《第十七章 ドワーフとエルフ》後編
「娘っ子、おめぇもはぐれたのか?」
ドワーフのアントンが、足を挫いて蹲くまっているエルフの少女に近寄る。
「寄らないで! 野蛮人!」
エルフの少女、レヴィは嫌悪感も露わに後ずさる。
「私、ドワーフはみな野蛮人で不潔だと聞いております。近寄らないでください!」
「まいったのぉ。ドワーフがみなそうじゃねぇんだがなぁ」とアントンがあっけらかんとする。
目の前でレヴィが起き上がり、その場を去ろうとする。が、挫いた足がそうさせてはくれない。
「あぅ……!」
「大丈夫かの? 娘っ子」
アントンがどれどれ、とレヴィの足を見る。
「こらぁ足を挫いたようだの」
「触らないでください!」
レヴィが再び嫌悪感を露わにする。と、空からぽつりと一粒の雨がアントンの兜に落ちる。
「こら、すぐに本降りになるな。娘っ子、ちょいと失礼するでの」
そう言うとレヴィの細い体をさも荷物を持つかのように小脇に抱える。
「離しなさい! 女性に対してこんな扱いは無礼ですよ!」
レヴィがアントンの太く逞しい腕から逃れようとじたばたする。
だが、細い体のか弱き少女の力ではどうにもならない。
程なくしてぽつりぽつり降っていた雨は激しさを増していき、曇天から雷鳴が轟く。
そのなか、ドワーフとエルフは岩壁の洞穴に避難していた。
アントンが火打ち石をかちかち言わせるとたちまち薪にぼうっと火が付き、穴を明るく照らし出す。
レヴィはと言えば穴の奥で歯を寒さでかちかちと震わせていた。
「娘っ子、もうちっと火のそばに寄れ。風邪引くぞ」
「私にはレヴィという立派な名前があります! 娘っ子などではありません!」
ぷいっとそっぽを向く。
「気難しい娘っ子だのぅ」
アントンが兜を脱いだ頭をぽりぽりと掻く。どっこいしょと腰を下ろすと、腰に下げた革袋からごそごそと何かを取り出す。それは木の実であった。
「おめぇも食うか?」
アントンが葉を皿代わりにして木の実を差し出す。
「ドワーフの施しなど要りません!」
「今のうちに食っとかんと、身がもたんぞ」
「結構です! お腹はすいていませんので」
そう言って断ろうとするレヴィの腹がくぅと鳴ったので、アントンが「体は正直だの!」と豪快に笑う。
レヴィはむうっと頬を膨らませるが、かえって可愛らしく見える。
「ま、とにかくこれはここに置いとくから、食べたくなった時に食べればええ。とくにこのヤマブドウとグミの実は格別だでの」
木の実をレヴィの足許に置くと、アントンは焚き火のそばに戻って居眠りを始める。
レヴィは岩壁を背にドワーフからも木の実からそっぽを向くようにする。
だが、空腹感はますます募る一方だ。ちらりと木の実を見やる。
そして、ごくりと唾を飲み込む。アントンを見るとぐうぐうと鼾をかいているところだ。
次の瞬間にはレヴィは木の実を口に含んでいた。
噛むとぷちぷちと音を立て、そこからじゅわりと甘い汁が口内に広がる。
美味しい……!
