《第二十一章 勇者修行志願!》その⑤
「ぼく、もう帰ります」
勇者と妻シンシアの暮らす家の食卓、夕食を食べ終えるなりマルチェロはそう言った。
「帰るって……明日?」
シンシアの問いにマルチェロがはいと答える。
「勇者様に憧れて、修行に行ったのに、この方からはなにも勇者らしいことや心構えを教えてもらえませんでしたから……」
当の勇者はもぐもくと夕食を咀嚼するだけだ。
「明日の朝に帰ります」
マルチェロが勇者のほうを見、「あなたには失望しました」と不満を漏らす。
「おやすみなさい」とマルチェロがぺこりと頭を下げると、寝室へ入っていく。食卓には勇者とシンシアのみだ。
「ねぇ、本当にこのままでいいの? 教えてあげたっていいじゃない?」
「こういうことは口で伝えたり、技を教えたりすればいいってもんじゃないんだ」
「そういうものかしら……」
ふぅっとシンシアが溜息をつく。
翌朝、朝食を食べ終えたマルチェロは荷物をまとめると玄関の扉を開ける。
「お世話になりました。シンシアさんのご飯美味しかったです」
ぺこりと頭を下げる。
「うぅん。こっちこそいろいろ手伝ってくれて助かったわ。正直、あのぐうたら亭主よりマル君のほうが役に立ったわよ。でも本当にいいの? お別れをしなくて……」
「いいんです。あの人はもう、ぼくの知っている勇者様ではなくなっていますから」
「そう……」
また遊びに来てね、とシンシアが微笑むとマルチェロが恥ずかしそうに「はい」と答える。
手を振って見送り、扉を閉めると寝室から勇者が寝癖のついた髪を掻きながらのそりと出てくる。
「遅いわよ。マル君もう帰っちゃったわよ」
「ん、そか……」
シンシアがまた溜息をつく。
村から街へ延びる街道をマルチェロはひとりとぼとぼと歩く。マルチェロが住む家があるグラン城下町へは街を通る必要があるのだ。
なんだよ……あの人、ただダラダラしてるだけじゃないか……これなら自分で剣の稽古してたほうがマシだよ……。
マルチェロの目尻からじわりと涙が滲む。悔しさと失望がない交ぜになった涙をごしごしと拭う。と、少年の頭に知恵が閃く。そのアイデアに少年は自信満々に笑みを浮かべる。
ぼくにだって……!
そのアイデアを実行に移すためにマルチェロは街に向かう足取りを早めた。
一方、勇者は朝食を食べ終えて、くぁっと欠伸をひとつ。流しで食器を洗い終えたシンシアが勇者へメモを渡す。
「今日ヒマでしょ? 街にお使い行って来て」
「へいへい」と買い物のメモを受け取る。
身支度を整えて玄関から出て、しばし歩くとやがて街に着いた。
頼まれた野菜を買うために八百屋へ向かおうとする勇者を「あら? 勇者様?」と呼び止める者があった。
冒険斡旋所、ギルドの受付嬢のエリカである。
「勇者様、依頼の最中ではなかったんですか?」
「? 街にはいま着いたばかりだし、だいいち依頼なんて受けてないぞ」
「変ですね。勇者様に頼まれたから依頼書を持って行くって、あの子が言ってたのに……」
勇者の顔色が変わる。
「エリカさん、その依頼の場所は!?」
街から離れた草原地帯のなか、マルチェロはひとりぼろぼろになった木剣を手に立っていた。彼の周りには絶命してぴくりとも動かないイワトカゲの死骸がそこかしこに転がっている。
「どうだ……! ぼくにだってやればできるんだぞ……!」
肩で息を切らしながら少年が言う。年齢制限により、ギルドの依頼を受けることが出来ない彼は勇者に頼まれたと騙ってここ、草原地帯のイワトカゲの駆除に来たのだ。今の時期は繁殖期のため、ここに集まってきたところをマルチェロは木剣で一匹ずつ叩き殺した。
早速駆除成功の証のために尻尾を切り落とそうとナイフを取り出す。
しゅう……。
呼吸音にも鳴き声にもとれる音が聞こえた。
音のするほうを見ると草藪から蛇が大人の頭と同じ大きさの顔を覗かせながらちろちろと細い舌を出しながらこちらを見ている。
マルチェロは一瞬ぎょっとしたが、すぐにナイフを握り直す。
大丈夫……こんなにイワトカゲを倒したんだ。やればできる……!
そう少年が決意を決めると、途端、蛇が鎌首をにゅうっと上にあげる。
草藪で隠れて見えなかったが、大きさはマルチェロの背丈をゆうに超えていた。
――大蛇!
人間の子どもでさえ丸呑みしてしまうほどの、てらてらと光る胴体が露わになるとマルチェロは思わず身震いした。
大蛇は繁殖期を迎えて群がるイワトカゲを狙って巣穴から出る習性があることを少年は知らなかった。少年がこのクエストをこなすには知識も経験も足りない。
大蛇はまさしく蛇に睨まれた蛙のごとく動けない少年を見てにたりと嗤うように大口を開け、唾液がしたたる口から鋭い牙を覗かせる。
牙には毒液があり、それで獲物を弱らせてから丸呑みにするのだ。
「う、う……」
少年は震えながらもナイフを構えるが、大蛇が相手では児戯に等しい。
「BOWEEEEEE!!」
大蛇があたり一面に響く咆哮をひとつ。目前の少年をへたりこませるには十分、いや十分過ぎた。
「あ、ぅ……」
ぼくにだって……!
