第15章
15.
深夜の図書館というのは、中々に風情がある。
まず第一に、普通は夜間に大学を含む公共機関の営む図書館に、入る機会などありはしない。
そして、背の高い本箱に並べられた蔵書は、わたしの元いた世界でも徐々に電子媒体にとって替わられつつあり、まして検索する立場でしかない元のわたしは、紙の媒体に触れる機会など余り無かった。
最後に、おそらく、この世界に於ける体系化された知識の大半が、ここにある。
知識は(この世界では、余り認められていない考え方だが)紛れもない『力』だった。
「ここの王城は迷宮を覆い隠す様に建てられた、アルティフィナさんは、それはご存知ですね? 迷宮はこの世界に於いては、至るところに存在しています。新たな迷宮が発見されれば、倒した魔物から得られる希少価値の高い魔核や売価の高い部位を求めて、冒険者たちが殺到します。それで発生する魔物と冒険者の間でバランスが取られれば良し、そうでない場合は軍が介入して迷宮を攻略し、源泉たる魔泉を埋め、迷宮自体を葬り去ります。ですが、この国の元となった迷宮は、そのどちらでもなく、閉ざされています。アルティフィナさんは、如何してだか気になりませんか?」
ついに、わたしとアルネリーゼ嬢は図書館の再奥、カビ臭い古めかしい本が並んだ辺りで相対した。水色のワンピースは、ジェニフィーさんの見せてくれた絵と一緒。肩の辺りで切り揃えられていた筈の薄いブラウン掛かった金髪は、よくよく見れば少し長く伸びている。赤い縁の眼鏡の奥のブラウンの瞳が、硝子の向こうで優しげに、わたしを見詰めている。
だが、少しあの絵よりは、全体の線が細いかもしれない。
細くなった?
「私は子供の頃から本を読む事が好きで、この大学に入ったのは実は、この図書館が目当てだったのです。在学中に、この図書館にある本を全部読む事。『偉大な魔法使いになる』でもなく。『魔法の神秘を解き明かす』でもなく。それが、私がこの王立ルトビア魔法学大学校に入学した目的でした」
この大学に入るのに必要なのは、生まれついての魔力の量と才能。それはほぼ、遺伝的な決定事項。
そして、これは結果論だが、確かにこの大学の入学者、つまり魔力と魔法を扱う才能に恵まれた者は、変な奴が多い。
何となく、自己否定っぽいので認めたくはないが、わたしは魔族だから問題ない、としておこう。
「勿論、これだけの蔵書ですから、この計画には少し無理があります。それでも私は興味のある本と、単に『整理番号の若い順から読む』のと、絶えず2冊の本を並行して読んでいました。私にとって、それは夢の様な日々でした。幼い頃からの願望が実現しているのですから」
アルネリーゼ嬢が、顔を輝かせる。
ああ、何となく、それがデッド・フラグっぽいのが分かる。
分かってしまうので、ちょっと辛いが、先を促す。
「ある日、私は整理番号の振られていない、一連の蔵書がある事を発見しました。いえ、正確には番号は振られているのですが、目録に存在していないのです。最初は何かのミスかとも思いましたが、それらはこの王城の設計図だったのです。私は、たまたま読書の半分を『棚のはじから』読んでいて、それらの本に行き当たりました。この大学に入って6年目の夏、そう、先月の事です。・・・設計図には無数に書き込みがありましたが、それらは『紋章学』に基づく暗喩が多用されていて、普通に読んでも意味は分からないと思います。たとえば、『三角形』の図形は『炎』を表しますが、『紋章学』の世界でしか通じない謂わば暗号です。そして、私は『紋章学』を学んでいた。だから、私はこの迷宮が閉ざされた、本当の意味に行き着いたのです」
時間が、なかった。
わたしの背後で、閉ざされていた筈の、図書室の重い木のドアが開かれる音がする。こんな深夜に、そうでなくても幽霊話が持ち上がるこの大学で、この図書室を訪れるものは、そうはいない。大学と大学寮の直結する構造なら、正門が閉ざされた後でも、大学の図書館に来る事が出来る、わたしみたいに。
そう、寮に住む者ならば。
そしてそれは、わたしみたいな馬鹿か、それとも。
「それで、王族であるアイリーン嬢に、迷宮の中に閉じ込められた・・・」
それとも。
この幽霊騒動の真相を知る、真犯人。
しん、とした図書室に、アルティフィナの鈴が鳴る様な声が響いた。
わたしとアルネリーゼ嬢に歩み寄る足音は何処までも軽やかで、それでいて、すっくと伸ばされた背筋が為せる、自信に満ちた足取り。
わたしはそんな『少女』を、一人しか知らない。
「まさか、この寮に泊まり込もうっていう、その初日から真相に行き当たるとは、思いませんでしたわ。流石は『魔族』、アルティフィナさん、私はあなたを少し甘く見ていた様ですわ・・・」
凛とした声は、とてもその小柄な体躯から発せられたとは思えない、生まれつきの王族の気高さを纏った少女。
ゆっくりと、振り返る。
薄い、この地下の迷宮跡には、けして届かない、月光を束ねた様な白いネグリジェを着たピンクっぽい金髪の女の子が、そこにいた。
(因みにネグリジェの下の、下着の色は黒。何だ、わたしと一緒じゃない)
人形の様に美しく、そして、何処か人に在らざるものを具現化した様な香り。
つまり、・・・少女は、わたしと同じ。
やっと、分かった。(もっと早く気付けよ、アルティフィナ。と内心で自分に突っ込んでみる)
アイリーン嬢もまた、わたしと同じ『魔族』なのだ。




