始まりの約束
黄色く色付いた木々の間を、時折冷たい風が吹く谷間は、もうすっかり夏から秋へと変わっている。
毎年見慣れたバルコスの秋の風景だ。
もう少ししたら、平地でも早朝は霜で真っ白になるだろう。
そんな色付いた早朝の道を、レイリアは城へ向かって歩いて行く。
珍しくゆっくりと、感触を楽しむ様に。
「姫様!こんな日に朝っぱらから、何処へ行っていたんですか!?」
道の向こうから聞き慣れたアマリアの声が響き渡る。
相変わらず息を切らして、顔を真っ赤にしながらお説教体制に入った。
「こんな日だからよアマリア。お母様に挨拶をして来たの。それにしても‥ちょっと動いただけでそんな息を切らすなんて、やっぱりダイエットした方がいいんじゃない?」
「私はインドア派なんで、日差しに弱いだけですよ。まあ、ブランカ様の所なら、文句を言う訳にはいきませんね。さぁさ、早く戻って支度をして下さい!早くしないとお迎えが来てしまいますからね!」
「分かったわ。‥でも久しぶりだから、ちょっと緊張するわ」
「おや?随分と乙女の発言をする様になりましたね。やっぱり私の理論通り、恋をすると姫様でも乙女になりますねぇ。姫様、考えたんですが、私はそろそろ自分で書いてみるべきじゃないかと思うんですよ」
「書くって、何を?」
「決まってるじゃないですか、恋愛小説です。こんな近くにいいモデルがいるんですから」
「モデル?お兄様の事?」
「ドミニク様は経過観察中です。私が言ってるのは姫様の事ですよ」
「はいはい、早く支度しなくちゃいけないんでしょ?その話は後にして、急いだ方がいいと思うけど?」
「はっ!そうでした!ささっ、姫様急ぎますよ!」
アマリアはレイリアをけしかけながら、慌ててバルコス城へ戻って行った。
あれから4ヶ月。
裁判の後すぐバルコスへ、レイリア達は戻っていた。
マンソンの問題が片付いたとはいえ、2人の王太子を置いたオセアノでは、その後の体制の整備や、派閥の解体、その他にもやる事が山積みで、バルコスへ引き上げた方がいいと、ドミニクが判断したからだ。
但し、レイリアだけは4ヶ月後に戻る事になっている。
今度こそ本当に、王太子に嫁ぐ為に。
レイリア・バルコスは正式に、オセアノ王太子エドゥアルド・オセアノスの婚約者となったのだ。
そして今日でちょうど4ヶ月。
さっきからアマリアが急かせるのは、レイリアの迎えが来る為だった。
それも、エディ直々に。
嬉しい様な寂しい様な、なんとも複雑な気持ちで、レイリアは気持ちを鎮める為に母へ会いに行ったのだ。
バルコスに戻って早々聞かされたのは、母の存在だった。
薄く透けてはいるが確かに母で、記憶にある姿のまま、美しく優しく微笑んでいた。
そんな母とはこの4ヶ月、何度も会話を交わして、大公やドミニクには聞かせられない恋愛相談等も話して来た。
『貴女が今迄受けて来た愛情を、今度は大切な人達に与えなさい』
さっき母はそう言って、柔らかな笑顔で送り出してくれた。
「レイリア、待っていたのよ!早速準備に取り掛かりましょう」
城のエントランスで待っていたイザベラが、気合い充分でレイリアを引っ張っていく。
実はレイリアの教育の為に、イザベラも4ヶ月前から滞在していたのだ。
レイリアとエディに頼まれたので、イザベラは受ける他なかったのだが、少しばかりドミニクに協力したいという裏の意図もある。
それが上手くいっているかどうかは、アマリアの言う様に経過観察中だ。
出来れば大好きな兄には、幸せになって貰いたいと願う。
アマリアとイザベラによって、すっかり支度を整えたレイリアは、階下で待つ大公の前へ立ち、今度こそ本当に嫁ぐ前の挨拶を交わした。
「しかし不思議な物だな。あのやんちゃなレイリアが、あの猿みたいに駆け回っていたレイリアが、大国オセアノへ嫁ぐとは‥。私はなレイリア、このままじゃ嫁の貰い手が無いと思って、ルイスに引き取って貰おうかと思っていたのだよ」
「お父様、人を売れ残りの野菜みたいに言うのはやめて下さい。私だって不思議です。戻ったらお父様のお腹が引っ込んでいるんですから。それにルイスと結婚だけはさすがに無理です!多分お互いに」
「それはどうかと思うが、そういう所は変わってないな。まあ、私もブランカに嫌われたくないからな、かなり頑張って痩せてみたのだ。ロマンスグレーを目指してるからな」
