第2話 見えざる毒
領主の館の一室は、即席の野戦病院と化していた。
蝋燭の明かりが、苦痛に顔を歪める領民たちの顔を、不安げに揺らしている。わたくしは、昨夜から一睡もせずに、患者一人ひとりの症状を記録し、分析を続けていた。
症状に統一性あり。
発熱なし。
消化器系に集中。
潜伏期間から逆算すると、病原菌ではなく化学物質。
汚染源は、全患者に共通する摂取物……水だ。
わたくしとレオンハルト、この二人だけがそこまで多く摂取していない……。
「レオンハルト。村の井戸を全て調査してください。特に館に近い中央の井戸を重点的に。これは、事故ではなく、意図的な汚染、すなわち攻撃です」
わたくしの言葉に、彼は無言で頷くと、部下の騎士たちに迅速な指示を飛ばした。彼の組織を動かす能力は、こういう危機的状況において、極めて頼りになる。忌々しいことに。
わたくしは、前世の記憶――薬学と毒物学の断片的な知識を総動員し、症状から毒物の種類を特定しようと試みる。ヒ素系か、それともアルカロイドか。いや、この世界の植物由来の毒である可能性が高い。だとすれば、解毒剤もまた、この土地の自然の中にあるはずだ。
数時間に及ぶ文献調査と、患者の吐瀉物の分析の末、わたくしは一つの結論に達した。これは、特定の植物に含まれる神経毒。そして、その毒を中和する成分を持つハーブが、この領地にも自生していることを、古い薬草図鑑の中から発見した。
*
翌日の昼。わたくしは青い顔のギデオンとレオンハルトを伴い、問題の中央井戸の前に立っていた。レオンハルトの部下によって井戸は封鎖され、領民には騎士団が確保した川の水が配給されている。
「毒は特定できました。解毒剤の材料となる薬草も。館の裏のハーブ園に、群生しているはずです」
わたくしの言葉に、具合の悪いギデオンは安堵の息を漏らした。だが、その顔はすぐに、別の苦悩の色に曇る。
「……見えねえ敵、か。わしの息子も、そうだった」
彼は、誰に言うでもなく呟いた。
「ルドルフは、信じた上官殿のために死んだ。立派な最期だったと、わしは信じとる。だが、見えねえ敵の罠にやられた無念は、今も……」
ルドルフ。先日、墓地で見た墓標の名前だ。
その時、わたくしの隣に立つレオンハルトの顎の線が、僅かに硬化したように見えた。この膠着した事態への苛立ちだろうか。彼の内心を分析するよりも、今は目の前のタスクが優先だ。
「さあ、急ぎましょう。一刻も早く、薬草を」
わたくしたちは、希望を胸にハーブ園へと向かった。
だが、そこに広がっていたのは、希望とは真逆の、絶望的な光景だった。
薬草が群生していたはずの一角は、黒く焼け焦げ、不快な匂いを放つ、ただの不毛な土地へと変わり果てていた。何者かが、わたくしたちの動きを先読みし、根こそぎ焼き払ったのだ。
解毒剤を作る唯一の希望がいま、目の前で灰になった。
背後のレオンハルトから、ギリッと歯ぎしりする音が聞こえた。




