春香の想い
春香のおっとりとした性格は昔から少しも変わらず三人の場を和ませていた。
おかっぱの髪が似合った、少しおばさんくさくもあるファッションと振る舞いがどこか蓮を安心させるのだ。マイペースで天然の気のある彼女の雰囲気と、時々冷静に物事を判断するギャップに惑わされることもある。春香はいつも独特な雰囲気で、蓮や伸明の男子二人のペースに負けることなく交わっていた。
そんな春香の違う一面に蓮が気付いたのは小学五年生の時だ。いや、もしかしたら春香はその前から、とっくに胸の中では変わっていたのかもしれない。
伸明に対しての春香の挙動が明らかに変わったり、伸明の発言に過剰に反応するようになった。小学五年の夏、春香の家に遊びに来た時に伸明がテレビに出ている芸能人を見ながら放った言葉によって、春香はその日から隠れてダイエットをするようになった。中学一年の頃には、伸明が当時好きだったアニメキャラクターになぞらえるように、それまでかけていた眼鏡を外しコンタクトに変えた。
春香は伸明に一途な恋心を寄せている。蓮のまだ気付かなかった頃からずっと。無念にもあの恋愛に対していつも堅物な伸明に。
叶わぬものかもしれぬと知りながら彼に一途に想いを寄せる春香に、蓮はどこか惹かれていった。
蓮は伸明と二人になった時に度々、春香のことをどう思っているか聞く。しかしあの伸明は相変わらず恋愛事に見向きもしない。乙女心に想いを寄せる春香を陰から手助けするように蓮は脇を固めるが、伸明はいつまでたっても変わらない。
それでも、いつかは伸明の心も変わって春香の恋も結ばれると信じて待っていた蓮だった。しかし、変わったのは伸明ではなく蓮の心だった。
それまで蓮は、伸明を一途に想う春香のことが好きで惹かれたのだと思っていた。春香の恋が叶って伸明と結ばれれば自分も嬉しいと、蓮はそう信じていた。しかしそれは幻想だった。それは子供騙しの信仰であった。時を経て、蓮が成長するごとにその薬の効力は消え失せていき、段々と禁断症状のように自分自身を苛んでいった。
「高校生になって、突然この集まりが終わっちゃうんじゃないかって、少し不安だった」
蓮もそう思っていた。しかし微動だにせず蓮は春香の話を聞いていた。
「でも、卒業式の日、伸明が言ったでしょ。次会うのは、今日だなって」
「……そうだね。伸明が、ね」
「すごく安心したんだ。なのにその肝心の伸明が遅れて来るなんてね」
そうだ。肝心の伸明が、春香の誕生日には必要だ。
僕らは何も、高校生になるための心構えが出来ていないわけではないと蓮は思う。
僕らはそれぞれ高校でうまくいっている。高校で蓮には、伸明や春香の知らない、会ったこともない友達やクラスメイトもいる。とんでもない変態野郎の隆と、その共通の友人や、そして瀬川。伸明も、春香もきっとそう。僕らの、幼稚園の頃からずっと続いた集まりは、中学の卒業でそれきり、高校で忙しくなって頻繁に会うこともなくなってそれでよかった。
それでもどこかつっかかる気持ちが蓮にはあった。それはたぶん、春香の想いが中途半端に解決せぬまま三人の放課後が終わって置き去りにされることを恐れたから……。
しかし本当は知っている。春香はそんなに弱い人間ではないこと。その春香の想いへの心配は蓮の思い過ごしであること。そして、蓮が持つ本当の自分の「つっかかった気持ち」は、自分と春香の繋がりを保とうとする自分の私欲によるものだということを。
蓮の胸の中で、春香への心配にかこつけて私欲と下心が渦巻いている。高校生になり三人の集まりが終了することも、春香の想いが成就することさえも許すまいとする、蓮自身にとっても直視できないほどの醜い心が。今まで純粋に春香の恋を応援した気持ちは濁り、いつの間にか春香を飲み込もうとするものへと変わっていった。
インターホンが鳴り、春香は立ち上がる。
「伸明、来たみたい」
部屋を後にした春香が残した笑みが蓮の心に冷たい刃を向ける。
彼女の笑顔を見るたびに胸の痛みを覚えてもなお、一緒にいることを、蓮は望んだままでいる。




