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エレンディア秋のパイ祭2

 エレンディア秋のパイ祭。

 7年前から始まった王都エレンディア秋の風物詩たる所謂収穫祭である。

 近年ではヴァン・サン・ミッシェルを代表とする大手製菓だけではなく個人店舗も出展しており王都全体をあげての祭として近隣からの集客も多い。


 食に関する祭である故、飲食店の集中した東街区は特に活気が溢れる日であり、各店この日の為に研究に研究を重ね最高のパイを出品するのだという。


 まあそれはそれとして。


 お題目は置いておくにして兎にも角にもヴァン・サン・ミッシェルが出品している『苺のパイ』は絶品であった。

 最大手がまさかの苺ベースのパイという庶民感溢れるメニューだったのには多少驚いたのだが、そこはさすがヴァン・サン・ミッシェルである。

 果汁感を損なわない程度に炊かれた苺が、逆に敢えて甘く調整されたカスタードクリームにこれでもかと乗ったパイはもう女心鷲掴みの味覚だった。

 美味しい。

 可愛い。

 最強。


「苺って生でしか食べたことなかったけど火が入ってても美味いんだな」


 そう言ったのはヴァン・サン・ミッシェルの店内で浮きに浮いていたダブラスだ。女性でごった返す店内に、周囲より頭3つ分は背の高いダブラスが居る絵面は言い様のない異様さを醸し出していた。


「あれは炊き方が上手いんだ。レモン汁と少量の塩で炊いた苺を基準より甘くしたカスタードに乗せる事により香りと果汁感をより強調しているんだよ」


 対するクオ・ヴァディスは逆にヴァン・サン・ミッシェルの店内に奇妙に馴染みきっていた。隣に居た見知らぬ、どうやら何度も店で顔を合わせているらしい馴染みの若い女性と急にお菓子談義を始めた時はもう異世界を覗いているかのような気分だった。


 有名製菓店で若い女性と和気藹々と話に花を咲かせる齢1800を超える刺青の魔法使い。


 言葉にしてみると悪い冗談にしか聞こえない。


「クオさんは本当にお菓子が好きですのね。前にスコーンをご馳走になった時から知ってはいましたけれど」

「お菓子と言うか美味しい食べ物が好きなんだよ。生きる為の栄養素を補給するだけならわざわざこんなに美味しく調理する必要は無いのだろう? でも人は美味しい食べ物を求める。こんなに人間味あふれるものは無いじゃないか」

「思っていたより好きのスケール感が大きくてビックリしました……」


 なんという壮大なテーマで食べ物を見ているのだこのテロ牧師は。


「私は突き詰めるなら食べなくても大丈夫だから、余計かな。単純な嗜好品として料理っていうのはとても優秀なんだよ」

「それは……随分と贅沢な話に聞こえますわね。と言うか、食べなくても大丈夫とは?」

「歳の行った竜みたいな殆ど魔力依存で生きてる生き物は経口摂取で栄養を摂る必要は無いからね。私はあくまで人族としての営みを忘れないために食事をしていたんだけど、拘ってみるとこれがなかなか奥が深くてね。やっぱり技術というものは足りないからこそ求められ、発展していくものなんだなと痛感したよ」


 確かにもしも人間が生きるにあたって食べるという行為が絶対に必要という訳では無かったら、料理という技術体系はここまで発展しなかっただろう。これは魔法にも言える事だ。

 魔力容量然り、演算能力然り。足りなかったからこそ魔導体系は発展してきた。


 しかし。

 足りる、と判断出来るのはどの領域からなのだろうか。

 魔力容量も演算能力も研究のための寿命すらも足りない尽くしの、ただの人たる自分にはまるで想像がつかない。全てが過剰に足りているように見えるクオ・ヴァディス当人は果たしてどう考えているのか。


「最近小耳に挟んだ東国のわらび餅ってやつを食べてみたくてね。今、涼宮青果店に原料を注文してるんだ。プルプルしたゼリーみたいな透明なお餅らしいんだよ、凄くないかい?」


 ……本当にどう考えているのか。


 呆れ気味にため息を吐いたところで、歩いているメインストリートから奥に伸びる路地から破砕音。明らかに自然に発生するような類の音ではない。何か重量物が木箱かなにかに衝突したような音だ。