「何だか知らないけど、格好良くなった事は認めます。陛下が言う様に、若い頃はまあまあだったんでしょうね。でもお父様、あまり無理をしないで、体を大切にして下さい」
「うっ‥!そんな珍しく優しい言葉を聞かされたら、目頭が‥」
「父上、三文芝居はやめて、エドゥアルド殿下を迎える準備をして下さい」
「バレたか。一度やってみたかったのだ、嫁ぐ娘との涙の別れというやつを。レイリアの場合は二度目だから、あまりグッと来る物が無かったぞ」
「僕は、レイリアが幸せになる事だけを願います。大切な妹ですからね」
「お兄様!私のお兄様は世界一のお兄様よ!だからどうか、お兄様も幸せになってね」
少しだけ瞳を潤ませながら、レイリアはドミニクに抱き着いた。
前回の時と違って、これからは中々戻って来る訳にはいかないだろう。
ドミニクはそっとレイリアの額に口付けて、優しく頭を撫でていた。
程なくして、滅多に鳴らないラッパの音が響き、エディの到着を報せる使いがやって来た。
全員でエントランスに向かうと、正装姿のエディが入って来た。
少し日に焼けて、何だか逞しくなった様に感じる。
それに初めて正装姿のエディを見て、どういう訳か頰が熱くなってしまった。
エディと大公は形式的な挨拶を交わすと、すぐに打ち解けて話し始めた。
大公はすっかり気に入った様子で、ドミニクに止められるまでエディを離さない。
それがレイリアにする最後のイタズラだという事は、何となく長年の経験から読み取れた。
口では強がっていても、やはり大公も寂しいのだろう。
そんな大公を愛しく思い、バルコスの平和を願わずにはいられなかった。
「それでは2ヶ月後の結婚式で、再びお会い致しましょう」
馬車に乗り込む前に、エディは残った皆にそう言った。
何故か後から合流する筈のアマリアが号泣し、イザベラが慰めていたが、母親の様に育ててくれたアマリアにとっては、思う所があるのだろう。
名残惜しさにいつまでも窓を開けていると、小さな友達が代わる代わる顔を出す。
『幸せに』という言葉を、繰り返し口にしながら。
これには流石にレイリアも泣いてしまった。
エディは黙って抱き寄せると、泣き止むまで背中を摩っていた。
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エディは真っ直ぐ王都へは行かず、ブラガンサ領に立ち寄るルートを取る事にした。
トラウマを克服したとはいえ、あの道を通るのには抵抗があったが、この10年の間にすっかり整備され、あの頃の様子とは比べ物にならない程様変わりしていた。
これならばあの様な不幸な事故は、起こる事は無いだろう。
もう二度と来る事は無いと思っていたブラガンサ邸では、王都から戻ったルイスと叔父や叔母、祖父母が暖かく出迎えてくれた。
ルイスは最近イネスと文通を始めたらしい。
これはエディがこっそり教えてくれた。
レイリアが聞いても、誤魔化して教えてくれないからだ。
面倒見がいいルイスには、一番世話になったと言ってもいいだろう。
微力ながら力になれたらいいなと思う。
こうして懐かしい人々と久しぶりに対面を喜び合い、2日程ブラガンサ邸に滞在する事になった。
「姫様、早く起きて下さい!エドゥアルド殿下は既に起きて、姫様をお待ちですよ!」
「う〜ん‥えっ!?アマリア?何で!?」
「昨夜夜中に着いたんですよ。とにかく早く起きて下さい!」
エディが待っていると言われては、寝ている訳にもいかず、ベッドから飛び起きて顔を洗った
「殿下はお弁当も用意していましたよ。それに姫様には、動き易い服装でと言っていました。アレですかね?"ドキッ!ピクニックでおもてなししちゃうぞ〜!"ですかね?」
「ププッ!やめてよアマリア、そのネーミングは!エディはそんなセンスじゃないわよ」
「今頃エンリケ様はクシャミをしていますよ。ジョアン殿下の迷惑そうな顔が思い浮かびますね。きっとエドゥアルド殿下は、今の内にゆっくり姫様と過ごしたいのでしょう。それじゃ姫様、これを着て下さい」
アマリアの用意してくれた短めのドレスに袖を通し、編み上げブーツを履きながら、今の内にという言葉に身が引き締まった。
まだまだ学ぶ事は沢山あって、今後は重い責任を背負わなければならない。
それでもレイリアは決めたのだ。
