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23 目眩

「ウェンディ」


「はっ……! はい!!」


 私は書類を手にして廊下を歩いていると団長に呼び止められ、驚きのあまり素っ頓狂な大きな声を出してしまった。


 周囲に居た竜騎士たちも驚いた様子で私たちが居る方向を見ていたし、団長が『なんでもない』と片手を振ってようやく彼らからの注目が収まった。


 明らかにおかしな動きをしてしまったけれど、恐縮してしまうしかない。もう嫌……何か隠し事するなんて、私は向いていないわ。


「すまない。驚かせたか」


 心配そうな眼差しで私を見つめ、何も悪くないのに自ら謝ってくれる団長。なんて優しいの。


「いえ……団長は何も悪くありません」


 本当に、悪くないです。私が嘘が、とても下手なだけで……。


「いや……ああ。何を考えているか、わかっているから、大丈夫だ。ウェンディに、少し頼みたいことがあってな」


「はい。もちろんです! 何でしょう?」


 私は団長に頼みたいことがあると言われ、とても嬉しかった。


 団長はここまで私のお願いを聞いてくれたり、上司として色々と助けてくれたりとしてくれていたけれど、私がこうして彼の頼みを聞けたことはなかった。


 ……嬉しい。何か私が出来るなら。


「俺の知り合いの娘が、有名店のお針子になりたいらしいんだ……だが、その店は採用基準が高いようで」


 団長が口にした店名はディルクージュ王国でも有名で、お客を選び人気があるため、貴族令嬢たちはそこでドレスを造ってもらうことを待ち望んでいる方も多い。


「まあ。素敵な夢ですね」


 私は団長の話を聞いて、素直にそう思った。こうして働くようになって知ったことだけれど、やりたいこと好きなことを仕事にしている人は、いきいきとして楽しそうだ。


 もちろん、事務作業が好きだったり、誰かと話すことが好きだったりと、仕事の向き不向きはあるだろうけれど、やりたいと思った仕事先に就けるならば、それが一番良いだろうと思う。


「子竜守の仕事もそろそろ落ち着いて、昼に時間があるだろう? ウェンディにはその娘さんにサイズを測ったり、ドレスの仮縫いをする試験の練習台になって欲しいんだ」


「もちろんです! 私で力になれるのなら、とても光栄ですわ」


 団長のゆかりある娘さんの夢のお手伝いが出来るなんて……幼い頃からドレスを着ていたから、サイズを測ったり仮縫いをして貰う経験なら、何度もあるからお客役は上手くこなせるはずだもの。


 私もここに雇って欲しいとお願いして待って居る時、心臓が飛び出そうなくらい緊張をしていた。少しでも彼女が採用される可能性を上げる手伝いなら、いくらでもしたいと思う。


「引き受けてくれて、ありがとう……また、日付や時間が決まったら連絡するよ」


「はい」


 なんだか、久しぶりに見た団長の笑顔。これって、何回目だっけ? ううん。これまで数え切れないくらい、私の前で笑ってくれてるってことだよね。


 ……嬉しいなあ。


「えー……二人とも、ここでこそこそと、何話しているの?」


「セオドア」


 私の背中側から声が聞こえたので、慌てて振り返れば、そこには半目になっていたセオドアが居た。


「あやしー……なんか、今二人の周囲に変な空気あったんだけど……」


 セオドア……いつから、ここに居たの? まるで、気がつかなかった。


「お前の気のせいだ。おい。勘ぐるなよ。ウェンディは俺の頼み事を、ただ引き受けてくれただけだ」


 団長は彼に近付いて珍しくセオドアの肩を組むと、私には手を振って早く行くようにと指示した。


「えー……あやしいよ。ユーシス。何か隠してる?」


「あやしい事なんて、何も頼んでない」


 捕まってしまう前に、私は早足で言い合う二人から離れた。セオドアったら、私たちをどこから見ていたのかしら?