「事故でしょうか? お祭となると裏路地の方は荷物で狭くなりますものね。呪式車でも突っ込んだので……」


 言葉を遮るように、女性の悲鳴が響いた。

 ストリートに祭の喧騒とは違ったざわめきが満たされる。


「これは只事じゃないな。ちょっと様子を見に行こうか」

「旦那、獣臭だ。血臭が混じってねえし、近くに屠殺場でもあるってんじゃなきゃ音の出所は多分こいつだぜ?」

「ん? ……ああ、本当だ。これはイノシシかな。 こんな街中に?」


 イノシシがどうのの前にどんな鼻をしているのだこの2人は。一応こっそりと臭いを探ってみるものの周囲に溢れるパイの甘い香りしか感知することが出来ない。


「大きさにもよりますけれど人混みに突っ込まれでもしたら大事ですわ。私達でどうにか……」


 言い切る前に、目の前の路地の入り口から再びの破砕音。同時に黒い体毛に桃色の横線が入った特徴的な巨体が飛び出してきた。

 体高は凡そ2m。

 石畳を踏み砕くその体重は恐らく500kgを下るまい。

 立派な成体のハナイノシシがそこに居た。


「冗談だろ⁈ なんで街中にハナイノシシが居るんだよ⁈」


 ダブラスが驚きながらも抜剣しようとするが、逃げ惑う聴衆が邪魔で思うように抜けない。


「くっ⁈」


 反射的にゼフィランサスを抜くがやはり市民を巻き込む恐れがあるため魔法は撃てない。


 こちらのその逡巡を見逃さずハナイノシシは地を這うような嘶きを1つ。道を挟んだ逆側の路地へと突っ込んで行った。

 幸い怪我人は無いようだが市街には祭で一般人が多く集まっている。

 凶暴と名高いハナイノシシをこのまま放置するのは危険過ぎる。


「追いましょう! もう1度大通りに出られる前に駆除しなければ大変な事になります!」

「駆除は待って下さい!」


 突如として掛かった静止の声に驚いてそちらを見やるが、視界に人影は無い。

 訝しんでいると、腰の高さくらいの位置に獣のような耳がピクピクしていることに気付いた。


 ロイトリだ。


「駆除は、待って下さい!」


 額に照準眼鏡を装備し肩に身長を越える、恐らく猟銃が入っているのであろう包みを担いだ金色の体毛のロイトリが必死な声色で言う。


「あのハナイノシシは祭の為の獲物なんです……。責任を持ってあたしが仕留めますからどうか、どうか……」

「訳あり、だね。幸い奴が進んだ先は倉庫街だ。少し時間的な猶予はある。話を聞いてみようか」


 ミアザリア・ロッテと名乗ったロイトリの女の子が言うには、どうやらパイ祭の為にハナイノシシを罠に掛け捕獲していたらしいのだが、捕獲用の式が動作不良を起こして逃げられた。ということらしい。

 素直に代行者に駆除を依頼しようとも思ったらしいのだが、パイ祭という千載一遇のチャンスを目の前にしてどうしても諦め切れずハナイノシシを追い掛けていたようだ。


「青緑亭……ああ、あのソーンのデニス・アロンソが経営している飲食店だね。何度か行った事があるけど魚介が絶品なんだ。最近ジビエを扱い始めたと聞いていたけれど、キミがシェフかな?」


 ロッテに店の名前を聞くやクオ・ヴァディスが流暢に語り始める。

 さすがこのグルメ牧師は個人店の事にまで異常に詳しい。


「そうです。でもデニスはパイ祭に出展する気は無くて……。だからあたしがハナイノシシのパイ包みで優勝して店を有名にして、デニスの魚介の腕ももっと色んな人に知って貰おうと思って……思ったのに……」


 話すロッテの言葉の最後は既に涙声だった。


「ふむ。じゃあハナイノシシは生け捕らないといけないね。あれは仕留めてからの肉質の劣化が異常に早い。即座に血抜きして温度を下げないとあっという間に臭みが出てしまうんだ。止むを得ず猟銃を持って来たんだろうが外傷を与えたらそこから雑菌が入って血中で繁殖してしまってやっぱり臭みが出る」

