第3話 氷解の兆し
絶望。
その一言が、黒く焼けただれた大地から立ち上り、わたくしの思考を停止させようとする。だが、コンサルタントは、絶望という非生産的な感情に浸ることを許されない。問題が発生したのなら、即座に次善策を立案し、実行する。それだけだ。
「……まだ、手はあります」
わたくしは、自分に言い聞かせるように呟いた。
「薬草図鑑によれば、同じ科に属する近縁種が、より標高の高い、寒冷な岩場に自生している、と。成分は薄まりますが、量を集めれば代用できるはずです」
空を見上げると、いつの間にか厚い雲が垂れ込め、冷たい風が雪の匂いを運んできていた。吹雪が近い。
「無謀だ」
レオンハルトが、低い声で制止した。
「この天候で山に入るのは自殺行為に等しい。規定では、天候の回復を待つのが最善手だ」
「その規定が、領民の命を救ってくれるのですか!」
わたくしは、思わず声を荒らげていた。
「確率が1パーセントでもあるなら、実行するのが私の仕事です。何もしなければ、死亡率は100パーセントなのですよ!」
彼の鋼色の瞳と、わたくしのサファイアブルーの瞳が、激しく火花を散らす。だが、彼の瞳の奥に、ほんの一瞬、迷いの色がよぎった。それをわたくしは見逃さなかった。
やがて、彼は深く息を吐くと、短く告げた。
「……分かった。俺も行く」
それは、彼が自らの信条とする「規定」を、初めて自らの意志で捻じ曲げた瞬間だった。
*
吹雪はわたくしたちの想像を絶する猛威で牙を剥いた。
視界は白一色。容赦なく体温を奪っていく。それでも、わたくしたちは執念で、岩陰にへばりつくように生えている目的の薬草を発見した。
安堵したのも束の間、嵐はさらに勢いを増し、わたくしたちは下山の道を完全に断たれてしまった。
小さな洞窟を見つけ、身を寄せ合う。わたくしの体力は、すでに限界に近かった。薄れゆく意識。これが、死か。プロジェクトの途中でリタイアとは、コンサルタントとして最大の恥辱だ。
その時、大きな影がわたくしを覆った。
レオンハルトが、その分厚いマントでわたくしの体を包み込み、背後から躊躇うように、だけど力強く抱きしめた。
「……君を、失うわけにはいかない」
耳元で彼の絞り出すような声が聞こえる。
彼の体温が冷え切ったわたくしの体に、じんわりと染み渡っていく。背中に感じる、彼の心臓の鼓動。
これは……何だ?
人的資源の損失回避行動?
いや、違う。
この熱は、この鼓動は、データ化できない。計測不能な、バグだ……!
わたくしの思考回路が、完全にショートする。
ただ、その温かさに、なすすべもなく身を委ねることしかできなかった。
*
奇跡的に吹雪が止み、わたくしたちが村に生還した時、すでに事態は動いていた。
ギデオン率いる村の男たちが、井戸に毒を盛った犯人を捕らえていたのだ。王都から派遣された下級役人だった。
彼はレオンハルトの尋問に対し、あっさりと全てを白状した。
「……宰相閣下、マイズナー侯爵のご命令だ。あの女の改革が、閣下のご利権を脅かす、と……」
マイズナー侯爵。
その名が、洞窟の中で芽生えた微かな温もりを、再び凍てつかせるには、十分すぎるほどの響きを持っていた。
見えざる敵の正体が、初めて輪郭を現したのだ。