 ……私たちは決して、そんな仲に見えてはいけない。


 団長と結婚をしているとは言っても、ただの契約結婚だし……アレイスター竜騎士団は恋愛禁止なのよ。しっかりしないと。



◇◆◇



「……参ったね。今まで熱を出したことはなかったのに、アスカロンが体調を崩しているんだよ。無理矢理に連れて行っても、それはそれで御不興を買うだろうからね」


「そうか。俺が陛下には説明するから、連れて行かない。ここでゆっくりと休ませてやってくれ」


 団長とジリオラさんが難しい表情をして会話しているのが見えて、そこに偶然通りがかった私は不思議に思った。


 アスカロンは昨日からあまり体調が良くないようで、薬の入ったミルクを飲ませていたんだけど、今朝には本格的に風邪をひいてしまったようなのだ。


 けれど、子竜はまだまだ免疫があまりなく、風邪をひいてしまうこと自体は、たまにあることだったので、私はあまり気にしていなかった。


 団長は正装姿ですっきりと前髪を上げていて、いつも以上に格好良かった。そんな彼が足早に去ってから、ため息を何度かついていたジリオラさんに私は近付いた。


「あのっ……何か、あったんですか?」


 私がジリオラさんに質問すると、彼女は頬に手をあててつらそうな表情を見せた。


「いやねえ……今日は実はアスカロンの王族への、お披露目する予定があったんだよ。あの子は神竜同士の子で、とても珍しいから。けど、これまでは元気そのものだったのに、こんな日に限って体調が悪くなってしまうなんてねえ……またこれもユーシスの責任になってしまうだろうから、私も胸が痛いよ」


「……あ。アスカロンは……」


 ……そうだった。


 アスカロンは団長の竜ルクレツィアの子でもあるけれど、第二王子ジルベルト殿下の竜ウォルフガングの子でもあるので、どんな子竜なのかと王族たちが気にされるのは当然のことだった。


 けれど、子竜たちが熱を出す出さないは、団長がどうこう出来る話でもないのに……。


「ユーシスはこれでまた、ジルベルト殿下に何か言われると思うとねえ。直接の責任は私の監督不足なんだけどさ。私の雇い主は、ユーシスだからね」


「どうして。団長ばかり、責められないといけないなんて……おかしいです」


 アレイスター竜騎士団でアスカロンが育てられているのは、団長の竜ルクレツィアが母竜だからだ。それは、大昔からの決まりのことのようで、巣立ちまで近くに母の気を感じられるようにと配慮されてのことらしい。


 ……もし、この雌雄が逆であるなら、あの子は城で育てられることになっていただろうし、責任問題は殿下側になってしまうだろう。


 だと言うのに、ジルベルト殿下は団長に文句を言うばかり。


「まあ、おかしいけどね。おかしい事ばかりなんだよ。世の中は。大体ね。ウェンディも今日は疲れただろうから、帰って良いよ」


「あの……私、今夜はアスカロンの看病します」


 本来なら、徹夜で付きっきりの看病は、新人竜騎士が担当するのだけど、私も以前やったことがあるし……それに、あの子の声が聞こえるから、今ならば何をして欲しいのか理解することが出来る。


 あの時の私はそうしたいと思ったから、今夜それが出来るのなら、あの子にしてあげたかった。


「……私が何を言っても聞かないって、そんな顔をしているよ。ウェンディ。ここに来た時から、本当に逞しくなったね」


 ジリオラさんはそう言って苦笑いして、私にもうアスカロンの部屋へと行くように言った。


 風邪をひいてしまったアスカロンは、ぶるぶると身体を震わせていた。私は小さじでその口に、そっと薬入りのミルクを入れた。


 夜半過ぎ、アスカロンがようやく喋ってくれた。


「……そのミルク、とんでもなく不味いんだけど……どうにかならないの?」


 これまでぐったりとしていて、喋る気力もなかったんだろうけれど、ミルクの味に文句を付けるようになったのなら、かなり良くなってきたのかもしれない。


「けど、風邪を治すために必要なことよ。アスカロン。少しずつでも良いから、飲んでくれる?」


「……嫌だなあ……けど、この、気持ち悪いのが続くのは、もっと嫌だなあ……」


 アスカロンは文句を言いつつも、それから少しずつミルクを飲んでくれるようになり、朝方には震えもおさまり、くうくうと寝息を立てていた。


 深い眠りで当分眠ってくれるだろう。


「……良かった! これで、大丈夫ね」


 ほっと安心した私はその場から立ち上がり、ふらっとした強い目眩を感じて身体を支えきれず、その場に倒れてしまった。

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