。


「こんばんわ、ステラさん。伯爵は既に何処かの店に下して、今夜は帰っては来ないのでしょう? 伯爵に危害を加えるつもりは、ないの。でも、あなたには、ついて来て頂くわ」

御者台の手すりに手を伸ばすと、アルティフィナはそう言ってステラの横にふわりと飛び乗った。雨を吸った黒髪が、その漆黒の輝きを増して街の街灯に煌めく。

ステラの脇腹には、アルティフィナが何時の間にか取り出した短剣が当てられている。

「さぁ、急いで馬車を出して。わたしを振り落とそうなんて、考えない事ね? このまま、真っ直ぐ、南に下って・・・」

暫しの沈黙を雨音が押し流し、二人を乗せた黒塗りの馬車は、降り注ぐ雨の中に消えていった。


「いらっしゃいませ。お客様、外套をお預かり致します」

出迎えたシャーロット嬢が、ステラさんから濡れた雨合羽を受け取り、入口の壁に掛かるハンガーに掛ける為に立ち去った。

因みにお店では『お帰りなさいませ、お嬢様』というフレーズも試してみたが、一応止めておいた。

似合い過ぎる。

 

「夜なもんで、火を落しちまいましてね。お湯ぐらいなら簡単に沸かせるんで、珈琲か紅茶ぐらいなら出せますぜ?」

普段店では使わない下卑た言い方は実はグレンの地なのだが、何かグレンまでノリノリだ。

今夜、ちょっと試してみても良いかも?

『さぁ、大人しく自分で服を脱ぐか、それとも俺が破いてやろうか?』みたいな。普段なら即死刑だが、たまには良いかも。

だが、問題は下品にニヤついてみせるグレンに、ステラさんが無言でメニューを指し示したのは、紅茶だった事だ。

やはり人気ないわね、珈琲。

ここ、珈琲専門店なんだけどね。

暫し、紅茶を待つ間、わたしはステラさんの向かいの席に座って彼女を見つめる。僅かに怯えが混じってはいるが、何か達観した様な落着きがある。その拠り所は多分、『伯爵は既に何処かの店に下して・・・』という一文だ。


「お待たせしました、お客様。ご注文のダージリン・ティーでございます」

ピンク掛かった金髪をツインテールで纏め、ピンクの縁の伊達眼鏡できめたフリフリのゴシックメイドが、何処かその外見に似合わない凛とした声と共にカップを置いた。

その声に顔を伏せたまま無言を通していたステラさんが、慌てて顔を上げる。

顔を上げて、そのまま固まった。

そりゃ、そうよね。

第四皇女が自ら注文の紅茶を持ってきたからか、自分が不当に誘拐された先に王族がいたからか。

いや、多分。

そのツインテールとか、メガネっ子だったとか、そっちよね、気持ちは分かるわ・・・。

わたしは結構、好きなんだけどね。

取りあえず、お茶でも飲みながら、お話ししましょうか。


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