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第17章

17.

「そう・・・。では迷宮の鍵を開けても、もう、戦は起こらないのね。わたしの負けだわ」

アイリーン嬢が悔しそうに、唇を噛みしめた。

アイリーン嬢がこれから如何、罪を償うのか償わないのか、それは分からない。だが、実に竹を割った様な、その清さ。それは謀略を成す者が自身も又、謀略に倒れる事を良しとする、そんな身の処し方を王族として育てられたアイリーン嬢は、生まれながらに理解しているのかもしれない。

でも。

今の問題は、そこじゃ、ない。


「そうね、今は、戦は起こらないわ。でも、起こそうとしていたのはアイリーンさん、あなただけじゃないわ。そうでしょう、アルネリーゼさん?」

アルティフィナの、鈴が鳴る様な声が響く。

ゆっくりと振り返ると、口許を引きつらせたアルネリーゼ嬢が、わたしを見詰めている。

優しげだったはずの目元は緩やかに狂気を溜め、水色のワンピースの裾が風もないのにバタバタとはためき始める。

それが示すのは、秘められた『魔力』の高まり。

そう、彼女はもう、わたしに見破られた事を理解している。

だから、もう隠す事を止め、閉じられていた己の『魔力』を解放し始めている。

「あなたこそ『魔族』なのでしょう? 迷宮の深層と元第一層の空間を繋ぐ魔法は、『魔族』でしか扱えないわ。人間の描いた設計図にだって、そんな事は書いているはずがない。だって、人間には知られていない知識なんだから」

人間が知らない種類の魔法。たとえ知り得ても人間では扱い得ない、膨大な『魔力』を要する魔法。

『魔族』のみが行使し得る、真の魔法。


「ふふっ、アルティフィナさん。そうだとして、私が何故、戦を望んでいると?」

赤い縁の眼鏡の透明なガラス越しに、アルネリーゼ嬢のブラウンだったはずの瞳が、今や深紅に染まっている。

でも、それは、わたしも同じ。

自分の顔は鏡がなければ見えないが、見なくても分かる。

アルネリーゼ嬢が睨むわたしの瞳も今は深紅に染め抜かれ、口許は狂気と狂喜に歪んでいるだろう。

アルネリーゼ嬢と、同じ様に。

そう、わたしたちの瞳は同じ色、わたしたちが、この身に宿すのは同じ種類の狂気。

わたしたちは、共に純粋な『魔族』なのだから。


「あなたは、何かを待っていた。でも、予定よりも早く、このアイリーンさんが扉を開けてしまった。だから、一旦は『早すぎる』戦いを防ごうとした。・・・でもね、邪魔な私を、もっと上手く殺すべきだったわね? スケルトンぐらいじゃあ、わたしは殺せないわよ?」

手の中の特殊警棒を振ると、1メートル程の長さに伸びる。ミスリル銀製の中空の筒を重ねた物で、前世の知識を元に鉱山都市リリチルカでも一番の腕前とされるドワーフの工房で造って貰った。ドワーフたちは自分たちのやる仕事にはやたら煩く、しかも偏屈で、『誘惑』の能力を駆使して工房を営む長老を籠絡したのは、今となっては良い思い出だ。不思議な事に振るには軽く、打撃は重い。『使用者の意思を読む』とされるミスリル銀の特性が、ドワーフの匠の技で存分に引き出された逸品だった。

因みに本来の使い方以外にも使えたりするが、それは秘密。


「やはり、あなたが最初にこの寮を訪れた時に、殺してしまうべきでした。アイリーンさんには、自分が悪だくみをしたという負い目があった。だから、私の多少無理のある話も、信じてくれた。それなのに、アルティフィナさん、あなたときたら、何で私の話を信じてくれないのかしら?」

わたしを招く様に体の左右に開かれたアルネリーゼ嬢の両の手が、それぞれに魔法陣を描く。

中空に描かれた文様は、指の軌跡に従い高価なルビーの様に、あるいは鮮血の様に紅い。

左右二つの魔法陣は、わたしから見て左側に浮かぶのが『現世』(術者の今いる場所)に造られた『門』の解放、右手に浮かぶ魔法陣は『異界』(つまり、足元に広がる地下迷宮の何処か)の『門』の解放だろう。

二つの魔法陣が合されば、そこに『門』と『門』を結ぶ『道』が出来る。


「その理由は、簡単よ。わたしは『自分の寝た相手』しか信じないのよ!」

左に踏み出した膝を折り、体全体を沈み込ませながら右足を引き寄せる。再び両の足が地に触れる時、重力に引かれ落ちるわたしの体重と、両の足のバネが大きく前傾したわたしの体を、相手の懐へと加速する。

さぁ、お仕事は、楽しまなきゃね!


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