第9話 ビジネスという名の父の愛
薄暗い狩人の小屋の中、わたくしは実の父と、数ヶ月ぶりに顔を合わせていた。
彼の顔には、公爵としての激務が刻んだ深い皺と、わたくしが今まで見たことのない、後悔の色が浮かんでいた。わたくしの脳は、この予期せぬエンカウントを、どう処理すべきか判断できずにいた。
彼はわたくしを切り捨てた。
それ以上でも、それ以下でもない。
「エリアーナ」
父が、絞り出すように言った。
「……すまなかった」
謝罪。わたくしのデータベースに、この単語を父と関連付けて処理するプロトコルは存在しない。
「お前がノルドクレイで成し遂げたことは、全て私の耳にも届いていた。私は……お前の力を、見誤っていた。いや、信じることから逃げていたのだ。マイズナーの権勢を恐れ、家を守るという、目先の利益に囚われて……」
彼は自嘲気味に笑った。
「私はヴァイスフルト公爵家の当主としては、正しい経営判断をした。だが、父親としては、最低の経営判断を下した。……私の最大の失敗だ」
経営判断の失敗。
その言葉が、わたくしの心の、最も硬い殻をいとも容易く打ち砕いた。
感傷的な言葉ではない。
彼がわたくしと同じ言語、ビジネスという名の論理で、自らの過ちを認めた。
その事実が、十五年間のわたくしの努力が、決して無駄ではなかったのだと、何よりも雄弁に物語っていた。
目から涙が溢れ出す。
非効率だ。
非生産的だ。
けれども止まらない。
「……この裏帳簿と、私の証言があれば、マイズナーを追い詰められる。国王陛下への謁見は、私が手配しよう。……お前の戦いを、今度こそ父親として支援させてくれ」
わたくしは、ただ、頷くことしかできなかった。
*
翌日、王宮にて。国王陛下の私的な謁見の間は、張り詰めた空気に満ちていた。
父の手引きによって、わたくしたちは、国王陛下への直接の謁見を許された。
玉座に座る国王の表情は、厳しくて険しい。
最終プレゼンテーションの舞台だ。
わたくしは震える心を、コンサルタントとしての冷徹な仮面で覆い隠した。
「国王陛下。本日は我が国を蝕む、深刻なコンプライアンス違反案件について、ご報告に上がりました」
わたくしはマイズナー侯爵の裏帳簿を広げると、そこに記された不正な金の流れ、隣国との密約、そして今回の軍事行動が、全て彼の私利私欲のために仕組まれたものであることを、一点の曇りもない論理で説明していく。
わたくしの言葉を、レオンハルトが軍事的な見地から補足する。父が政治的な影響力を背景に、その証言の信憑性を裏付ける。
わたくしの論理。
レオンハルトの武力。
父の権力。
三つの力が、宰相マイズナーという、一点の目標に向かって収束していく。
全ての報告が終わった時、謁見の間には重い沈黙が落ちた。
俯いていた国王陛下がゆっくりと顔を上げた。その顔は、静かな、だが底知れない怒りに燃えていた。宰相への怒り、そして何より、唆されたとはいえ愚行に走った我が息子への深い失望が、その表情の中でせめぎ合っているように見えた。
「……マイズナーの策に乗せられたとはいえ、我が息子ながら、愚かにもほどがある」
国王は小さく呟いた後、傍らに控える近衛騎士団長に視線を移した。その眼光は、もはや温情など微塵も感じさせない、王としての厳格さに満ちていた。
「宮廷魔術師団長を、今すぐここへ!」
その声は、謁見の間全体を震わせた。近衛騎士団長が即座に駆け出し、部屋の空気が一気に張り詰める。
もとから隣の部屋にでも控えていたのだろう。宮廷魔術師団長はすぐに姿を現した。
「緊急勅令『王声』を発する! 今この瞬間、我が声をノルドクレイのアルフォンスに届けよ!」
『王声』
それは、国土のいかなる場所へも、瞬時に王の声を届けるという、王国最高位の通信魔法。国家存亡の危機においてのみ行使が許されるまさに切り札。その言葉を聞いた父上の顔色さえもが変わる。
国王は立ち上がり、玉座の間に埋め込まれた巨大な魔石へと手をかざした。
「アルフォンスよ、聞こえるか! 国王の名において命ずる! 我が民へ剣を向けるなど決して許さぬ! 全軍、即時撤退せよ! 速やかに王都へ帰還し、アルフォンス、貴様は口をつぐんで沙汰を待て!」
その声は、もはや人の声ではなかった。魔力と怒りを乗せた王の咆哮が、空間そのものを震わせ、遠く離れた辺境の地へと飛んでいく。
「繰り返す! 一兵卒たりとも、我が領民に剣を向け続けるな! 断じて許さん!」
その言葉は、宰相への断罪の序曲であると同時に、王として、この国の秩序を守らんとする絶対的な意志の表れだった。辺境ノルドクレイで孤軍奮闘する者たちへ、王の正義が届いた瞬間だった。
レオンハルトと父上が、深く頭を下げる。わたくしもそれに倣った。これで、ノルドクレイに残ったギデオンたちの、最大の脅威は取り除かれた。
国王はこの国最大の癌を断罪すべく、再び口を開いた。その声はもはや怒りを通り越し、絶対零度の冷たさを帯びていた。
「議会を招集せよ!」
断罪の狼煙が上がった。




