進路とお使い
「面談はどうだったんだ?」
駅前書店の経済書コーナーで、師匠はわたしの顔を見るなりそう言った。よっぽど浮かない顔でもしていたんだろうか。わたしはおどけたように肩をすくめる。
「成績悪すぎて進学は絶望的ですって」
半分ばかり嘘が混じっているが、まあいいだろう。師匠がわかりやすく眉をひそめているのを素知らぬ顔で受け流す。
「就職するにしても成績が悪いんじゃどこも取ってくれないだろうな」
「いいんです。とりあえず死神として頑張るんで」
「そうは言っても終生管理士にも試験はあるぞ。一般教養だが馬鹿じゃできん」
「そのとき頑張ります」
ケロリとして言い放つと、師匠はため息をつく。
「準国家公務員の扱いだ。安定している上にそれなりに給金もいい。だがな、それだけで生きていこうとするとかなり厳しいものがあるぞ。他に職を持っていたほうが安全だ」
「どうせわたしには他に能がないんです。生涯の仕事として覚悟を決めるしかないんですよ」
そう言って唇を尖らす。
「死神としての才能があるかどうかもわからんがな。お前の言う覚悟がどの程度か知らんが、今までの仕事ぶりを見ているととても長続きするとは思えないぞ」
「いいんです、若死にしたって。どうせなら派手に散ってやりますよ」
カマをかけたつもりはなかったけれど、つい口が滑ってしまった。加藤さんが言っていたことをふと思い出したのだ。「亡くなる人が多い」と。どういう意味なの未だに真意がつかめない。するとその言葉に師匠は目を眇めた。
「加藤さんに何か聞いたのか」
険のある声に一瞬ひるむが、なんでもない風を装ってしらばっくれてみる。
「べつに。ただ聞いただけですよ。亡くなる人が多いって」
「余計なことを」師匠が口の中で呟いたのを聞き逃さなかった。
「余計なことってどういうことです? なにを隠しているのか知りませんが、わたしは覚悟を決めてるんです。今更隠し立てはやめてください」
反発すると師匠が無言で睨みつけてくる。それにひるむことなく負けじと睨み返した。
しかし、先に目をそらしたのは師匠だった。
「見習いのお前にはまだ早い」
早口で言うと、経済書に目を移す。
え? 勝った? わたし勝ったの? 師匠に勝ったの?
驚きと興奮で頭がいっぱいになる。独特な圧のある師匠に勝ったことが嬉しくて仕方がなかった。
成長したな、自分!
そう思ってニヤニヤしていると、唐突に師匠が振り返った。
「お前、他の客の邪魔になってるぞ」
その言葉で一気に興奮が冷めた。書棚を覗く人の存在に気づいて「すみません」と一歩下がる。ここが書店だということをすっかり忘れていた。
つまり師匠は場所をわきまえて目をそらしたということか。
それに気がついて、わたしはため息とともに肩を落とした。
「はいはい、どうせ見習いですよ。しかもポンコツの。ありもしない声とか光とか見えるんだからかなりイッちゃってますよ」
自虐を込めて言うと、師匠が驚きの表情で見返してきた。
「見えたのか」
「幻覚だとか言いたいんですよね。わかってますよ、どうせ落ち込んでたせいです」
「そうじゃない」
「いいんですよ別に落ち込んでいたのは事実なんですから。いろいろあって現実逃避でもしようとしてたんです。どうせ……」
「どんな光だった?」
言い連ねようとしていると師匠の声がさえぎった。
「え?」
「どんな光が見えた?」
「蛍みたいな感じですよ。ちょっと違うけど、まあそんな感じです」
唐突に聞かれて反射的に答える。すると師匠は考え込むように視線をそらしてポツリと呟いた。
「こんなに早く見えるようになるとは……」
「は?」
上手く聞き取れず声を上げると、再びこちらを向いた。
「どこで見たんだ?」
「え……、駅前の時計台ですけど」
そう言った途端、師匠の表情が強ばった。その顔は驚いているようにも、怯えているようにも見える。
「なんなんです? なにかあるんですか?」
問い返すと、なんでもないと言うように首を振って書籍に視線を落とした。
急にどうしたのか。気になって問い返す。
「なんです? 時計台になにかあるんですか?」
すると、
「なんでもない。お前の気のせいだ」
「さっきと言ってること逆なんですけど?」
「気にするな、老人のたわごとだ」
「知られちゃまずいことがあるんですか?」
「そうじゃない。気にするなといっているだろう」
相変わらず視線をそらしたまま頑として否定している。その態度が腹立たしく放り出したい気分にさせるが、それをしたらきっと何も分からずじまいになるだろう。それだけは避けなければと食い下がっていると、師匠はなにか思いついたように顔を上げた。
「悪いが本を探してきてくれないか」
「はあ?」
