25 お断り
「ねー……アレイスター竜騎士団を辞めて、僕が用意する家に住めば良くない?」
「お断りします」
また、セオドアが私を見掛けて『アレイスター竜騎士団を辞めて付き合おう』と言い出した。
これって恋愛禁止の規則に抵触するのではないかと質問したら、男女が付き合ってからが問題になるから、告白段階では問題にならないらしい。
何回振られてもめげないのは、人が羨む様々なものを持つ自分に圧倒的な自信を持っているからだと思う。そして、それを断っている私に興味を持っているだけで、一度頷けば、きっと興味を失ってしまうのではないかしら。
……とはいえ、これはいつもの事なので、私もいつものように断った。
「どうして。普通の貴族令嬢は、それを望むはずだけどね。忘れているようだけど、僕はオブライエン公爵家の嫡男だよ。ウェンディ」
私はセオドアの主張を聞いて、立ち止まった。
普通の貴族令嬢が望むもの、身分が高い素敵な男性と結婚して、裕福で優雅な暮らし、社交界上で有利な家系であれば尚良し。
……そうよね。だというのに、私はどうして、このセオドアでは嫌なのかしら。
「……どうしてかしら」
万が一、お父様の借金がなくなり社交界デビューをしたとしても、私は求婚者を募ることになるし、セオドアならばそんな中で最高とも言える条件を持つ男性と言えるだろう。
それなのに、私は彼では嫌だと思ってしまうのだ。
「ね? 断る理由はないんだよ。ここをすぐにでも辞めれば良い。働くことなんてしなくて良いんだから。ウェンディが困っていることは、僕がすべてお金を出すんだよ?」
「……お断りします」
一瞬、心が揺れかけたのは、弟リシャールのことがあったからだ。私がセオドアと結婚すれば、あの子の将来は明るいものになるかもしれないと思って。
けれど、私は現在団長と契約結婚中で、困っていたところを助けて貰い、まだいつまでとも決めていない。セオドアと付き合って婚約して、ゆくゆくは結婚をという話には、頷くことは出来ない。
「おはようございます。副団長。ウェンディ」
「……おはよう」
「おはようございます」
一人の竜騎士が挨拶をしつつ横をすり抜けて、廊下で立ち止まっていた私とセオドアはそれに答えた。
私がアレイスター竜騎士団で働き出した当初は、恋愛禁止の規則もあり、どうせすぐに辞めてしまうだろうと思っていたから、ここで働く皆は近寄らなかったのだ。
けれど、今ではちゃんと挨拶をしてくれるし、食堂でもあからさまに避けられるということはなかった。
徐々にではあるものの異分子が居るという緊張は解け、私もアレイスター竜騎士団の一員になれているようで嬉しかった。
「ウェンディ。君ってすっかり、アレイスター竜騎士団の一員になったみたいだね」
「嬉しいです……ここに雇って貰って良かったって、そう思います」
「……やっぱり、アレイスター竜騎士団を辞めて、僕と付き合おうよ」
「いえ。無理ですしせっかく苦労して一員になれたので、お断りします!」
セオドアは何度断っても、諦めてくれない。
というか、私に交際を断られることを、楽しんでいるのかもしれない。
……きっと、本来なら彼が交際を断られるなんてあり得ないし、それでも断っている私のことを、揶揄って楽しんでいるんだわ。
◇◆◇
「ウェンディ。良い? 見ててよ」
柵の上に乗ったアスカロンが私の方を見てそう言ったので、私は何度か頷いた。
ぴょんっと飛び降り床に落ちるっ……と思ったら、ふわっと浮いて、アスカロンが室内を飛行していた。
パタパタと羽根を動かし、竜は羽根の浮力だけで浮いている訳ではないらしいけれど、飛行を始めた時からは比較にならないくらいに飛行時間が延びている……。
「すごいっ……! すごいわ。アスカロン」
「えへへっ。長い時間、飛べるようになったでしょう?」
飛行を続け最終的には床にぽてんと落ちて、得意げな表情を見せるアスカロン。私はこの子が孵化したすぐ後から、ずっと成長を見守って来たのだ。
こんなにも大きくなって……という感動の思いは、ひとしおだった。
「完璧ね。アスカロン。もう少しで巣立ちだけど、私にも会いに来てね」
「……? うん。僕は成長しても母さんのところに居ることになるし、アレイスター竜騎士団所属になるんだよ」
「そっ……そうなの?」
私は驚いてしまった。だって、巣立ったらもうほぼ子竜たちに会えなくなるのかと悲観的に考えていたからだ。
「うん。巣立つって言っても、僕らはここに居るよ。それに、いつか竜騎士と契約しないといけないから、どこにも行かないけど」
「……私、アスカロンと会えなくなるかもしれないって思って……」
本当にそう思って居たのだ。竜舎に居る子竜たちだって、とっても可愛いけれど、唯一会話をすることの出来るこの子には特別な愛着を感じていた。
「大丈夫だよ。僕はどこにも行かないよ」
アスカロンは私に近寄り、足を抱きしめようとしたので、私は彼を抱き上げた。顔を近づけると、向こうから頬擦りをしてくれた。
「どこにも行かない?」
「行かないよ……ん?」
真っ黒な目を見開いて何かに気がついたという顔になったので、私は不思議に思った。