エディと一緒に生きて行く事を。
「おはようリア!朝食を済ませたら出かけよう。君と一緒に、どうしても行きたい場所があるんだ」
「行きたい場所って‥やっぱりピクニックかしら?」
「ピクニック?まあ、似たような物だけどね。何処へ行くかは着いてのお楽しみだよ」
「じゃあドキッ!の方ね」
「ドキッ?リアは時々おかしな事を言うね?」
「気にしないで。ちょっとエンリケ病に侵されているみたい。うん、着いてのお楽しみを楽しむわ」
エディはクスクスと笑いながら、深い青色の瞳を楽しそうに細めた。
今日はエディも動きやすいシャツとズボンを身に付けている。
正装姿よりも体のラインがはっきりと分かり、以前より鍛えられた体つきをしているのが分かった。
すっかり健康を取り戻した証拠ではあるのだが、目を光らせていないとすぐに無茶をする所があり、それが分かっていたからジョアンも手元に置いたのだろう。
これからはそれが自分の役目だと、決意も新たに奮起する。
ただ、今だけは束の間の休息を楽しみたい。
こんな風に2人で出かけるのは、初めてなのだから。
手早く朝食を済ませると、アマリアが帽子を渡してくれた。
秋とはいえ日差しは強く、出かけるには絶好の日和だ。
帽子を被るとエディはイタズラっぽく微笑んで
「ベールはいいのかい?」
と冗談を言ってルイスを笑わせる。
「まあ、エドゥアルド殿下の10項目は、全部逆ですからね。第6の"なるべく顔を見せる事"を忠実に守っているんですよ姫君は」
流石にセンスのいいルイスらしい切り返しで、忘れかけていた10項目に、振り回された思い出が、今では笑い話なのだから不思議なものだ。
それから2人で馬に乗り、エディは目的地へ向かってゆっくり走らせた。
子供の頃は地形の悪さもあり、あまり遠出を許されなかったブラガンサ領だったが、大人になって改めて見ると、紅葉で色付いてとても綺麗だ。
通った事のない細い道の途中で、エディは近くの木に馬を繋ぎ、そこからは2人で手を繋いで歩いた。
暫く歩くとエディは立ち止まり、レイリアに向かってこう言った。
「リア、暫く目を瞑ってくれるかい?君を驚かせたいんだ」
言われた通り目を瞑ると、ゆっくりエディが手を引いて進んで行く。
そうして進むと手が離され、戸惑っているとエディの声が聞こえた。
「もう目を開けていいよ」
そっと開けた瞳全体に、映り込んだのはあの広い野原だ。
「ここは‥覚えているわ。エディにピアスを貰った場所ね!」
「うん。どうしても君とここへ来たかった。私は約束を果たせなかったからね‥」
「それは‥私も同じよ。全てを忘れてしまったんですもの」
「お互いに事情があって遠回りしたけれど、これから2人で生きて行く為には、けじめが必要だと思ったんだ。君を想って10年もこじらせてきた私にとって、やはりやり直しは重要なけじめだからね」
「あら、ジョアンも十分こじらせていたわよ?貴方という想い人にね」
「ジョアンは今、別の相手に絶賛こじらせ中だよ。今度こそ本当の想い人にね」
フフフと2人で笑い合うと、エディはレイリアの前に跪いた。
そうしてポケットから何かを取り出し、レイリアの手を取るとそれを嵌めた。
「これって‥!!」
「もう片方のピアスを指輪にしたんだ。今度こそ本当に求婚の証としてね。レイリア・バルコス姫、私と結婚してこれからの人生を、共に歩んで貰えますか?」
胸の奥が痛い程熱く高鳴り、自然と涙が溢れてくる。
「もちろんよ!10年前にも、そう約束したんですもの!」
エディは立ち上がり、そっとレイリアの涙を拭うと、頰に手を添え唇を重ねた。
随分と時間はかかってしまったが、2人はやっと約束を果たす事が出来たのだ。
これからはそれ以上の長い時間を、2人で共に歩んで行こう。
いつも寄り添い助けてくれる、素晴らしい仲間達に見守られながら‥
これにて本編終了です。
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
正直投げ出したい時も多々ありましたが、なんとか完結出来てホッとしています。
今後は外伝を不定期で更新していくつもりですので、もう少しだけお付き合い願います。
それから近々砂漠を舞台にした、新しいお話をアップする予定ですので、気が向いたらそちらも覗いてみて下さい。