「生け捕る……と言っても市街地で罠の類は法令で使用を禁じられていますし、精神操作系の魔法は獣には効果が薄いですわ。何か手段がありますの?」

「手段と言うほどでもないが……、ハナイノシシのパイ包み。食べてみたくないかい?」


 それは確かに魅力的だ。

 捕獲が難しく、保存も利かないハナイノシシの本格的なジビエ料理など余程の富裕層しかお目にかかれない次元の料理だ。


「手伝っていただけるんですか?」


 こちらを見つめるロッテの顔は涙で濡れ、可哀想になるほど焦燥している。それだけこの祭にかける情熱は本物ということだろう。


「勿論。代行者に任せたら良いとこ丸焼けだろうからね。そのかわりに出来立てのパイ包みを食べさせて貰えたら嬉しいな」


 その言葉に、ロッテは花が咲いたような笑顔を浮かべて、また涙した。


「ありがとうございます! ありがとう、ございます……」


 吃逆のように後半は言葉にならなかったが、安心からか膝をつくロッテの肩を抱き、背中を摩る。


「大丈夫ですわ。見た目はちょっと胡散臭いですけどもやると言ったらやる人です。安心して下さいましね」

「どうだろう、胡散臭いは余計だと思うのだけれど」


 軽口を叩いている間にハナイノシシが消えて行った路地からまたしても破砕音が聞こえ出す。倉庫街に行き当たって進退極まり、踵を返して来たのだろう。


「どうする旦那。俺が受け止めるか?」

「不可能ではなかろうが出来るだけ膠着状態を作りたくないな。あまりストレスをかけてしまうと毛細血管が壊れて脂身に血が回ってしまうんだ」


 それはつまり、勝負は一瞬ということか。


 どんな策があるのか、クオ・ヴァディスは路地の真正面に立ちはだかり不敵に笑う。


「さて、上手くいくか……」


 次の瞬間、路地から凄まじい勢いでハナイノシシが飛び出して来た。

 先程とは違い、目の前に立ち塞がるクオ・ヴァディスを完全に敵と見做した頭を下げての攻撃体勢の突進だ。


 500kgを超える巨体が石畳を破りながら、駆ける。静止状態から一息に最高速に達するその突進は10mも無かったクオ・ヴァディスとの間合いを一瞬で詰めた。


 クオ・ヴァディスはいつも通りのほぼ棒立ちの体勢のまま、大きく息を吸い。


「伏せっ‼︎」


 とんでもない声量で裂帛の気合いを吐いた。


 上位者としての威圧を込めた一喝に獣の突進は急制動をかける。


 訳もなく。


 ドゴォだかズドンだかの重低音と共にクオ・ヴァディスは普通に宙に舞った。


 芸術的な放物線を描き頭から石畳に落下。しかし何の痛痒もなくやはり普通に立ち上がり頭をぽりぽりと掻くその姿は、本気で何故こうなったかがわからないかのようだ。


「むう。物の本ではこれで竜を止めていたんだが上手くいかないもんだな」


 失敗失敗と笑うクオ・ヴァディスをロッテが口をあんぐりと開けて呆然と見ている。こちらとしては最早慣れたものだが見慣れぬ者にはそれはそれは異様な光景だろう。

 そう思ったと同時にクオ・ヴァディスの異常性にすっかり毒されている事に気付き、軽く眩暈を覚えた。


 跳ね飛ばした筈の敵が無傷という事に気付いたハナイノシシが後脚をかき、再度突進を敢行する。


「あまりストレスを与えたくなかったんだがなぁ」


 クオ・ヴァディスは先程と変わらず、突進の直線上に真正面から向き合う。

 この挙句、どうやって止めるつもりなのか。


「伏〜」


 頭を下げたハナイノシシに対してゆっくりと右足を天高く掲げる。

 まるで格闘技にあるかかと落としの技のように。


「せっ‼︎」


 踏んだ。


 かかと落としですら無かった。


 突進して来たハナイノシシの頭を、普通に、上から、踏んだ。


 普通でなかったのは踏まれたハナイノシシの方で、頭部を石畳に叩きつけられた上に完全に勢いを殺されつんのめったように後脚が宙をかき、そして地に伏した。


 沈黙。


 そして次の瞬間にいつの間にか集まっていた野次馬から怒号のような歓声が巻き起こった。


「さて、余興は楽しめたかなお客人! この生捕りにしたハナイノシシは青緑亭で振舞われるぞ! 甘いパイは散々堪能しただろう? 締めは本格的なジビエと洒落込もうじゃないか!」


