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第22章

22.

わたしの前世の記憶に依れば、有名人がお忍びで人目に付く市街を歩く時には、濃い色のサングラスを掛けるのが常識?だった。サングラスというのは逆に目立つもので『私は業界の人なのよ!』と、アピールしている気持ちも、幾分かは混じっていたのだろう。そんな気もする。こちらの世界では、サングラスに相応する物はない。

造ったら、売れるかも?

敢えて言うなら、甲冑の兜とか。街中でも、冒険者がフルフェースの兜を被ったまま、歩いている事もある。

それは、さておき。

アルネリーゼ嬢の赤い縁の眼鏡に続き、目前にピンクの縁の眼鏡を発見。ピンクっぽい金髪に、とても似合っている。

眼鏡の弦は強くしなやかな木を削って作られているらしいが、硝子のレンズは前世の世界と同一かというと、こちらは完全に別物と言っても良いだろう。こちらの世界の眼鏡は、素通しの硝子に対し、透過光の屈折率を魔力で変化させる加工がなされた高級品なのだそうな。厚みのないレンズは画期的と言っても良いが、アイリーン嬢の眼鏡には、実は厚みも魔法による加工もない。

何故なら、アルネリーゼ嬢同様に、アイリーン嬢の眼鏡も外見の特徴を隠す所謂、伊達眼鏡だからだ。

つまり、単なる素通しの硝子。ピンクの縁の、伊達眼鏡。

だけど、眼鏡ぐらいじゃ、国民に広く知られたその容姿は、誤魔化せてないし。

王族、恐るべし。

いや、それとも。

ひょっとしたら、アルネリーゼ嬢の一件を通じ、見抜かれたかもしれない。

わたしが、隠れ『メガネっ娘好き』だという事を・・・。


「だから、ダメです」

きっぱりと、お断りする。

たとえピンクの眼鏡で来られ様と、わたしの決意は揺るがない。

いや、ちょっとは揺らいではいるけれど、不退転の決意で臨むべし。

それはもう、取り付く島のない程に。なのに、話は長期戦の様相を呈し、相変わらず平行線をたどる。

・・・何故だろう?

昼下がりの午後。

ルトビアの街は、まだまだ灼熱の太陽に焼かれ、大通りの人通りは疎らだ。だから、今日もわたしのお店は開店休業の、はずだった、先ほどまでは。

もう少しでグレンを相手に、お預けの練習とか始めるところだった。

ふぅ、危なかった。

「こんな市井のお店で妃殿下を働かせるなんて、出来ません。大体、お店にいらした時に何かあったら、如何するつもりなんです? この店には、誰でも入ってこられるんですよ?」

アルティフィナの元から少し切れ上がった眦が、更に上がった。

大きな黒い瞳は細められ、精一杯の拒絶を表している。

横でグレンがオロオロ、ハラハラという感じで、腕を組んでテーブルの横に仁王立ちのわたしと、優雅に窓際の席に座るアイリーン嬢の顔を見比べている。

見てたって、何の解決にも、ならないわよ?

大体男なんだから、もっと、どっしりと構えていてほしい。先程は出してないんだから、体力の低下もないはずだし。

これはグレンは今夜、厳しくお仕置きだわ。


「妃殿下ではありません、アイリーンと呼んで頂く約束です。それに、わたしがこちらで働いている時は、こちらのシャーロットさんにも来て頂きます。彼女は城の近衛騎士団の副団長で、一騎当千の精鋭中の精鋭。たとえ何があろうと、遅れを取る様なことなどあり得ません。ですので、アルティフィナさんがご心配に及ぶ必要は、全くありません」

アイリーン嬢が、胸を張る。

可愛いが、大きさもカワイイという事は、良く知っている。

それは、さておき。

アイリーン嬢の後ろに控える、ではなく、窓際のテーブル席の向かいの席に少し窮屈そうに長い手足を折り曲げて座るのは、真っ赤な赤髪をポニーテールで留めた長身の少女で、アイリーン嬢の紹介の間も僅かに伏せた視線を一度として上げる事はなかった。テーブルの横に立つわたしの位置からは、結った赤毛の下に、ほっそりとした首筋が見えている。

『この細身の少女が副団長って、本当?』ってところは置いておくにしても。

勿論、アイリーン嬢のその提案は却下だ。


「・・・アイリーンさん。こんな南も南、街の南端で営む小さな喫茶店に、更に二人もメイドを雇う余裕はありません」

ルトビアの街は、北端に王城がある。アイリーン嬢の学ぶ王立ルトビア魔法学大学校は、その王城の地下。ついでに大学の寮と、先日の幽霊騒ぎあった地下迷宮も、王城の地下。

つまり、王族の一員であるアイリーン嬢の生活圏は、北側に限られている。実はルトビアの街は、南に行く程に治安も悪い。北に住む住人は、南に行く事を『南に下る』という。勿論、その逆は『北に上る』だ。

つまり、北側には豪華絢爛な調度品に埋め尽くされた、豪華なお店が幾つもある。それに比べ、街の南端で営業するわたしの店が、いかに高級嗜好品?である珈琲の専門店であっても、店では珈琲を頼む客など皆無だという現実がある。

・・・認めたくないけれど。

因みに目の前の、今日の二人のお客様も、残念ながら頼んだのは紅茶だった。

なんでかしらね?


「雇うって、お給料の事でしょうか? それでしたら、ご心配には及びません。シャーロットさんのお給金は騎士団が払っておりますし、私はお金には困っておりません」

・・・そりゃ、そうでしょうけどね。

ツン、と澄ました顔で反論するアイリーン嬢は見ていて可愛いが、それって働いている事になるのかしら?

もう、何を言っても負けそうだわ。

なので、黙秘権を発動。これは別に、魔法でもなんでもないけど。


「・・・」

今は沈黙を維持する。

だが。

あ、何か、まずいかも?

アイリーン嬢のピンクの縁の硝子の奥で、うるうると涙が溢れ出す。


「で、では、お客として、来ます。毎日。それはもう、朝から晩まで。シャーロットさん、大学の講義がこのお店で受けられる様、手配して頂戴」

ぐすん、ぐすん、と鼻を啜りつつ、アイリーン嬢の指示が、もはや庶民の常識の範疇から逸脱を始める。

大体、後ろに控えるというか、座ってるだけのポニーテールのシャーロット嬢も『そんなのダメです』とか、反論しなさいよ!

・・・ポニーテールって、良いわよね?

そうじゃ、なくて。

あぁ、結局こうなるのよね・・・。

やはり、王族に一市民(非公式)が勝てる訳がない・・・。


「ま、待って・・・。分かりした。では、アイリーンさんの大学の講義がない時だけ、お願いします。お給金は出す余裕がないのですが、来て頂いた時は、賄い位は出して差し上げられるかと。それで、宜しいですか?」

ぱぁっ、とアイリーン嬢の顔が輝いた。

はぁ。負けだわ。

この精神的な圧迫の憂さは、今夜グレンで晴らす以外には何も解決策が思いつかない。

まぁ、アイリーン嬢の花婿候補の内偵っていう、次のお仕事の雇い主だし。

仕方ないかしら。

・・・仕事しよ。


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