《外伝 TAO》前編
勇者一行のひとり、武闘家のタオの過去編です。
「吧ッ! 噴ッ!」
遥か東の地方、周りを山に囲まれた寺院の境内で十数人の拳士たちが掛け声を発しながら左右交互に拳を繰り出す。
「それまで!」
制止の声がかかると拳士たちが同時にぴたりと動きを止め、声の主に向かって拳を片手の掌で包むようにして一礼。
「皆、楽にしてよい。日々の鍛錬、まことに大義であった」
そうカク師範が労う。そして一通り拳士たちを見渡す。だが、何度数えてもひとり足りない。
「あの白帯の少年はどこだ?」
カク師範の問いに拳士のひとりが前に進み出て答える。
「押忍! 恐れながらまた稽古を抜け出したものかと……」
そう聞いたカク師範はまたかと言うように溜息をひとつ。
「しょうがない奴だ。今日はゼン老師がお見えになるというのに……」
武神として名高いゼン老師の名前が出た途端、拳士たちがざわめく。
「あのゼン老師様がお見えに……!」
「老師様にぜひ教えを請わねば!」
拳士たちがわいわいと盛り上がる中、ひとり抜け出した少年、白帯拳士は寺から離れた森の木の上で惰眠を貪っていた。
くあっと欠伸をひとつして伸びをするとむくりと半身を起こす。
木から飛び降りて宙返りして着地するとすたすたと寺のほうへと歩く。
川沿いに歩いていると白帯拳士がまた欠伸をする。すると、前方に老人が地面に腰かけているのが見えた。どうやら釣りをしているようだ。
「おっちゃん、釣れてる?」
釣果を問われた老人は人差し指を唇に当てて静かにするようにと少年のほうを向く。
と、ぴくりとわずかに竿が動いたので、老人が「ほいっ」と手首を動かすとヤマメが釣れた。
釣り上げられたヤマメを素早く掴むと老人の傍らに置かれた籠へ放ると中でぴちぴちと跳ねる。
見ると籠の中にはすでに数匹のヤマメが釣られていた。
「すげぇ! 大漁じゃん!」
ほっほっほと好々爺が笑う。
「坊主もやってみるかの?」
釣り竿を白帯拳士に渡す。だが、少年はその竿を見た途端、目を見開く。
「この竿……針がまっすぐだ!」
ほっほっほとまた老人が笑う。
「針が真っすぐでも魚が咥えた瞬間に引き上げれば獲れるものじゃよ」
簡単そうに聞こえるが、その道を極めなければ出来ない芸当だ。
驚く少年の道着を見て老人がおや、といった顔をする。
「坊主は武術でもやるのかの?」
老人の声にはっと我に返る。
「おう! まだ白帯だけど、こう見えても強いんだぜ」
白帯拳士が構えを見せる。と、大事なことを思い出したように慌てる。
「やべっ! 今日は大事な日だった! おっちゃん悪いけどまた今度教えてくれ!」
そう言うなり白帯拳士は一目散に寺のほうへと駆ける。
老人が慌てる白帯拳士の後ろ姿を見てまた笑う。
「遅いぞ! 今まで何をしていたのだ!」
カク師範の拳骨が白帯拳士の頭をごつんと殴る。
「ってぇ……! 悪かったってば。それよりさ、俺、すげぇ人に会ったんだぜ!」
「無駄口叩いてないでそこに並べ!」
カク師範が指さすほうを見るとすでに拳士たちが一列に並んでいる。
白帯拳士は端に並ぶ。隣の拳士、兄弟子が「また昼寝か?」と小突く。
「皆、静かに!」
カク師範の一声で拳士たちが背筋をぴしっと伸ばす。
「これよりゼン老師様がお見えになる。くれぐれも粗相のないように」
ごくりと白帯拳士が唾を飲む。
いったいどんな人なんだ……? すげぇ強くて怖いんだろうな……。
カク師範が拳を片手の掌で包む、いわゆる洪手と呼ばれる敬意を払う挨拶を始めたので拳士たちも倣い、頭を垂れる。