 ハナイノシシを踏み付けたままクオ・ヴァディスが叫ぶ。聴衆のより大きな歓声が通りを埋め尽くす。

 騒ぎは一転、すっかり祭の余興の一部へと状況がすり替わっていた。


「だいぶ力業だがこんなものかな。後はキミの腕次第だよ」


 声を掛けられたロッテはワナワナと震えていたが、グッと歯を食い縛り、直様料理人の顔へとその表情を変えた。


「ありがとう、ございます! せっかくいただいたチャンス、無駄にはしません!」

「おぉ、流石プロだ。よし、じゃあダブラス、そっち持ってくれないか。早く運んで血抜きをしないと間に合わない」

「旦那の無茶苦茶ぶりには慣れたと思ってたんだが俺もまだまだだったなぁ。どっこいしょ……」


 ぼやきながらダブラスとクオ・ヴァディスが2人だけでハナイノシシの巨体を持ち上げる。それだけでまた聴衆から歓声が巻き起こる。


「これは……繁盛間違い無しですわね」







 実際、ハナイノシシのパイ包みはそれはもう天にも昇るような美味さだった。

 ハナイノシシの肉の旨みを損なわぬよう、敢えて包丁で細かく砕かれた肉をパイで包み焼き上げられ、ベリーと赤ワインをベースとしたフルーツソースが添えられたそれはパイ祭では異色の本格的肉料理であり、口コミで噂が広がり集計の締切まで客足が絶える事はなかった。


 だが。


「せっかく協力していただいたのに、申し訳ありません!」


 客足の絶えた青緑亭の店内で、厨房から出て来たロッテはクオ・ヴァディスに土下座せんばかりに頭を下げた。


 結果として、青緑亭のハナイノシシのパイ包みはグランプリを逃した。

 取り掛かりが遅れてしまった事がやはり響いてしまったのだ。集客は店外に溢れるほど爆発的であったが祭の開始時から客足を伸ばしていた大手には終ぞ届かなかった。


「間違い無くキミの所為じゃないし、むしろあの時間から始めて銅賞というのは快挙じゃないか」


 グラスに入った赤ワインを飲みながら、クオ・ヴァディスが言う。


「俺は甘いパイよりこっちの方が好きだな。当然、俺はこれに投票したぜ?」


 余りのパイ包みを堪能しながらダブラスも言う。


「初参加で銅賞なんて前代未聞ですわ。ここ5年は大手が金銀銅独占していましたからね」

「リーリエの言う通り、ついに大手の独壇場だったトップ3に個人店が食い込んだって集計部はてんやわんやのようだよ? グランプリとしてではないのが不満かも知れないけど、間違いなく明日の朝刊には青緑亭の名が載ることになる」

「でも、やっぱり……」


 エプロンをぎゅっと握り締め俯くロッテの頭を、後ろから恰幅の良いソーンが撫でる。


「胸を張らねぇか。立派な事じゃねぇか」

「でも! あたしはグランプリを獲ってもっとこの店を知って欲しかったんだ! あたしのジビエだけじゃない、デニスの魚介だって凄いんだって色んな人に……!」


 涙声で更に俯くロッテに視線を合わせるようにデニスが膝を付き、ニカッと笑う。


「だからよ、来年は2人でやろうぜ。お前にばっかり背負わせちまって、その、悪かった。ハナイノシシのパイ包み、美味かったぜ」


 その一言が契機となってロッテの涙腺が崩壊した。

 しゃくり上げるロッテを抱き締めながら、デニスはバツが悪そうにこちらに向き直る。


「旦那方、今日はすまなかった。すっかり迷惑かけちまって」

「なに、構わないさ。おかげでこうして貸切で美味い食べ物と美味い酒を楽しめてる。それでも気が済まないと言うなら次はキミの魚介を堪能したいと思うんだが、頼めるかな?」


 クオ・ヴァディスとデニスが同時にニヤリと笑う。


「任せとけ、腕によりをかけるぜ。嬢ちゃんと大剣の旦那はどうする?」

「俺はグリルだな。デカいトラウトとかがあれば堪らんね」

「私はさっぱりとブレゼが食べたいです!」

「任せな。酒も奢りだ、ゆっくりやってってくんな。ロッテ、手伝え。良い機会だからお前にも魚介の扱い教えてやる」

「うん、わかった!」


 笑顔で厨房に入って行くロッテの背中を見送りながら、こちらも思わず笑顔が溢れる。

 師を想う弟子に、弟子を想う師。

 自分とクオ・ヴァディスもあの2人のようになれるだろうか。いや、もう師からは身に余る程想われている。今度はもっと自分が……。


 想いを新たに、祭の夜は更けて行った。

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