第9話 氷の騎士の怒り
商人街の薄汚れた裏路地。先ほどの商人は、脅迫者たちが去ると、わたくしたちに何度も謝罪を繰り返しながら店の中へ逃げ帰っていった。
残されたのは、行き場のない憤りと、冷たい無力感。そして、わたくしの隣で、絶対零度の空気を放つ、白銀の騎士。
「……これが、王都のやり方ですのね」
自嘲気味に呟いたわたくしの言葉に、彼は答えなかった。その鋼色の瞳は、先ほど男たちが入っていった路地の闇を、射抜くように見つめていた。
「エリアーナ嬢。ここで待て」
それだけを言うと、彼は闇の中へと歩を進めた。
わたくしは彼の指示に従った。なぜなら、彼の背中から発せられる気配が、普段の彼とは全く異質のものだったからだ。それは、静かだが、触れるもの全てを凍てつかせる、純粋な怒りだった。
数分も経たなかっただろうか。路地の奥から、短い悲鳴と、何かが叩きつけられる鈍い音が数回聞こえた。やがて、レオンハルトが姿を現す。彼の後ろからは、彼の部下であろう数人の騎士たちが、先ほどの脅迫者たちを縄で縛り、引きずり出してきた。
完璧な包囲網。音なき制圧。一切の無駄なし。
わたくしは、その光景を、ただただ呆然と見つめていた。これが「氷の騎士」の本当の姿。彼の「氷」とは、感情がないことではない。感情を、完璧に制御された、絶対的な力へと昇華させる様を指すのだ。
彼はわたくしの方へ向き直ると、まるで路地のゴミでも払うかのように、淡々と言った。
「これで、当面の物理的障害は排除した」
*
翌朝、レオンハルトは一人、王宮へと向かっていた。
彼は謁見の間で、アルフォンス王太子と対峙していた。
豪華な装飾が施された部屋の中で、アルフォンスは苛立ちを隠しもせず、ソファに深く身を沈めている。
「何の用だ、アードラー。私は忙しい」
「殿下。単刀直入に申し上げます」
レオンハルトの声は、いつもと変わらぬ平坦な響きを持っていた。だが、その言葉の内容は、アルフォンスの顔色を変えさせるには十分だった。
「エリアーナ・フォン・ヴァイスフルト嬢は現在、国王陛下の御名において、ノルドクレイ領の統治を任された領主代行。彼女の事業は、王国の国益に直接貢献するものです。故に、彼女へのいかなる妨害も、王国に対する反逆行為と見なされます」
レオンハルトは、ゆっくりと、言葉を区切った。
「……ご理解、いただけましたかな、殿下」
その言葉には、何の感情も乗っていない。だからこそ、それは絶対的な、揺るぎない警告として、謁見の間に響き渡った。
*
王都での全ての販路を絶たれた。わたくしは宿屋の窓から、活気のない灰色の空を見上げていた。打つ手なし。これほどの良質なプロダクトがあっても、市場へのアクセスがなければ、価値はゼロに等しい。
コンサルタントとして、初めて「敗北」の二文字が脳裏をよぎったその時だった。
コン、コン、と扉を叩く音。
どうせ、レオンハルトだろう。そう思って気だるく扉を開けると、そこに立っていたのは、見知らぬ男だった。
上質な、しかし異国の意匠が凝らされた衣服。日に焼けた肌と、鋭い商人の目。彼はわたくしの顔を見ると、恭しく一礼した。
「ノルドクレイの領主、エリアーナ様でいらっしゃいますね」
男は、流暢な王国語で言った。
「我が主が、貴女様の『奇跡のお茶』に、大変な興味をお持ちです。ぜひ、お話をお聞かせ願えませんでしょうか」
運。コンサルタントとしては否定しなければならない言葉だ。けれど、今回ばかりは「運」を信じてみることにした。




