第2話 断罪の証拠
伝令騎士が、ほうほうの体で逃げ帰った後、執務室には重い沈黙が降りていた。
わたくしは目の前の男の行動を、必死に分析しようと試みていた。王命への反逆。それは、彼のこれまでの行動原理――規定と秩序の絶対遵守――と、完全に矛盾する。
これは、彼の思考システムにおける何らかのエラーか。
それとも、わたくしがまだ把握していない、新たなパラメータが存在するのか。
人的資源の損失回避。
いや、違う。彼の払ったコストは、わたくしという単一の資源を守るには、あまりに大きすぎる。この非合理的な行動の裏にある動機は何だ。
思考が袋小路に入り込み、苛立ちが募り始めた。
「エリアーナ」
彼が口を開いた。
「君のやり方は、確かに規定外だ。だが、間違ってはいない。……俺は、それを見届ける義務がある」
その言葉は、わたくしの混乱した思考に光を灯した。見届ける義務。それは、監査役としての職務か。それとも……。
いや、今は感傷に浸っている場合ではない。彼が稼いでくれた、この貴重な時間。これを、無駄にするわけにはいかない。
「……感謝します、アードラー団長。ですが、これで貴方は、反逆者と見なされる危険を冒すことになりました。わたくしも、貴方という最強の駒を失うわけにはいきません。これより、反撃を開始します」
わたくしの言葉に、彼はほんの少し、口元を緩めた気がした。
*
数日後。王都アウレリアの、雨に濡れた裏路地。
レオンハルトの忠実な部下である若き騎士クラウスは、外套のフードを目深にかぶり、息を潜めていた。彼の懐には、主君の未来と、そして辺境の領主の運命を左右する、一通の密書が収められている。
宰相マイズナー侯爵と、隣国のゲルハルト・シュトライバー将軍との間で交わされた、不穏な約束。
それを記した、動かぬ証拠。
これを手に、王都の協力者と合流する手筈だった。
雨音が周囲の物音をかき消す。だが、クラウスの研ぎ澄まされた聴覚は、複数の足音が、自分を包囲するように近づいてくるのを捉えていた。
罠。
彼がそう悟った瞬間、路地の前後から、黒装束の男たちが音もなく姿を現した。その手には、鈍い光を放つ短剣。マイズナーの私兵、影の部隊だ。
両手に短剣を持った黒装束が襲いかかる。
「会話も警告もなしかよっ!」
クラウスは即座に剣を抜いた。多勢に無勢。だが、退くという選択肢はない。この密書だけは、何としても主君の元へ。彼は小さな声で呪文を唱えはじめた。
刃と刃がぶつかり合う甲高い金属音が、雨の夜に響き渡る。
クラウスは獅子奮迅の活躍をした。
しかし、敵の一人が投げた短剣が、彼の腹を深く貫いた。
顔を歪めながら体勢が崩れる。
それでも彼は小声の詠唱をやめない。
とどめを刺そうと、一人の男が踏み込んできたその時。
クラウスの詠唱が終わった。
――ドン
裏路地に指向性を帯びた衝撃波が発生した。
黒装束たちはクラウスが呪文を唱えていたことに気づいていなかった。
正面からまともに衝撃波を食らい、黒装束たちがまとめて吹き飛んでいく。
「がはっ――肺腑をえぐられたか」
大量に吐血しつつも、クラウスは雨の中をよろりと歩き始めた。




