第5話 逆転の一手
クラウスの埋葬が済んだ後、領主の館の作戦司令室。揺れる蝋燭の光が、集まった者たちの顔に、不安と疲労の影を落としていた。
ギデオンをはじめとする村の主だった者たちは、口々に次の戦に備えるべきだと主張している。城壁をさらに高く。罠をさらに深く。だが、それらは全て、対症療法に過ぎない。
「皆様、お静かに」
わたくしは、手にした密書をテーブルに広げた。
「我々の真の敵は、城壁の外にはおりません。この戦は戦闘で決着がつくものではない。情報戦です」
わたくしの言葉に、部屋がざわめく。
「この証拠を、敵に見せるのです。それも、断片的に。敵の組織内に猜疑心を注入し、内部から崩壊させる。これまでのような直接戦闘では死傷者が増えるだけです」
わたくしの提案に、ギデオンが眉をひそめる。
「エリアーナ様、それはあまりに危険な賭けでは……」
「危険、ですか。このまま消耗戦を続ければ、我々の敗北でしょう。ですが、この策が成功すれば、勝率は半々、いや、それ以上に跳ね上がる。どちらが合理的な判断か、明白でしょう?」
わたくしの脳内では、すでに複数のシナリオがシミュレートされ、最も成功確率の高いルートが導き出されていた。必要なのは、正確な情報と、それを実行する勇気だけだ。
*
作戦会議が終わった後、部屋にはわたくしとレオンハルトの二人だけが残っていた。
彼はただ黙って、わたくしが練り上げた計画書に目を通している。その鋼色の瞳は、そこに書かれた奇抜な策の、一字一句を吟味していた。
「……あまりに、リスクが高い」
やがて、彼が口を開いた。
「敵の内部に情報をリークするなど、規定外も甚だしい。万が一こちらの意図が露見すれば、全てが終わる」
「ええ、その通りです。ですが、この状況を打開するには、既存のルールブックの外で戦うしかない」
わたくしは彼と真っ直ぐに向き合った。
「これは、ビジネスにおける敵対的買収と同じです。ターゲット企業の株を買い占めるのではなく、経営陣の内紛を誘発させ、自滅させる。ゲルハルト・シュトライバー将軍というワンマン経営者に依存した組織は、トップへの不信感が生まれれば、驚くほど脆いものですよ」
わたくしの言葉に、レオンハルトはしばらくの間、沈黙していた。彼の表情からは、何も読み取れない。だが、やがて、彼は小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……妙な言葉が多すぎて理解できん。だが、君はこれまで破綻なくやってきた。実績も上げてきた。ああ、わかったよ。実行を許可する」
その言葉は、彼が自らの信条とする「規定」よりも、わたくしの「合理性」を優先した、紛れもない証だった。わたくしたちの間に、単なる監査役と被監査役という関係性を超えた、共犯者としての、新たな契約が結ばれた瞬間だった。
*
隣国軍の陣営。その中心に位置する、一際大きな天幕の中。
ゲルハルト・シュトライバー将軍は届けられたばかりの報告書を、忌々しげに握りつぶした。ノルドクレイの守りは、予想以上に固い。こちらの損害ばかりが増えていく。
その時、部下の一人が、血相を変えて天幕に駆け込んできた。
「将軍! 捕らえた密偵が、奇妙なことを……」
引き出されたのは、レオンハルトが放った密使だった。彼はわざと捕らえられ、そして、計算され尽くした情報を、断片的に漏らした。
「……宰相閣下は、将軍様を、駒としか見ておられぬ……この戦が終われば、全ての責を将軍様に負わせ、切り捨てるおつもりだと聞き、人の道に外れた行為だとお伝えに参りました」
馬鹿な。戯言だ。
シュトライバーは一笑に付そうとした。だが、彼の脳裏に、マイズナー侯爵の、あの底の知れない瞳が蘇る。
シュトライバーがふと気づく。天幕の入り口に、彼の腹心である副官が硬い表情で立っていた。彼は、この無謀な戦に当初から懐疑的だった。副官はいわゆる、穏健派として知られている。
「将軍。兵たちの間に、不穏な噂が広まっております。この戦は、我々がマイズナー侯爵に利用されているだけではないか、と……」
将軍の心に初めて、疑念という名の小さな亀裂が入った。エリアーナが仕掛けたウイルスは確実に、敵の心臓部を蝕み始めていた。