その言葉を口に出したくても出ない。理想と現実は無情にも天と地ほどの差があることを少年はこの時知った。
「BWOAAAA!!」
大蛇がその細い体を呑み込まんと大口を開ける。
だが、次の瞬間、大蛇の頭は炎に包まれた。
「GWEEEYYYEEE!?」
大蛇はばたばたと身をよじらせて火を消そうとする。
「大丈夫か!?」と馴染みのある声。
勇者だ。草むらを踏み越えて、少年のもとへと駆けてくる。
「ご、ごめんなさい……ぼく……」
「ケガはないか!?」
マルチェロが答えるより、大蛇の唸り声が制した。
「BYWAAAA!」
勇者の炎の魔法で焼けただれた顔をこちらに向け、牙を剥く。
だがそれよりも勇者がマルチェロからひったくった木剣が大蛇の顎に決まるのが早かった。牙が折れると同時に木剣も折れる。
痛みで叫びながら倒れた大蛇が鎌首を上げようとするが、マルチェロからひったくったナイフによって地面に留められた。
ぴくりぴくりと尾を二度三度横に振るとそれきり動かなくなった。
あっという間の出来事にマルチェロは開いた口が塞がらなかった。
すごい……。
少年の頭にがつんと勇者の拳骨。
「バカ! 死ぬかもしれなかったんだぞ!」
マルチェロは叩かれた頭を抑えて泣く。
「ごめんなさい……ぼく、勇気を、ひとりでも出来ることを見せたくて……」としゃくりあげる。
勇者は安堵感と呆れがない交ぜになった溜息をひとつつくとマルチェロの目線と同じになるように片膝をつく。
「マルチェロ、お前は勘違いしてるよ。俺が、魔王を倒せたのは俺ひとりだけの力じゃないんだ」
マルチェロが顔を上げる。
「神官のセシルや魔女のライラ、武闘家のタオとドワーフのアントンという仲間がいたからこそ出来たんだよ。もちろん俺ひとりで出来たこともある。けど、みんなでやり遂げたことのほうが多いんだ。
ひとりで勇敢に挑む人よりも、恥を捨てて仲間から助けられる勇気を持っている人が、ほんとうの勇者だ」
わかるか? と少年の頭にぽんと手を置く。
少年はしゃくりあげながらも、うんと頷く。
「よし、じゃギルドのエリカさんに謝りに行こうか」
マルチェロはギルドでこっぴどく叱られ、泣きながら謝るのをそばで勇者が見守る。
「まったく……ウソをついてはいけませんよ? 今回は勇者様がいたから良いものの……」
「ごめんなさい。もうしません……」
受付嬢のエリカが少年が反省したところをみると、「ん、よろしい」と頭を撫でる。それから勇者のほうへ向き直る。
「正式に依頼を受けたわけではありませんが、駆除はしてくれましたので、これは報酬です」と硬貨の入った小さな袋を差し出す。
勇者は受け取ると、エリカに軽く会釈すると、マルチェロに帰るぞと声をかける。
マルチェロは目をごしごしと拭くと勇者の後についていく。
ギルドの外に出ると、勇者は小袋から数枚の硬貨を取り出すと「ほらお前の分だ」とマルチェロに渡す。
「で、でも」と断ろうとするマルチェロにいいから、と受け取らせる。
「ふたりでクエストをこなしたんだ。だから、お前にも受け取る権利はある」
「はい……」
「ん、よし。これから夕飯の買い物行くけど、付き合うか?」
「はい」
「今夜はかぼちゃのスープだぞ。帰る前に食べて来いよ。シンシアの作るメシは美味いからな」
「はい……!」
勇者のあとをついて行く。マルチェロがぴたりと止まる。
「あの、勇者さま!」
「ん?」
マルチェロが口を開こうとする。
「……長! 騎士団長殿!」
兵士の声にマルチェロは目を覚ました。遠い昔の思い出の夢から覚めたマルチェロ騎士団長は椅子に座ったまま伸びをひとつ。
「約束の時間です」
「ん、おおもうそんな時間か」
グラン城の兵士詰め所の応接間のソファーにひとりの男が座って待っていた。
扉が開いたので男が慌てて立ったので騎士団長はそのままでと手で制する。
「遅くなりました。して本日は私になにかお尋ねしたいことがあるとか……」
「は、はい。あなたが指揮を取られているマルチェロ騎士団は大陸で一番強い騎士団と伺っています。それだけでなく統率力も優れているとお聞きしました」
グラン地方紙の記者、ヘルムートが尊敬の眼差しでまくしたてる。
マルチェロ騎士団長はいやいやと謙虚に振る舞う。
「当紙の記事であなたの騎士団について書きたいのですが、ずばり強さの秘密とはなんでしょうか?」
「なにも私ひとりの力ではありません。彼らは厳しい訓練によく耐え、私を信じてついてきてくれた、ただそれだけのことです」
ヘルムートはさらさらとメモを取る。
「私が兵士全員にいつも聞かせている言葉があるのですが……」
「そのお言葉とはなんでしょうか?」
マルチェロ騎士団長がすぅっと息を吸う。
「ひとりで勇敢に挑む人よりも、恥を捨てて仲間から助けられる勇気を持っている人が、ほんとうの勇者だ」
ヘルムートが一言一句漏らすまいと書き留める。
「もっともこれは私の言葉でなく昔、私がまだ子どもの頃にある方から教えられたのです。そのおかげで私は夢だった騎士になることが出来たのです……」
マルチェロは静かに目を閉じて、勇者の姿を思い浮かべる。
やっぱり、あなたこそ真の勇者です……。
次回の冒険?に続く。
次回は短編集です。
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