ドワーフからの施しなど受けないと断っていた態度は一転して、レヴィはひたすら木の実をひょいひょいと口に運ぶ。
嬉しそうに食べるエルフの少女を、アントンは薄く目を開けながらひそかににやりと笑みを浮かべる。
その時だ。絶え間なく雨が降る穴の外から枝を踏みしだく音が聞こえたのは。
音が聞こえたのと同時にアントンはオリハルコンの斧を構えていた。
「娘っ子! 奥へ逃げろ!」
「え?」とレヴィがきょとんとすると、穴から怪物の頭が牙を覗かせながら狭い穴にねじ込むようにして入ってくる。
「しつこいやつだのぅ!」
アントンが斧で怪物が侵入してくるのを防ごうとする。
怪物、ヒドラの三つの首のうちの一本が雄叫びを上げ、ぐいぐいと穴のさらに奥へとねじ込もうとする。
これにはさすがに力自慢のアントンも抑えきれない。
「……っ! この……ぉっ!」
アントンが副武器の短剣をヒドラの目玉に突き刺す。
目を貫かれたヒドラは狭い穴で長い首をのたうち回らせる。そのため、短剣がアントンの手からすっぽ抜けてしまう。
「こんな狭いとこじゃ、斧も振りにくいわい!」
「これを!」
エルフの少女が差し出したのは焚き火の薪だ。
「ありがてぇ!」
火の付いた薪をヒドラの顔面に押し当てて焼き焦がす。
再びヒドラから痛々しい悲鳴があがる。
ドワーフを噛み砕こうと牙をがちんがちん言わせるが、斧で防御しているので届かない。
レヴィからまた薪を受け取る。今度は先が尖った薪だ。
逆手に構えて反対側の目玉に突き刺す。それが致命傷となったのか、ひとつ雄叫びを上げ、長い首がずしんと倒れるとそれきり動かなくなった。
「ふぅい……しぶとい奴だったのぅ」
アントンが額の汗を拭う。
「娘っ子、大丈夫かの?」
「は、はい……でも平和になったのに魔物が出るなんて……」
「こりゃあ、はぐれ魔物ってぇやつだ。こんな大物は滅多に出ないんだがの」
すると、長首がぴくりと動いたのでふたりは身構える。
だが長首はずるずると引っ張られるように穴の外へと消えた。
そして甲高い雄叫びがびりびりと辺りを震わす。
「死んだのではないのですか?」
「あいつはヒドラつぅて三本首のバケモノだ! 最後の一本を倒さねぇと死なねぇ!」
オリハルコンの斧を構えて穴の外へとアントンが出ようとしたのでレヴィが止める。
「待って下さい! あんな怪物にたったひとりで立ち向かおうなんて無茶です!」
兜を被ったアントンがレヴィに向き直る。
「嬢ちゃんはここで待ってな」
そう言うと雷鳴轟く穴の外へと飛び出した。
雨はますます激しさを増していた。そのなかで首が1本だけ残ったヒドラが耳障りな雄叫びをあげる。
「勇者一行がひとり、ドワーフの戦士アントン! その大将首もらいうける!」
斧を両手に構えてアントンがヒドラへと斬り込む。
それは凄まじい戦闘であった。雷鳴轟くなかでヒドラの牙を躱しながらオリハルコンの刃で首を斬り落とそうとするが、一本になって身軽に動けるようになった首を斬り落とすのは困難だった。
ヒドラの前足が地面を蹴ったので泥がアントンの目に入る。
「真っ先におめぇを倒すんだったわ!」
ごしごしと素早く目潰しの泥を落として、目の前に見えたのはヒドラの牙であった。
「ぬぅうう……!!」
斧で間一髪で防御する。だが、膂力の差は歴然としており、首の一振りによって跳ね飛ばされてしまう。
大木に叩きつけられたアントンはそのまま泥濘にどちゃっと倒れる。
「つぅ……! 今のは効いたわい!」
ヒドラが目前に迫る。アントンは素早く斧を掴むと叩きつけられた大木の幹を横に振り下ろす。
めきめきと軋み音を立てて、大木はヒドラの頭へと落ちる。
鈍い音を立てて大木がヒドラの頭部に命中する。が、致命傷には至らなかったようだ。
「この頭でっかちが!」と毒づく。
ヒドラが大口を開けて牙を覗かせて威嚇する。
雄叫びと同時に近くで稲妻が落ちて地面をぶすぶすと焦がす。
「こらぁ早く決着つけねぇとこっちがケシズミになるわ!」
副武器はもうない。オリハルコンの斧を握る手に力を込める。
また曇天からごろごろと雷鳴が轟く。アントンがぺっと口に入った雨水を飛ばす。
一か八かだが、やるしかねぇ!
