第21章
21.
アルネリーゼ嬢という魔力の供給源を失うと、アルネリーゼ嬢の造り出した二つの『門』は急速にその力を失って、消失した。
その瞳が深紅の輝きを失った様に、魔法陣を形作る深紅の文様が揺らぎ、二つの『門』を繋ぐ『道』もまた、その存在を維持し得ずに霧散する。
腕の中で事切れたアルネリーゼを、ゆっくりと迷宮の石畳に横たえると、アルティフィナはアルネリーゼの血塗られた口元を指で拭った。
何故、アルネリーゼ嬢がこの閉ざされた地下迷宮に降り、何年も掛けてこのルトビアの地に再び戦乱を招かんとしたのか、真相は闇の中に消え去った。
だが、多分もう一人だけ、何かしらを知っている者がいる。
「おじさま? おじさまが、・・・この迷宮の主なのね?」
周囲にスケルトンの骨の山を築き、地面に突き立てた剣の柄に体を預け、わたしを見詰める首なし騎士に問う。この場合、わたしも元々首のあった辺りではなく、左手に抱えられた頭の方を見るのが正しいのかしら?
て、言うか。
そんなに盛大に殺しちゃって良いのかしら、スケルトン。元から死んでるから良いのかも?
「うむ。わしはこの迷宮の主、ベルゼンクラークと申す。お美しいお嬢さんの名をお聞きしても、宜しいですかな?」
渋い。
渋すぎる。
これで、その品の良いイントネーションに、何処か狂気が滲んでたりしていなければ、惚れてしまいそうだ。
あ、やっぱり首を抱えてるのとか、いまいちかも。
「わたしは、アルティフィナといいます。二度も助けて頂き、ありがとうございました」
ベルゼンクラークおじさまに、深々と頭を下げる。
少なくともバサーク・モードが解けたらしいおじさまとは、ちゃんとコミュニケーションが成立するらしい。
出来れば最後まで、『首を寝違えた』とか言い出さないと良いのだけど。
あれっ?
ひょっとして、あれって、ネタだったのかしら?
わたしが『なんでやねん!』って、突っ込むところだったのに、スルーしたのがいけなかったのかも。
「うむ、礼には及ばぬ。その女子、アルネリーゼとか申したか? わしにこの国を獲れと、唆しおった。だが、わしは昔から戦は嫌いでな。わしが断ると、スケルトン共を勝手に連れ出しおった。だから、わしの命に従わぬスケルトン共々、成敗してやったわ」
ふーん、平和主義者のデュラハンとか、この世界じゃあ、流行らないわよね?
まぁ、男嫌い(一部例外を除く)のサキュバスも、如何かとは思うけど。
「おじさまが助けてくれなければ、危なかったですわ。ところで、おじさまは、何故アルネリーゼさんがおじさまに『この国を獲れ』などと言い出したのか、ご存知ですか?」
無限に近しい生を生きる魔族にとっては、数年の時間はそれ程長い訳ではない。だが、基本的に極度の享楽家である魔族は、自分が納得する理由がなければ、動かない。上級貴族であるアルネリーゼ嬢を動かしたのは、一体何なのかしら?
「さあな。・・・ああ、そういえば確か、『魔王が来る』とか申しておったな」
『魔王』、魔族たちの、王。
ぴくり、とアルティフィナのほおが、引き攣る。
アルネリーゼ嬢は、その先触か?
だとするなら、上級魔族が動いていた事も頷ける。
しかし聖ルトビア王国なんて、ど田舎に、何の用があるというのだろう?
まぁ、わたしには関係ないけどね。関係ないったら、関係ない、けどね。
・・・多分だけど。
「・・・そう、ですか。そのうち、またおじさまに会いに来ますね? では、今日はこれでお暇させて頂きます」
もう一度、ベルゼンクラークおじさまに、深々と頭を下げる。
『門』は既に閉じてしまったので、帰りは歩きが決定済みだ。
て、言うか、迷宮の入口まで辿りつけなかったら、もう一度おじさまの助けを呼ぶ事になるかも。
それって、なんか恥ずかしい気もするが、大丈夫よ、きっと!
振り返ると、横たわるアルネリーゼ嬢の横に、紅い眼鏡が落ちている。
「6年も待ったから、多少待つことは気にしないって言ってたけれど。もし、次に生まれてくるなら、好きなだけ本が読める、そんな世界が良いわよね?」
アルティフィナは床に落ちていた眼鏡を拾うと、アルネリーゼ嬢の躯の胸に置いた。
元の世界であれ、この世界であれ、その死後に何が待つのかは誰も知らない。
魔族であっても、それは同じ。
でも、わたしはこの世界以外にも何処か遠くに、この世界とは違う、別の理を持つ世界がある事を知っている。
今更帰りたいとは、思わない。
でも。
「もし、そんな世界に行けるなら。この眼鏡、忘れない様にね?」
アルティフィナは立ち上がると、アルネリーゼに背を向けた。
心の中で、別れを告げる。
自分の歩むべき道は、もう、その懐かしく、そして平和な世界には続いてはいない。
アルティフィナは見送るこの迷宮の主に手を振ると、もう二度と振り返る事無く、歩き出した。
通路の先、迷宮の先。
地上の、魔法と魔物と、ついでに小さな珈琲店のある世界へと。




