借金
今時借金の肩に結婚なんてあり得る!?
「弘子、頼む!」
「どうしてお父さんの借金を私が肩代わりしないといけないのよ!?」
「だから、その、競馬で、隣の人が金を貸してくれて……」
「それで負けたって訳!? そんな漫画みたいな展開あるか!」
「お、お前が結婚してくれたら、借金はチャラにすると……」
「ふざけるな! くそ親父!!」
そんな会話をしたのが一週間前。私は父が連絡先として教えてくれた所へ向かった。これから働いて少しずつ返せばいいのよ。
Tコーポレーションか。大手の広告会社。どんな人なんだろう。きっと親父に決まってるわね。若い娘を嫁になんて言うんだもの。
弘子はTコーポレーションの受付で、名前を伝えた。
「あの、お約束は……?」
「は? してませんけど。ちょっと呼び出してもらいたいんです」
「そうおっしゃられても……」
なんとも歯切れの悪い受付だ。
「何階ですか? 自分で行きます」
ざわざわ
「お客様、お待ち下さい」
「何の騒ぎかな?」
いきなり男性が現れた。
「人に会いに来ただけです」
私がぶっきらぼうに言うと、その男性に腕を捕まれエレベーターに乗せられた。
「ち、ちょっと! どこへ行くのよ!」
「君が会いたい人のところへ」
「え……?」
ポーン
「さあ、着いたよ」
そこは広く東京を見下ろせる場所。
「ようこそ。Tコーポレーションへ。弘子さん」
「あ、あなた、まさか」
「そう。私が君の花婿だよ」
そう言うと、その男性は不適に笑った。どう見ても、30代前半。しかもいい男。
いやいや、借金の肩に結婚なんて常軌を逸している。
「お茶を一杯どうかな?」
「結構です」
「君が来た理由は大体検討がつくが。社長夫人は嫌かい?」
「そんなものになりたがったことなんてないわ! 私は好きな人と結婚するのよ! とにかく、借金は働いて返しますから」
「いくらか、お父さんから聞いてないのかい?」
「え? どういう……」
「1億円だよ。競馬だけじゃないからね」
1億円!?!?
私は目眩がした。これでは返すことは無理に近い。
私はふらりと体が傾いだ。
「危ない!」
私を抱き止めてくれたのは彼の腕。便りになりそうな大きな……
はっ、何を考えてるのよ! いくらイケメンで金持ちでも、人身売買のようなことをする男よ!
「弘子さん、君のお父さんとは借用書を交わしてある。期限は1ヶ月」
「1ヶ月なんてとても……そ、それに、こんな人身売買みたいなこと許される訳ないわ!」
「そうだね。だから結婚のことは君のお父さんとの口約束だよ」
「とにかく!働いて……」
「1ヶ月で1億円?」
彼は笑った。
悔しい~~~!!!
リーン、ゴーン
どうしてこんなことに……?
「さあ、笑って」
「無理言わないで!」
「Tコーポレーションの取材でカメラも来てるからなあ」
「な……」
「さあ、笑って。にっこりと」
私はひくついた笑みを浮かべた。
それを見て笑う彼。
「そんなに笑わなくてもいいでしょ!」
これが、いちゃついているように見えたらしい。
新聞には熱愛報道がされた。
社長夫人になって1日目。疲れた。昨日の結婚式で滅茶苦茶疲れたわ。あのくそ親父め! 涙なんか流しやがって! 「お似合い」だと!? ふざけるなあ!
「弘子さん、起きたかい?」
「ええ、田澤さん」
「雅人と呼んでくれないかな。夫婦になったんだし」
「形式状のね!」
「私はそんなことは思っていないけどね」
騙されないんだから。こんなイケメンに愛人の一人や二人や三人や四人や五人はいるはずよ!
ぐ~
私のお腹が鳴った。げげっ。
「お腹が空いたみたいだね。私もだよ。とにかく朝食にしよう」
結婚式後に連れて来られたのは彼の家。私にとってはお城のよう。どこの部屋でも好きな部屋をと言われ、南向きの少し小さめの部屋をお願いした。使用人は、もっと広い部屋を勧めたが、あまり大きな部屋だと落ち着かないので、そこにした。
雅人は朝早く出て、夜遅く帰ってくる。帰ってくると、ソファーに座り、疲れた顔を見せる。私は思わず口走った。
「働き過ぎなんじゃない?」
「心配してくれるの?」
「べ、別に心配なんて……」
その時、雅人は優しく笑った。
「弘子さん、こちらへ」
魔力にでもかかったように、私は雅人に近づいていった。雅人はそっと私の手を取ると、口づけを落とした。
ドキン
「私、もう寝るから」
逃げるように私は居間を跡にした。
「おやすみ」
彼の声は優しかった。
次の日もその次の日も、雅人は働き通しだ。と思ったら、体調を崩した。過労から来る風邪だそうだ。弘子は彼の部屋へお見舞いへ行った。
一応、つ、妻だし! お見舞いくらいはしないと!
弘子が入った部屋では苦しそうに喘ぐ彼。弘子は心配になり、側に近寄った。思わず額に手を置く弘子。
「ああ、気持ちがいい」
「大丈夫?あなた、働き過ぎなのよ。時には休息も必要よ」
「……ああ、そうだね。君が側にいてくれるなら、早く良くなりそうだ」
「馬鹿言ってないで、ゆっくり休むのよ」
一緒に暮らしているうちに、情がわいたらしい。弘子はそう思った。
弘子が部屋を出ようとした時、雅人に呼び止められた。
「弘子さん」
雅人はベッドから起き上がっていた。
「駄目よ! まだ寝てなきゃ! 熱が!」
「少しなら大丈夫だよ。これをもらって欲しいんだ」
雅人が引き出しから出したのは、一つの指輪。
「指輪ならもうもらった」と続けようとした弘子を遮って、雅人は言った。
「これは母の形見なんだ。君に持っていて欲しい」
そう言うと、雅人は弘子の左手を取り、そっと薬指にはめた。
「そんな大事なものを私に……?」
「君だから持っていて欲しい」
ドキン
私、どうしたというの?
「と、とりあえず、ベッドに寝た方がいいわ。熱も下がってないんだし」
「ああ、そうだね。こんな俺に君は優しいね。以前お年寄りを助けていたように……」
「え?」
「い、いや、その……」
雅人の顔が心なしか赤い。熱のせいだけではなさそうだ。
「どういうこと?」
「いや、その、だから……君が老人を助けているのを見て、それで……。その、…………一目惚れだった」
彼の顔は真っ赤だ。
多分私の顔も真っ赤だろう。
「そんなこと一言も……。借金の肩にって……」
「そうでもしなければ、君と出会えないと思って……」
私は笑いだした。
この不器用な人が、愛しく思えてきたのだった。
雅人は恥ずかしいのか、向こうを向いている。
「雅人さん」
こちらを向いた雅人の額に、弘子はそっと唇を落とした。