オリハルコンの斧をぐんっと後ろに回して、腰を回転させて斧を飛ばす。
狙うはヒドラの頭だ。だが、斧は牙によって捕らえられてしまう。
ヒドラがアントンを睨みつけ、斧を咥えた口をにやりと歪ませる。勝利を確信した貌だ。
「おめぇがそうくるってことは読んでたわ」
アントンがそう言うやいなや、曇天から一条の雷光がいびつな線を描いてヒドラの、オリハルコンの斧へと落ちる。
「GYYEEEEEEEEE!!」
耳をつんざくような悲鳴をあげて落雷をまともに浴びたヒドラはその巨大をぐらりと傾ぐ。地響きを震わせながら泥濘に斃れたヒドラはそれきり動かなかった。
アントンが牙から斧を取り返す。
「ほ! さすがはオリハルコンだの! 頑丈に出来とるわい!」
洞穴のなか、レヴィはただひとり細い体を震わせながら待っていた。
穴からぬっと現れたものがあったのでレヴィは思わずびくりと身を強ばらせる。
「待たせたの。嬢ちゃん」
ドワーフの戦士、アントンはそう言うとにかりと笑う。
「あ……」
思わず涙を溢したレヴィが細い指で拭う。
そら、ツルハシ振れ、スコップ振れ。
金銀財宝ざくざく、ごろごろと出れば値千金とくらぁ。
間違ってもごろごろ芋掘るなっと。
晴れた青空の下、調子外れで歌いながらエルフの少女を背負うのはアントンだ。
「変わった歌ですわね」
「おらぁたちドワーフに伝わる唄だぁね。嬢ちゃんもなにか歌えるのかい?」
「もちろんですわ」
レヴィが音色を奏でるかのような歌声で歌い、アントンがその美声に聞き惚れる。
「うん。嬢ちゃんの唄は綺麗だな」
褒められたレヴィが気恥ずかしそうにする。
ドワーフって武骨者で野蛮だと思ってましたけど……
「考え方が古いのは私も、ですね……」
レヴィがアントンの背中でぽつりと呟く。
「ん? なんか言ったかの?」
「なんでもありませんわ……」
木々を抜け、草むらを抜けてしばし歩くとエルフの里の入り口に着く。
入り口にはレヴィの父親だけでなく、エルフの民もいた。
「レヴィ! 心配していたのだぞ! あれほど外には出るなと」
「ごめんなさい。お父様。私、この方に助けられたのです」
レヴィの父がアントンを見ると穢らわしいものでも見るような目で睨む。
「娘を救ってくれたことには感謝する。だが、所詮ドワーフはドワーフ。すぐに娘をその汚い手から下ろして即刻この場を離れたまえ!」
「お父様! いくらなんでもそんな言い方は……!」
「お前は黙ってなさい!」
アントンがレヴィを下ろして、「ほいほいっと、じゃあ、おらぁはこれで消えるよ。ドワーフはドワーフらしく穴蔵に籠もろうかね」とくるりと踵を返す。
「まって……待ってください……!」
レヴィが挫いた足の痛みを堪えながら引き留める。
「レヴィ!」
父親の制止も聞かずにレヴィはアントンのもとへと行く。
やっとアントンのもとに辿り着き、レヴィはその端整な顔を上にあげると、アントンの胸を引き寄せて唇を重ねる。
アントンが驚いたのも当然だが、エルフの父親と民たちは娘の予想外の行動に開いた口が塞がらなかった。
「レ、レヴィ! わかってるのか!? そやつはあの穢らわしいドワーフなのだぞ!」
ぷるぷると震える指でアントンを指す。
「私、決心しました! 私、この方と一緒になります。もう古い考えに囚われるのは嫌です!」
「な……! わかっているのか!? ドワーフなどと一緒になるということは、親子の縁を、ひいてはエルフの里から永久に追放されることになるのだぞ!」
「構いません! 私は、私の人生を生きたいのです!」
娘の断固とした意思に父は愕然とする。思えば、娘がこうして私に背くのは初めてのことなのかもしれない。
まっすぐに力強い目は亡くなった妻を思わせる。
エルフの民たちも反対の声をあげる。
「もうよい。これよりお前はエルフの里を永久に追放するものとする。その男とどこへなりとも行くがよい」
そう父親が娘に言い渡すとエルフの里へと踵を返す。
娘のレヴィは父の背中に深く頭を下げた。そして、アントンへと向き直る。
「私を、攫ってください」
里を追放されたエルフの少女、レヴィはアントンの肩に乗せられていた。アントンはまたあのドワーフの唄を調子外れで歌う。今度はレヴィも一緒に歌っている。
歌い終わって、アントンがすぅーっと深呼吸する。
「嬢ちゃん、本当にえぇのか?」
「はい。自分で決めたことですから……私、恥ずかしいのですが、今までに自分で決めて、行動したことがないのです。でも……自分のしたことに後悔はしていません」
レヴィはアントンの顔を見る。
「でも、初めてにしてはずいぶん思い切ったことですけれど……」とうふふと笑う。
「違ぇねぇ」アントンもがははと豪快に笑う。
「そう言えば、まだあなたのお名前を伺ってませんでしたわ」
「アントンだ。これからよろしくな、レヴィ」
初めて名前で呼ばれたレヴィは一瞬きょとんとするが、すぐに嬉しさに顔をほころばせる。
「はい! ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
これが世にも珍しいドワーフとエルフの馴れ初めであった。
次回の冒険?に続く。
次回は魔王が主役の番外編です。




