46.
「ジョシュア。あなたもまだ仕事があるわよね? 心配かけて悪かったわね。もう大丈夫よ。ラルフとケンカしただけだから」
「ぼくなら大丈夫です。下準備は終わってますし。それに以前とくらべてずいぶんと暇になりましたので」
王族の人数がどんどん減り、くわえて宮殿での行事がいっさいなくなっている。
国王と王太子の不調や予算がないだけでなく、もはやだれもが王家を見捨てている状態だ。訂正。国王と王太子を見限っている。
宮殿付きの料理人たちが暇を持て余すのは当然だろう。
そんなことを考えながら、どちらからともなく歩き始めていた。
月光が眩しいくらいに降り注いでいる。
(サリーは、怒っているでしょうね。ラルフは、心配してくれているかしら?)
「リオ様は、これからどうされるのですか?」
考えごとをしていたので、あやうくジョシュアの問いをスルーしてしまうところだった。
「これから?」
まるでそんな言葉をはじめて聞いたかのように頓狂な声をあげてしまった。
「ええ。失礼ながら、ここにこのままいらっしゃっても時間ばかりがすぎてゆくのではないでしょうか?」
たしかに、ジョシュアの言う通りである。
ここに来た本来の目的は、国王に嫁ぐこと。しかし、その相手はいまや呪いによって死の床にある。
百歩譲って親の死後その息子である王太子に嫁ぐことになっても、その王太子も時間の問題。
しかも結婚する真の目的は、言葉は悪いが「わたしと寝るだけ」。つまり、わたしの能力。
どう考えても、あのふたりに結婚して生活を送るということはできない。周囲も、わたしが結婚を拒否ろうがラザフォード公爵領に帰ってしまおうが、引き止めたり、ましてやラザフォード公爵領に討伐軍を送ったりしないだろう。
おそらく、だけど。
「そうね。ジョシュア、あなたのいう通りね。このままここにいたって読書や散歩ばかりで、なんの役にも立っていないもの。それなら、領地に戻って両親の手伝いをした方がずっといいわ」
本音である。
が、そう簡単にいかないのが現実だ。
「リオ様。その、王甥殿下に何か言われませんでしたか?」
「王甥殿下? ああ、ハリソン様のことね」
この国では、王族の男子は成人するまで王子と呼ばれるが、まぎらわしい場合は王甥や王従兄弟などと呼ばれることがある。
「言われたというよりか、食事の改善や待遇の改善をしてくれたわ。ジョシュア。そのお蔭であなたと話ができるようになったし、お腹いっぱい食べられるようになった。それから、暇つぶしに本だって読めるし。行動の制限もない。自由にすごしすぎて、逆に手持無沙汰なくらいよ」
歩きながら淀みなく言った。
ジョシュアは、わずかにうしろを歩いている。
彼は、わたしと肩を並べることに気兼ねしているのだろう。
「だけど、どうしてそんなことを尋ねるの?」
ハリソンの行動や発言は、宮廷付きの見習い料理人が知っておくべきことではないだろう。
「いえ、あの、すみません。王甥殿下には、いろいろと噂がございまして……。リオ様が万が一にもトラブルに巻き込まれるようなことになれば、大変だと思ったのです」
彼の言葉を聞いているうちに、木々の間に旧館が浮かび上がってきた。
「そう。たとえば、彼が次期国王の座を狙っているとか?」
足を止め、体ごとジョシュアの方に向いた。
当然、彼も立ち止まっている。
彼は、枝葉の間から射し込む月光をまともに受けている。
こうしてあらためて彼を見てみると、わりとカッコいい。もっとも、ラルフには負けるけれど。
コック服の第一ボタンが外れていて、というか外しているのか、首筋がやけに艶めかしく感じる。
両袖もふたつみっつ折り曲げていて、そこから腕がむきだしになっている。
「失礼を承知で言わせてね。痣があるのね。このまえ握手をしたときには気がつかなかったわ」
その腕のちいさな痣をチラ見し、そう尋ねていた。
彼と握手をしたときには、袖を折っていなかったので気がつかなかった。
「痣? ああ、これですか? これは、痣ではないのです。火傷の痕です。ほら、両腕にあるでしょう? まだまだ要領が悪いもので、しょっちゅうナイフで切ったり火傷をしたりするのです」
彼は、おどけたように両腕をあげた。
「わたしもよ。おたがいに気をつけなきゃってやつね」
できるだけさわやかな感じになるよう、笑顔で言った。
「お嬢様、お邪魔だったでしょうか? 帰りが遅いので迎えにまいりました」
そのとき、背中にラルフの声があたった。
「そうね。せっかくジョシュアと話をしていたのに、邪魔ね」
背中を向けたまま、わざとかたい声で言った。
「ジョシュア、お嬢様を送ってくれてありがとう。もう大丈夫だ。きみは、戻りたまえ」
ラルフは、わたしよりもさらにかたい声でジョシュアに言った。
慌てて頭を下げて急ぎ足で宮殿へと戻って行くジョシュアの背中を、ラルフとふたりで見送った。