寺の本堂から足音が聞こえる。だが、頭を垂れているので姿は見えない。
白帯拳士がこっそりと頭を上げて薄目を開けてみる。
本堂から現れたのは強そうで恐ろしい人物ではなかった。それどころか温厚そうな、好々爺だ。
白帯拳士が驚くのも無理はなかった。
「あー! さっきのおっちゃんだ!」
「おい! 失礼だぞ!」と隣の兄弟子が拳骨を喰らわす。
「こ、これはとんだ失礼を」とカク師範が非礼を詫びる。
好々爺、ゼン老師は武神らしからぬ優しい笑顔でほっほっほと笑うと、よいよいというように手を振る。
「また会ったの、坊主」
寺の境内で拳士たちが拳を左右交互に繰り出すなか、ゼン老師とカク師範は本堂で対面していた。
「これはさっき釣ったばかりの魚じゃ。塩焼きにすると美味いぞ」
魚の入った籠をカク師範に渡す。
「お心遣い、感謝いたします」
丁重に籠を受け取って、弟子を呼んで調理するように言いつける。
「それで、ゼン老師。本日こちらに参られたのは魚をご馳走させるためではないのでしょう?」
ほっほっほとゼン老師が笑い、「ばれたかの」とおどけて言う。
茶を啜り、ふぅっとひと息ついてから話し始める。
「実はの、わしの武術を受け継いでくれる者を探しておるのじゃが……」
予想外の応答にカク師範は面食らう。
「し、しかしゼン老師、あなた様の武術は一子相伝、それにあなた様にはご子息のロウ殿がおられるはず……」
ゼン老師がいやいや、と手を振る。
「あの家出したバカ息子はもうええ。それにわしはもうこの先長くないのでな」
ゼン老師がまた茶を啜り、境内で鍛錬に励む拳士たちを眺める。
「このなかで才能があるのは誰かな?」
「それなら左端のリクかと。彼の体術は基本に忠実です」
「ふむ……」
ゼン老師が白い顎髭を撫でながら見込みのあるという若い拳士を見つめる。
「他には真ん中のルオも。彼は拳士のなかでは一番の力自慢です」
「うーむ……」
埒が空かないと見たか、ゼン老師がすっくと立つと境内に降りたつ。カク師範も後を追う。
拳士たちが鍛錬を止めて礼をしようとするところへゼン老師が続けなさいと命じる。
鍛錬を続ける拳士たちを見ながらすたすたと歩く。
「きみ、手首が曲がってる。まっすぐに突きなさい」
「お、押忍! すみません!」
ゼン老師に注意された拳士が頭を下げる。
「きみはもう少し腰を落としたほうが良いかな。それで重心が安定する」
「押忍! ありがとうございます!」
ほっほっほとゼン老師が笑いながら歩く。と、右端まで来たところでぴたりと歩を止める。
白帯拳士の正拳突きをじっと見る。
「坊主はここに来てどのくらいかな?」
「三カ月!」と正拳を交互に繰り出しながら答える。
そこへカク師範がゼン老師のそばに立つ。
「お言葉ながら、こやつは村のわんぱく坊主でして……両親が性根を鍛え直すためにここへ預けられたのですが、稽古はさぼるわ、人の話を真面目に聞かないわで手が付けられない問題児でして……」
「わんぱく坊主とな! 元気がありあまって何よりじゃ!」
ほっほっほとゼン老師がまた笑う。ぽんと白帯拳士の頭に手を置く。
「気に入った。坊主、わしの道場に来んか?」
白帯拳士はきょとんとする。一列に並んだ拳士たちが一斉に白帯拳士を見る。
「お、恐れながらゼン老師! こやつはまだ白帯です」
「帯の色で才能が決まるとは限らんじゃろ?」
くるりと白帯拳士のほうへ向くとにっこりと笑う。
「この子こそ、わしの武術を受け継ぐに相応しい」
ゼン老師は白帯拳士の頭をくしゃくしゃと撫でる。
白帯拳士は状況が飲み込めずにただぽかんとするだけだ。
中編に続く。




