大事な事
「結局……ここは何なんだろう」
一旦落ち着ける本拠地とするためメイの部屋に戻ってきたメイとコウジ。
コウジは頭を抱えながら床に胡坐をかいて座る。
「夢の中よ」
『鏡の中よ』
ヤニアとメイの意見が合わない。コウジは無言で首を左右に振って苦悶の表情を浮かべる。
「明晰夢ってのが……あるけど」
あるが、流石に痛みまではっきりと感じる明晰夢など聞いたことがない。
とはいえ、『鏡の中』よりはまだ『夢の中』の方がまだ現実的ではある気がする。何しろこの年齢まで全く怪異などとは無関係な生活を送ってきたのだ。鏡の中に引きずり込まれたなど信じられる筈もない。
彼はちらりと左腕の時計で時間と日にちを確認する。
「まあ……夢ならいいか」
「何か気になる事でもあるの? コウジさん」
コウジはメイの方を見てから視線を逸らしてまた頭を抱える。どうやら何か重大な問題があるようだ。
「実を言うとですね……今まで隠すようなことしていて非常に悪いと思ってますが」
メイの視線が真剣なものに変わる。何か隠していたことがあるのか。もしこんなところで「実はホモでした」とか言われたら全てが御破算になるし、「実は妻子がいるから元も世界に早く戻らなきゃいけない」などと言われたらメイはもう立ち直れないかもしれない。
「実は年収三百万です」位ならぎりぎり立ち直れるかもしれない。そこはスケロクを信じるしかない。
「実は僕、医者なんです」
コウジに悟られないように小さくガッツポーズをとるメイ。
「今、金曜の九時過ぎですよね」
メイはこくりと頷く。が、彼が何を言い出したいのかがイマイチ分からない。金曜の夜だと何かあるのだろうか。メイは正直言って医者という人種と今まで付き合いがなかったのでそこはよく分からない。
「明日、診療日なんですよ」
沈黙の時が流れる。
少しずつ、彼が何を言いたいのかを理解し始めるメイ。
そう。メイは土日が休みなので金曜の夜、この時間に鏡の中の世界への扉を開いた。
しかしながら、当然メイ以外の人間にも仕事はある。ヤニアはどうか分からないが。
そして、コウジは明日仕事なのだ。病院を開けなければいけない。患者を受け入れなければならない。
「まあでもいっか。夢なら」
「いやいやいやいや」
頭を抱えているコウジの両手を取り、自分の方に引き寄せるようにしてメイはコウジの顔を見つめる。
「よくない!!」
一瞬顔が近くなったことで頬を赤らめたコウジではあったが、メイの真剣な表情に真顔に戻る。
「それはよくない!!」
必死である。
当然だ。彼女はここが夢の中ではないと分かっているのだから。今日中に帰れなければ、無断欠勤、病院は開けない。予約している患者がいれば、最悪訴訟もありうる。
(よくない。これは非常によくない! コウジさんの病院の評判が下がるし、それはまわり回れば、最悪の場合二人の未来に暗い影を落とすことになる。よくない!!)
どうやらメイも自分事として考え出したようである。
「コウジさん、多分だけど、ここは夢の中じゃないわ」
「え? じゃあセッ〇スしないと……」
「それも違う」
メイもとうとうアホな事を言っている余裕がなくなってきたのだ。
「いい? コウジさん。セッ〇スしても、この世界からは出られない。そんなアホなこと言ってる場合じゃないのよ。真面目に考えて」
メイが言い出したことなのだが。
「でも……」
メイはちらりとコウジの腕時計を見る。もはや九時過ぎである。全く何の手掛かりもない状態から果たして今日中にヤニアを見つけ出して倒すという事ができるだろうか。
もしくはチケットを使ってコウジだけでもこの世界から出すべきか。
『困ってるみたいねぇ~メイちゃん♡』
明らかにこの状況を楽しんでいるヤニアの声。おそらくはコウジだけをこの世界から追い出してもまたすぐにこの性悪女は彼を鏡の中に呼び戻す事だろう。
ならばどうするべきであるのか。当面の課題として明日の開院をどうするか。流石に日曜も診療日という事はあるまい。明日さえ乗り切れば月曜まで猶予ができる。
「どうする……どうすれば……」
両目を固く閉じ、脂汗を流して眉間に皺を寄せて考え込むメイ。こんな真剣な表情を見せて悩むメイは珍しい。
ム゛ー、ム゛ー
「ん?」
「携帯のバイブ音?」
メイは慌ててスカートのベルトの内側からスマホを取り出す。
「あれ? なにこれ? ここ普通に電波通じるの?」
スマホには「スケロク」と表示されている。電波は普通に4Gが入っているのだ。メイはすぐに電話をタップして応答する。
「あ、もしもし? スケロク? 今? 今は……」
部屋を見回して少し考えるメイ。
「部屋にいるけど」
「そうそう。鏡の中の。あ、白石さんから聞いたの? なら話は早いわ。緊急事態なのよ」
そこまで言ってメイはスマホから顔を離し、コウジの方を見てからこくりと頷き、彼にそれを渡した。
(え? いいの?)
コウジは困惑しながらもスマホを受け取る。
(えっと……緊急事態……これ、病院の話をしていい流れだよね? 鏡の中に入れられたことよりも明日の仕事どうするかの方が緊急事態って……それはいいのか?)
少し目を閉じて考え事をしていたが、意を決して話題を切り出す。
「はい、すぐには帰れそうになくって……ええ。明日の病院を休みにしたいんですよ……えっと、院長が急病のため、ってことで。
溝渕さんって人に連絡すれば対応してくれると思うんで。あ、はい。番号は080-××××……」
画面をタップして通話を終了する。
「とりあえずは……これでいいかな」
「良かった……じゃあ、問題も片付いたしセッ〇スしたら出られるかどうかをまず確認……」
「いやいや、それは違うってさっき自分で否定したじゃないですか」
『おぉい!!』
急に大きな声を掛けられて二人はびくりと身震いする。
『だから!! ずっと言ってるでしょうが!! なに日常生活を優先してんのよ!!』
ヤニアの怒りが爆発した。




