第3話 攻城戦
太陽が真上から少し傾いた頃だった。ノルドクレイの簡素な城壁に、乾いた風が吹き抜ける。見張り台から鳴らされる警鐘の音が、村中に響き渡っていた。
来た。
わたくしは、城壁の上から、地平線を埋め尽くす隣国軍の威容を冷静に見下ろしていた。
初めて見る殺意の固まり。斥候から聞いたのは、その数およそ五千。
対する我が方の兵力は、レオンハルトの騎士と、武装した領民を合わせても、その十分の一にも満たない。
絶望的な戦力差。けれど、わたくしの脳内に、恐怖という非生産的な感情は存在しない。これは、プロジェクトの最終プレゼンテーションだ。わたくしが築き上げてきた全てが試される。
「敵前衛、重装歩兵。後方に騎馬隊。陣形に乱れなし。……なるほど、教科書通りの布陣ですこと」
わたくしの分析に、隣に立つレオンハルトが頷く。
「典型的な力押しだ。だが、それ故に、奇策には脆い」
「ええ。では、始めましょうか。我々の最初の反撃を」
わたくしが合図を送ると、城壁の下に控えていたギデオンが、大きく手を振った。
敵軍が鬨の声を上げて前進を開始する。
大地が無数の軍靴の響きで震えた。
彼らが、わたくしたちが設定したキルゾーン――谷間の隘路へと差し掛かった、その瞬間。
崖の上から、無数の樽が転がり落とされた。樽は地面に叩きつけられて砕け、中から粘性の高い液体が溢れ出す。それは、先日完成したばかりの、高濃度蒸留酒と獣の油を混合した特製の可燃物。
この世界に、ワインとエールはある。しかし蒸留技術はない。アルコールが発火するとは知られていない。
一本の火矢が、夜空に赤い軌跡を描く。
次の瞬間、谷は地獄の業火に包まれた。
敵兵の悲鳴が、炎の音にかき消されていく。
わたくしは、その光景を、ただ、無表情で見つめていた。計画通りだ。こちらの人的損耗を最小限に抑え、敵の士気を最大限に削ぐ。完璧なコストパフォーマンス。
けれど、わたくしの胸の奥で、何かがちくりと痛んだ。
*
その頃、後方の丘の上。隣国のゲルハルト・シュトライバー将軍は、自軍の先鋒が、見たこともない罠によって一瞬で壊滅する様を、信じられない思いで眺めていた。
「なんだあれは。魔法か? いや、魔力の流れは感じられない。だとすれば、あの業火はなんだ。あれは人間の知恵によるものだというのか」
彼の脳裏に、マイズナー侯爵から伝えられた、あの女の情報が蘇る。
エリアーナ・フォン・ヴァイスフルト。王都を追われた公爵令嬢。だが、その女が、この辺境の地で、次々と奇跡を起こしている、と。
将軍の顔が、怒りと屈辱に歪む。
「こんな、田舎の小娘一人に、この私が、してやられたというのか。許さん。断じて、許さん」
彼は伝令兵に向かって、怒声を発した。
「全軍に伝えろ! あの城壁の上に立つ女は魔女だ! 辺境の魔女、エリアーナの首を取った者には、望むだけの褒賞を与える!」
その言葉は兵士たちの間に、瞬く間に広がっていった。
戦の目的は、領地の制圧から、一人の女の首へとその姿を変えた。エリアーナに対する、個人的で狂気に満ちた狩りの始まりだった。




