第2章
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魔族の魔族たる所以は、高い魔力を持ち魔法を使いこなせるが故だ。生まれながらにして魔法が使えない魔族はいないし、仮にその様な子が生まれれば、生を受けると同時に間引きされてしまうだろう。出生率のやたら低い魔族は、他の種族が持つ『魔族は残虐だ』という印象に反し、めったに授からない幼い命に対する慈しみは実は深い物があったりするのだが、魔力の多寡はそのまま、その子の魔族としての一生を決めるのだ。
そんな魔族の中にあってサキュバスというのは、数ある種族の中でもかなり下層の方だった。すぐ下はオークだとかゴブリンだとかで、もはや魔族ではなく魔物と呼ばれる者たち。人間からさえも、狩られる事もある。つまり、辛うじて大概の人間よりは強いが、出会う魔族は、ほぼ全て自分より強い、そういう立場。
それでも魔族の中で生きていくなら、唯一サキュバスが持つ誘惑の能力を駆使して上位の魔族を文字通り誑かすべきなのだが、・・・出来るという事と、実際にやりたいと思う事は異なるものなのだった。
そう。
わたしには、魔族として生きていくには重荷でしかない、一つの足枷があった。
それは多分、サキュバスのわたしが持つ、人間だった頃の記憶。
「アルティ、スパゲッティを持って行ってくれ。おい、アルティ、聞いてるのかアルティフィ、・・・ぐっ!?」
何かグレンが煩く付き纏ってきたので、取りあえず蹴りを入れておく。
煩い。
もう、ベッドからは出たのだから、仕事をしろ、仕事。
否、仕事をサボっていたのは、わたしか?
うずくまるグレンは無視して、何かグレンに相談があって来たのだという少女のテーブルに、出来立てのトマト・スパゲッティを運ぶ。(作ったのはグレンだが、この世界にはなかったパスタも含めて、教えたのはわたしだ。わたしもいい加減なので、スパイスは微妙に適当だったりするのだが『適当さこそが、想定外の変化を生み出すのよ』と教えてあったりする)
もちろん、営業用のスマイルはディフォルトで備えてはいるが、初心な少女の姿に、ちょっと地が出てしまっているのは自覚してはいる。わたしが黒地に、ところどころに白いフリルのあるメイド服っぽいこの店の制服姿なのに対し、訪ねて来た少女は真っ白なワンピース姿だった。少女の持つ肩まである金髪と清楚な雰囲気と、とても合っていて、夏らしくて、わたしとしても好みかもしれない。
「お待たせしました、トマト・スパゲッティになります。たくさん色んなスパイスが入っていますので、まずはそのままで味をお楽しみ下さい。直ぐにダージリンもお持ちしますので、先に召し上がっていて、くださいね」
本当なら、お茶を出すのは最初に食前が良いか食後が良いかを聞くべきだったのだが、わたしとグレンは『今日も、どうせ日中は誰もこないでしょ?』と高を括っていた。ついつい厨房の丸椅子にグレンを座らせ、その膝の上に座ったわたしをグレンがひたすら『待て』し続けるという高度なゲームを始めてしまい、ドアのチャイムの音で飛び起きたと言う訳で、こちらも気が動転していたのだ。
「あ、ありがとうございます、頂きますね」
そう言ってフォークとナイフを手にした少女だが、ちらちらと、わたしを見ているのが分かる。
さて。
グレンを焦らす為にわたしの、やたら少ないサキュバスとしての能力の一つ、『誘惑』を解放していたのだが、如何やらお客様の少女まで、影響が及んでしまっていたらしい。成り行きで付き合っているグレン以外では男を知らないわたしではあるが、前世の記憶の兼ね合いなのか、同性には手が速い。(とグレンには言われている)
この場合の同性とは現時点のわたしと、なのだが。つまり前世ではわたしは、今と違って男だったと思う。思う、と言うのは、今一つはっきりしないからだ。サキュバスなどという魔族最底辺の微妙な種族だった訳でもなく(因みに同族の男だと、インキュバスという)多分、人間の男だったと思う。
そんな出自なので、眼の前の初心な少女をこのまま押し倒しても良いが、まぁ、一応はグレンの客だ。我慢しておこう。
「・・・何やってるのよ? お客様がダージリンをお待ちよ?」
さて、仕事、仕事。
蹲るグレンを起こして、コンロの前に追い遣る。
この客の来やがらない閑古鳥の鳴く喫茶店が、曲がりなりにもやっていけるのは、副業あっての事だ。街の人々はグレンの事をスイーパーというか、頼りになる何でも屋とでも思っているらしく、時折妙な依頼を持ってくるのだ。
多分、少女の相談も、その類なのだろう。
「それ言ってて、少しは反省してないのか? 大体、アルティが・・・」
煩いので、取りあえず唇を塞いでおく。
前世の記憶のせいなのか、魔族だろうと人間だろうと男にはアレルギーがあるわたしだが(女の子なら、魔族も人間でも、どちらでもok)、何故かグレンだけは気にならない。
はぁ。
サキュバスなのに、それって如何なのと思うが、結果的にそうなのだから仕方がない。
「良いから仕事しなさいよね。次は、お茶よ、お茶。彼女が食べ終わったら、ダージリン・ティー持ってくから、一緒にグレンも来なさい」
さっさとグレンを放り出すと、厨房を出る。
さて、少女はどんな難題を持って来てくれたのだろう?
元いた世界での情報過多、刺激過多な環境に慣れていたのだろう、わたしには、この世界の一部では魔物との生死を掛けた戦いが続いているにも関わらず、人間の街は牧歌的で長閑な平和を享受し続けているこの世界で、唯一、グレンの所に持ち込まれる『困り事』だけが、日々の退屈を退ける機会だった。
「さぁ、仕事よ!」
両方の掌で、自分の頬を打つ。
そう。
願わくは日々の退屈を退ける、わたしの命を削る様な、そんな感触のする仕事であらん事を。




