火星天
燃える炎のように天にたなびく紅の髪。
豪奢な金縁の儀礼編みが施された真紅のロングコート。
まるで炎で出来た世界を纏うかのように紅の駆動式を身に宿すその顔には、やはり赤々と輝くアルジャーノンが走る。
ポケットに手を突っ込んだまま数百騎の炎の軍勢に囲まれたその姿は荘厳であり、また奇妙な美しさがあった。
「あれが火星天か……。成る程、万の軍勢を持つとはこの事か」
トリスタンが素直に感嘆する。
「万の軍勢、というのは別に誇張ではないの……よ。あの子の『ムスペルヘイム』の最大戦力は凡そ5個師団。完璧に統制が取れた死を恐れない炎の兵が5万騎……よ。それ故にあの子は個人でありながら1つの軍隊として数えられている……わ」
『ムスペルヘイム』。
魔眼で視た限りはハルメニア式魔導回路を用いたルーン系統の魔法だ。しかしわかるのは書式がルーン系統だということだけだ。正直、構造式は入り組み過ぎていて何がどうなっているのかさっぱり判別出来ない。書き込みの密度だけで言うならばクオ・ヴァディスの改変駆動式を遥かに上回るのだ。
駆動式の密度が高いということは、それに比例して循環に必要な要求魔力量も上がる。そんな代物を常時起動状態で維持するなど常軌を逸しているとしか思えない。
「後退するわ……よ。巻き込まれたらひとたまりもない……わ」
是非もない、とダブラスが再びクオ・ヴァディスを担ぎ上げ後退を開始する。ここへ来て漸くジェドとアリエルがこちらに合流した。
「何だあれは? あれも魔法か?」
返り血で真っ黒になった顔を平然と拭いながらジェドが言う。動じていなさすぎるのが逆に怖い。
「そのリアクション、もう俺がやったぞ。つーかよく無事だったな」
「あの程度で殺されてやるものか」
吐き捨てて、ジェドが野良の群れを見遣る。
「ともあれ近接戦闘ではあの巨体は殺し切れん。あの赤い奴のお手並み拝見と行こう」
ジェドの言葉に呼応するかのように炎の弩弓兵の射撃が再開される。どうやら野良の足元の代行者達が後退するのを待っていたようだ。後顧の憂の無くなった絨毯爆撃は先程の数倍の密度で野良達に降り注いだ。
「うわぁ、あれは凄いな」
いつの間にか右目のみを開いていたクオ・ヴァディスが嬉しそうに言った。
「あの制圧力は最早戦略級魔法だ。リーリエも含め今代の神天は随分豊作みたいで何よりだよ」
ダブラスに担がれたまま逆さまにウンウンと頷くクオ・ヴァディスだが、あれと同列で語られるには自分は少々役不足に思う。
『ヘイムダル』は自分の固有魔法ではないし、ミョルニルだって言ってしまえば汎用規格の魔法だ。リーリエ・フォン・マクマハウゼンが神天たる理由はただ一つ。イルガーとの契約だけだ。
「リーリエがまた何か良からぬ事に頭を悩ませているな。キミの事だから自分があれと一緒くたに語られるには役不足とか考えているんだろうけれども、私をここまで痛めつけられるんだから自信を持って良いよ。正直ちょっと死ぬ思いだったんだから間違い無い」
被害者本人はカラカラと笑っているが周囲はドン引きだ。
「旦那のそれはもう何かの病気だな」
「死に難いとは思っていたけれど、あんなもの喰らって笑っているなんて悪夢を見ているようだ……わ」
「いや早々に神経群が焼き切れてるから一切痛みは無いんだよ? まあおかげで治りも遅いわけなんだけどもさ」
「私が言うのも何ですけど、普通その時点で死んでいますよ……」
炎の矢の絨毯爆撃をBGMに軽口を叩いていると連続していた着弾音がふと、止む。
目をやると弩弓兵が後退、同時にウェッジが纏っている駆動式が一際大きな赤光を放ち始める。
恐ろしい速度で為された演算によりウェッジの眼前に新たに無数の炎が立ち上り、それら1つ1つが形を成していく。
数瞬の後には4個小隊程の炎の騎兵が騎乗槍を構え整列していた。
「何て演算速度……!」
「弓兵を維持したまま別の兵科を創れるのか。大したものだ」
「ダブラス見難い、もう少し右に……ああ違う違う逆だ逆」
「ワガママだな旦那」
「しかしこう……動けないとなると少し可愛げがありますね」
「姉上、何の気の迷いだそれは」
「あなた達、本当に自由……ね」
呆れるカルラを尻目に、炎の騎兵が騎乗槍を突き出し野良達へと突撃を開始した。
