第6話 奇跡のハーブティー
レオンハルトの警告は、冷たい棘となってわたくしの思考の片隅に突き刺さっていた。だが、脅威に対抗する最善の策は、脅威に屈しないだけの圧倒的な成果を出すことだ。わたくしは思考を切り替え、次のプロジェクト――ノルドクレイ初の特産品開発へとリソースを集中させることにした。
数日後。わたくしは領主の館の物置を改造した即席の実験室に籠っていた。目の前には、先日ターニャが教えてくれた「ヤギが好んで食べる変な匂いの草」。乾燥させたそれを、乳鉢で丁寧にすり潰していく。
「いいですか、ターニャ。植物に含まれる成分は、熱や乾燥の仕方で大きく変化します。我々の目的は、この草の持つ有用な成分――人をリラックスさせる効果を最大限に引き出しつつ、不快な香りを香ばしい香りに転換させること。これを、わたくしの故郷では『焙煎』と呼びます」
「ばいせん……」
目を輝かせてわたくしの手元を覗き込むターニャに微笑みかける。彼女の知的好奇心は、この領地の最も価値あるアセットの一つだ。
鉄鍋の温度を慎重に調整しながら、粉末状にしたハーブを炒っていく。焦がさぬようにかつ、確実に化学反応を促す。やがて青臭い匂いが、心地よい香ばしい香りへと変わる。これだ。このポイントが、品質を決定づけるクリティカルパスなのだ。
扉の隙間から、レオンハルトがこちらの様子を窺っていることに、わたくしは気づいていた。彼の目には、わたくしの行動が、非科学的な錬金術にでも見えているのだろうか。結構。理解は、後からついてくればいい。
*
その日の夕方。わたくしは完成した試作品を手に、ギデオンの家を訪れていた。レオンハルトも「監査の一環だ」という、もはや誰にも通用しないであろう言い訳を口にしながら、わたくしの後ろについてきている。
「ギデオン。長年、心労で眠りが浅いと伺いました。これを、試していただけませんか」
わたくしが差し出した木杯から立ち上る香ばしい香りに、ギデオンは訝しげに鼻をひくつかせた。
「……あの臭い草か。本当に飲めるのか、これは」
「ええ。わたくしが保証します」
ギデオンは、疑わしげに一口、また一口と、ゆっくりとその液体を喉に流し込んだ。そして、ただ黙って、わたくしたちを追い返した。
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結果が出たのは、翌日の昼のことだった。
村の広場で土壌改良の指示を出していると、血色の良い顔をしたギデオンが、わたくしの元へやってきたのだ。
「エリアーナ様……昨夜は、ここ何十年かで初めて、朝まで一度も目を覚まさずに眠れた。……礼を言う」
その言葉は、狼煙だった。
噂は瞬く間に村中に広がり、不眠や心労に悩む人々が、次々と館に押し寄せた。わたくしが開発したハーブティーは、いつしか領民たちの間で「奇跡のハーブティー」と呼ばれるようになっていた。
最初の成功。
それは、わたくしの知識が、この土地の人々の生活を具体的に向上させたという、何よりの証明だった。
*
その夜、執務室で、わたくしは新たな事業計画を練っていた。このハーブティーを安定供給し、いずれは王都で販売する。そのための生産体制、品質管理、そしてマーケティング戦略……。
思考に没頭するわたくしに、背後から声がかかった。
「王都へ行くのか」
知っていた。レオンハルトがそこに立っていた。
「ええ。この事業を成功させるためには、避けては通れません」
あの忌まわしい婚約破棄の舞台。わたくしにとって、トラウマの震源地。だが、もう逃げるわけにはいかない。
わたくしが覚悟を決めた、その時。
「護衛として同行する」
彼の言葉は、命令に近い響きを持っていた。
「……監査は、もうよろしいのですか」
「これも職務だ」
平坦な声。鋼色の瞳。その奥に、職務という言葉だけでは説明のつかない、何か別の感情が宿っている。そんな気がした。
氷の騎士の不器用な庇護の申し出に、わたくしの心臓が、非合理な音を、恋する乙女のように高鳴った。




