第8話 王都への強行軍
ノルドクレイを発ってから、三日が経過した。
わたくしたちの旅は、およそ公爵令嬢のそれとはかけ離れた過酷な強行軍だった。前世の記憶のおかげか、不満は全くない。以前のわたくしならば……考えるのは止めておこう。
わたくしたちは王国の騎士団が敷いた包囲網を避けるため、街道を捨てて森の中を進む。これは事業計画における、予測不能なリスクシナリオへの対応。すなわち、危機管理そのものだ。この状況は、わたくしにとって、ある種のフィールドワークでもあった。
「レオンハルト、このキノコは食用です。カサの裏側の形状から、毒性はないと判断できます。加熱すれば、貴重なタンパク源となるでしょう」
「……分かった。だが、見分けのつかないものは口にするな。危機管理の基本だ」
わたくしが前世の知識――サバイバルマニュアルの断片的な記憶――を基に食料を確保すれば、彼はそれを手際よく調理し、警戒を怠ることなく野営の準備を整える。
わたくしが戦略を提示し、彼がそれを実行する。最高のビジネスパートナーとのジョイントベンチャーだ。実に効率的である。
夜、焚き火を囲みながら、わたくしは羊皮紙を見ながら思考を整理していた。敵の兵力配置、予想される追手のルート、そして王都に到達してからの交渉戦略。思考に没頭するわたくしに、彼が水の入った皮袋を差し出した。
「……ありがとうございます」
受け取ろうとした手が、彼のガントレットに覆われた手に偶然触れる。金属越しに伝わる微かな温もり。またしても心臓が、非合理的な挙動を示した。このバグは、どうやら環境要因ではなく、特定の条件下で発生する、わたくしというシステム固有の脆弱性らしい。実に厄介だ。
わたくしはその動揺を悟られぬよう、素早く皮袋を受け取り、再び羊皮紙に視線を落とした。
この旅は、わたくしたちの関係性を奇妙な形で変質させていた。彼はもはや、監査役ではない。わたくしも、被監査役ではない。我々は共通の目標を持つ運命共同体。いや、もっと正確に言うならば、これは、終身雇用の業務提携契約における、最初の、そして最も過酷な実地研修なのだ。
*
王都アウレリアの城壁が見え始めた頃、わたくしたちは郊外に位置する、打ち捨てられた狩人の小屋に身を潜めていた。ここがレオンハルトの部下との合流地点だ。
夜の闇に紛れて、一人の男が音もなく小屋の前に姿を現した。レオンハルトの腹心の一人だ。彼は主君の姿を認めると深く一礼し、懐から一冊の分厚い帳簿を取り出した。
「団長。ご命令の品です。宰相マイズナーの裏帳簿。これさえあれば、彼の不正の全てが……」
これだ。この動かぬ証拠こそが、我々の反撃の切り札。
わたくしがその帳簿に手を伸ばすと同時に、小屋の扉がゆっくりと、軋む音を立てて開かれた。
わたくしとレオンハルトは、即座に臨戦態勢に入る。だが、そこに立っていたのは、敵ではなかった。
そこにいたのは、最も会いたくなかった、あるいは最も会いたかった人物。
わたくしの父、ヴァイスフルト公爵、その人だった。
「……話がある」
父の声は低く、そしてひどく疲れていた。