草原に炎の尾を引きながら走るその姿は勇猛極まりないが、いかんせん彼我の質量差が大き過ぎる。しかしそんな杞憂を物ともせず、騎兵達は一切速力を減ずる事なく野良の足元に突撃した。
爆音。
比喩ではなく、騎乗槍が野良の足に突き刺さると同時に騎兵が爆裂した。
1つ1つの爆発の規模は然程大きい訳ではないのだが間断なく繰り返される突撃と爆発に、遂に巨大な野良が膝を折る。
それを見るや更に新たな兵が誕生。炎で形成された鎖を振り回す工兵が野良に殺到し、手にしていた鎖を投げ付け野良を大地に縫い付けて行く。
対大型種戦闘におけるお手本のような制圧戦だ。あとは煮るなり焼くなり、好きに料理をすれば良い。
徒党を組んでいた代行者達が手も足も出なかった野良相手に、火星天は実質1人で瞬く間に制圧を完了したのだ。
「鮮やかなお手前だな。あれなら1000歳級の竜でもひとたまりもあるまい」
竜狩の二つ名を持つトリスタンすら感嘆するほどの手際と技術。火星天があの魔法1つで神天に任命されたという話も恐らく誇張ではないのだろう。それだけの力を、今目の前でまざまざと見せ付けられた。
「あれが5万か。正直、相手取りたくはないね」
クオ・ヴァディスをしてそう言わしめるだけの説得力が、確かにあった。
単純な物量戦と考えても、あの『ムスペルヘイム』は無類の強さを誇る。仮に5万の兵を1度に顕現出来るのであれば、それは1国を滅ぼし得るだけの兵力を1個人が持っているという事実に他ならない。しかも、魔眼で視るに『ムスペルヘイム』自体の魔力消費量は驚く程少ないのだ。先の爆撃や騎兵の爆発のように物理的な消費を除いて、奇跡のような高効率で魔力の循環が成立している。兵の維持自体では殆ど魔力を消費しないのだ。軍用規格の魔法でもここまで理に適った物は存在しない。
「数もそうだがあの緻密性はなんだ。ああいう兵士を引き連れて来たと言われた方がよっぽど説得力がある」
吐き捨てるように言うジェドに思わず同意してしまう。
予め設定しておく形式をとって軍隊に同じ動きをさせるのであればまだわからなくはないのだ。しかし『ムスペルヘイム』の兵士達は状況に応じて各個が能動的に行動している。勿論、制御されてそう動いているのだから受動的なのだがそうとしか見えないのだ。淀みなく撃ち、避け、走る兵士1体1体を各個同時に制御し続けるその所業はクオ・ヴァディスと比べたとしても、正気を疑う次元の演算速度だ。
野良の拘束を終えたウェッジがふとこちらを見やり、何かに気付いたのか弾けるように顔ごと目を逸らす。
一瞬垣間見えた人間らしい反応に安堵感を覚えるが、まるで嫌なものを見てしまったかのような反応だ。
一体、何を?
「あら……、気付かれちゃっ……た」
表情は見えないが、悪戯っぽさを感じる声音でカルラが言う。そして無造作にウェッジに向かってどこか楽しげに歩み寄って行った。
「久しぶり……ね。元気にしていたかしら、愚弟」
愚弟、というその言葉尻以上に棘を感じる声にウェッジの肩がびくりと跳ね上がった。
「何10年振りかしら……ね。連絡も寄越さずに諸国漫遊なんて随分な御身分じゃない……」
敵を前にしたクオ・ヴァディスの歩みのような威圧感を漂わせたカルラから、ウェッジは全力で後退った。先程迄の超然たる威厳は最早、無い。
それでも『ムスペルヘイム』を維持しているのは流石ではあるが。
「諸国漫遊じゃなくて……仕事なんだけど……」
思っていたより少年じみた声でウェッジが返すが、明らかに姉に怯えたその声は弱々しく語尾も震えていた。
逆巻く炎のようだった炎髪は重力に負け力無く落ち、豪奢な真紅のコートすら補助式が解除され煤けた布へと変貌している。
「お黙り、愚弟」
有無を言わさぬその一言に、遂に維持していた『ムスペルヘイム』さえもが瓦解。野良を縛り付けた鎖を除いて炎の軍隊はまるで陽炎のように大気へ還元されていった。
「聞いているわ……よ? 彼方此方の戦線に介入しているよう……ね。どうやら人道的には弱者の味方のようだけれど、神天の肩書を持ちながら戦争屋を続けているのはどうしてかしら……ね」
火星天の戦線介入には一定の条件がある。
1つ、彼我の戦力が圧倒的に、徹底的に不利であること。
1つ、蹂躙されつつある側であること。