「……どうしたの?」
「父さんだ。すぐ近くに居る」
アスカロンは父竜ウォルフガングがどこに居るか、わかるようなのだ。だから、彼が近くに居るということは……。
「……ジルベルト殿下が、ここに?」
「そうみたい。ジルベルト殿下、何かすごく怒っている。けど、父さんも出来るだけ止めたって」
「ごめんね。私行ってくる!」
私はアスカロンを床に降ろして部屋を出た。ここにジルベルト殿下が来るということは、団長に用があると言うこと……団長を何かで責めようと思っているということ。
今、考えられるのは、この前のアスカロンが体調を崩した時のことだ。
私は以前から、彼に一言言いたいと思っていた。どうしようもないことで、団長を責め立て……それは、子竜を育てる上で、避けがたいことだったとしても。
私は子竜たちを育てる子竜守として、あれは仕方ないことなのだと、そう証言するつもり。
それで不敬罪と言われてしまうのなら、甘んじて受けても良い。
……どうせ、私の家。グレンジャー伯爵家は没落し、貴族の身分を持つだけの平民になってしまっているのだから、何を恐れることがあるのかしら。
やはり、以前と同じようにウォルフガングが居て、石畳の廊下のある場所で、ジルベルト殿下と団長は対峙していた。
「おい……よくも俺に、恥をかかせてくれたな」
「非常に心苦しく、申し訳ないと思っております」
「はっ……口だけなら、なんとでも言えるがな。どうするんだ。ユーシス。詫びの言葉なら聞き飽きた」
つまり、言葉だけの謝罪なら受け入れないってこと……? アスカロンが風邪をひくかどうかなんて、団長にはどうしようもないことなのに。
……こんなの、酷すぎる!
私が彼らの前に出ようとしたら、肩を引かれて振り返り、そこに居た人に驚いた。
「ジリオラさんっ?」
「やりたい事はわかるけど、ここはウェンディは何もしてはいけないよ。私はもう若くないし子どもも居ないけど、あんたにはまだ明るい未来があるからね」
そう言ったジリオラさんは、ジルベルト殿下と団長が対峙している場に出て堂々と言い放った。
「子竜の体調なんて……私たち、子竜守にもどうしようもない。どうしようもないことで、臣下を責め立てるとご自分の品格を下げますよ。殿下」
「なっ……お前。イスマエルの妻、ジリオラか。子竜守の……」
一瞬、とても険しい表情になったけれど、ジルベルト殿下は慌てているようだった。
……そういえば、ジリオラさんの旦那さんは亡くなってしまったとは聞いていたけれど、どんな人だったか……これまでに、聞いたことがないかもしれない。
「ええ。こちらで働かせて頂きまして、三十年は越えます。殿下が生まれた時のことも、覚えておりますよ。亡き夫も、今の殿下の姿を見てきっと喜ぶでしょう……そんな私から言わせていただくと、ユーシスが何も言わず耐えているからと言い過ぎやり過ぎです。王族という立場を利用した虐めですよ。お恥ずかしい」
「ジリオラ。しかし、これは……」
団長の責任を問いたいジルベルト殿下は、顔を歪ませていた。どうにかして、団長が悪いとこじつけたいようだ。
自分がやった事は認めないで……最低な人。
「別に死んでも構わないと思って、今、ここにおります……ですが、私をここで切って捨てれば、必ず両陛下からお怒りを受けますよ。アレイスター竜騎士団の前々団長であるイスマエル・ラモルリエール。王族の皆様の命を救うため亡くなった、あの男の妻を殺したと、そんな汚名を着たいのならば」
ジリオラさんは啖呵を切って、その場は沈黙に包まれた。
……知らなかった。ジリオラさんの亡くなった旦那さんは、アレイスター竜騎士団の団長だった人なんだ……。
「……したくない」
「それならば、これでお帰りください。イスマエルにも、救った命が人々を救う良い王族になったと思わせてくださいよ。あのユーシスは私の見たところ、王族の横暴に耐えているだけのように見えますよ。なのに、忠実な臣下であろうとしているようですがね」
「帰る」
これは分が悪いと思ったらしいジルベルト殿下は短くそう言うと、その気配を察し首を低くしていたウォルフガングに飛び乗った。
上空に彼らの影を見るまで、ほんの一瞬。すぐに遠ざかって行ってしまった。
「……ジリオラさん」
「あの子には、前々からこれを言ってやりたかったんだよ。あー……すっきりした」
私が彼女に近付くとジリオラさんは、清々しい笑顔で言った。
「あのっ……亡くなった旦那さんって、アレイスター竜騎士団団長だったんですか?」
「おや。言ってなかったかね」
「聞いてません!」
「アレイスター竜騎士団は大昔に色々あって、恋愛禁止の規則が出来たんだが、結婚していたら別に良いんだよ。私たちもそうだったからねえ」
「そっ……そうなんですか」
その時の私は目に見えて挙動不審になってしまったのか、ジリオラさんはにやりと微笑んだ。
「結婚してたら、良いんだよ。正式に結婚している夫婦は、揉め事も少ないからねえ」
そして、こちらへと近付いて来る団長と私の二人を見比べて、楽しそうに笑った。