1つ、それでも諦めていないこと。
そして、その上で助けを請わなかったこと。
これに人道的見地で火星天本人が是とした場合に限り、ウェッジは戦争に介入するということらしい。
正規軍上がりの、所謂極めて正義感が強い傭兵がよく掲げている主義ではある。個人的な事を言わせてもらうならば非常に強く賛同出来る主義だ。
戦争屋と言ってしまえば聞こえは悪いが、イメージとしてはピンチに颯爽と駆け付けるヒーロー像そのものだ。格好良い。
「協会が勝手に付けた肩書なんか知らないよ……。僕はただ……」
「まあそんな事はどうだって良いの……よ」
自ら作った流れを一刀両断するその一言にジェドとアリエル以外の全員が困惑する。姉と弟という同じ関係故感じ入るものがあるのだろうか。と言うか姉と弟という関係はこういうものなのだろうか……。
「連絡くらい寄越しなさいと言っている……の。母さんが胸を痛めるのはあの父親だけで十分でしょう……」
「……ごめん、なさい」
項垂れてしまったウェッジの頭を優しく、慈しむようにカルラが撫でる。
「これが終わったらゆっくり話をしましょう……ね」
感動的な姉弟の再開だと言うのに『これが飴と鞭か』などと不躾な事を考えてしまった。
「あれが飴と鞭か。なんと言うか、情緒不安定になるなあれは」
実際、精神的に極端な揺さ振りを掛けることにより正常な判断力を奪うという心理学における高等テクニックではあるのだ。通常、交渉事などに用いられるものであり肉親に使うものでは決して無いはずだが。
そのやりとりに何やら感心しているクオ・ヴァディスはいつの間にか自分の足で立ち上がっていた。
「クオさん、もう大丈夫ですの?」
「ああ、取り敢えず立って歩くだけの体裁は整えたよ。まだ内臓関連はちぐはぐだから激しい動きは出来ないけどもね」
ちぐはぐ、という言葉がどれ程のものなのか外見から見てとることは出来ないが、確かに未だに声は痰が絡んだように濁り呼吸にはぜいぜいと喘鳴音が混じっている。相変わらず薄く笑顔を称える表情とは裏腹に、立っていることも本来なら辛いはずだ。
「しかし休んでるわけにもいかないだろう。あの変わった野良は火星天くんがどうにかしてくれたが、魔力炉は絶賛稼働中だ」
「あ」
忘れていた。
仇敵を見付けた衝撃もあるが、クオ・ヴァディスにミョルニルを撃ってしまった事で完全に頭から離れていた。
「魔力炉を潰さないとまたあの野良が産まれないとも限らないからね。トリスタンに斬って貰っても良いんだが強制停止すると余剰魔力が暴走する可能性があるし、私がどうにかしよう」
「どうにか、出来るんですの?」
「んー。まあ、多分」
やけに歯切れが悪い。
「貴様、まさか……」
会話を聞いていたトリスタンが険しい顔でクオ・ヴァディスに詰め寄る。
「それしかないだろう。リュミナリティアで魔力炉の構成式を意味消失させたら蓄積した魔力が暴発して最悪、トゥアロ平原がクレーターに早変わりだ」
「だからと言って……!」
「人払いは頼むよ、トリスタン」
恐らく言葉を続けようにも手段がクオ・ヴァディスが言うそれしか無いのだろう。トリスタンは開けかけた口を堅く結び野良の方に向き直った。
「しくじるなよ」
そう背中で言うトリスタンの声には何故か僅かばかりの悲哀があったように思う。
「善処しよう」
それに応えるクオ・ヴァディスにはやはり、あの困ったような笑顔があった。
「さて、ダブラス。道中の用心棒を頼むよ。もしかしたらまだ奴さん残ってるかも知れないし」
「おうさ、人間相手なら任せてくれ」
そう言って教団のアジトに向かって歩き出す2人を思わず追いかける。
「リーリエは外で待ってた方が良い。魔法が使えねえんじゃ敵が居たら危険だぜ」
魔杖の無い自分が行ったところで何が出来る訳でもないのはわかっている。
でも。だが、しかし。
行かなければならない気がした。
「私も、行きます」
その言葉に、クオ・ヴァディスは何故か嬉しそうに笑った。
「こう言い出したら聞かないぞ、ダブラス。リーリエの分もしっかり用心棒してくれよ」
「あー、わかったわかった。あまり俺から離れるなよ」
頭を掻くダブラスを先頭に、最早荒れ果てた前哨基地に向かう。目的地は10km先だ。馬車が咒式車が無事である事を祈ろう。