急に話題をそらされた。逃げようってか。
「そんなの自分で探せばいいじゃないですか」
「見習いは師匠のサポートをするのが仕事だろう? 文句を言わずに働け」
頭にくる言い方だ。
「それパワハラ発言ですよ」
言い返すと、
「嫌ならやめてくれて結構だが」
とどめの言葉に思わず唇を噛む。仕事を人質に取るなんてひどすぎだ。もしも解雇などされたらこの先どうしたらいいのだろう。一瞬目の前が暗くなる。
「わかりましたよ」
観念して本を探しに行くことにした。
書店の在庫検索には確かにその本のタイトルがあるのに、いくら探しても書籍が見つからない。
「どういうことだよ!」
頭に血が昇った状態だから見つからないのか、それとも検索機に騙されているのかわからないが、わたしの堪忍袋はパンパンに膨れ上がっていた。
「くっそう、師匠のあほ! そもそもタイトルわかってるならネットで取り寄せればいいじゃないか!」
ブツブツと文句を言いながら書棚を見つめる。
「どうせ手ぶらのまま戻ったら使えないとか言うんだよ、きっと」
地団駄を踏みたいくらいだ。唇を噛みながら書棚をにらみつけていると突然声をかけられた。
「どうかなさいましたか?」
様子のおかしなわたしを怪しんだ書店員が声をかけてきたようだ。なにを思われていようがどうだっていい。ここはプロに任せてさっさと使いを終わらそう。
「この本を探しているんですけど……」
振り向きながらそういうと、「あれ?」書店員が声を上げた。
「真理ちゃん?」
そこにいたのは書店のエプロンをつけた巧さんだった。
運命というものは確かに存在しているようだ。
わたしはカウンター奥のパソコンに向かう巧さんを見てそう思った。
「やっぱりな。最後の一冊がついさっき出たみたいだ」
マウスを操りながら画面を覗き込む彼の横顔をじっと見つめる。そういえば横顔を見つめるのは久しぶりな気がする。正面はもちろん素敵だけれど、横顔はいろんなものが凝縮されていてやっぱり好きだ。
なんて考えていると、さっきまでのイライラがどこぞへ消え去っていた。強ばっていた表情筋が緩んでいるのがわかる。
「ごめん。たまにこういうことがあるんだ。あの端末、最新情報じゃないんだよ」
申し訳なさそうな顔をする巧さんとカウンター越しに向かい合う。
「どうしようか。注文する? ちょっと特殊な書籍だから二週間ぐらいかかるかもしれないけど」
「えーと」
どうしようか、ここは師匠に確認を取ってからのほうが確実な気がするが……。
悩むわたしに巧さんが顔を寄せてささやく。
「俺が言うのもなんだけど、急いでるならネットの方が早いと思うよ」
やっぱりそう思うよね。
「でも急いでいないなら、ぜひうちの書店でご注文を」
そう言っていたずらな笑みを浮かべる彼に心臓が飛び跳ねる。
これは確実に一択でしょ! 取り寄せに時間がかかるなら師匠へのささやかな嫌がらせにもなるし。
「注文、お願いします!」
すると巧さんはにこりと笑って注文票に記入を始める。
「難しそうな本を読むんだね」
慣れた手つきでボールペンを走らせながら彼が言う。思わず首を振った。
「違いますよ! ただのお使いです」
「もしかして、おじいさん?」
「え」
「さっき真理ちゃんに似てる子がおじいさんと一緒にいるのを見かけたから。もしかしてと思って。ほら、ここのフロア利用客の年齢層が高めだから。若い女の子は結構目立つんだ」
そう言われて辺りを見渡す。なるほど、確かに。レジにならでいるのは全員年配の男性だ。いわれるまで気がつかなかった。
「違ったかな?」
「いえ。違わない、です」
「やぱっり。時々一緒に来てるよね。たまに見かけるから気になってたんだ」
「そうだったんですか?!」
「たまにね。元気な子がいるなって思ってたんだよ」
その言いよう、悪目立ちしていたということですよね。見られていると知っていれば……。というより、巧さんがここで働いているのを知っていればもっと利口な女の子を演じたのに!
悔やんでいると目の前に注文票が差し出された。
「ここに名前と連絡先書いてくれる?」
ほんのりと温かいボールペンを受け取る。思わず熱くなった頬を引きつらせた。そうでもしていないと顔が緩んでしまうから。
「仲良いんだね」
「え?」
「おじいさんと」
いろいろ勘違いしているようだけど、なにをどう説明したらいいのかわからずに「そうですか?」と連絡先を書き込みながら言った。まあ、そうしておいた方が一緒にいるところを見られても自然を装えるからいいか。
「お願いします」
書き終えた注文票とボールペンを返す。
「届いたら連絡するから、それまで控えは失くさないようにね」
爽やかな笑みとともに差し出された控えを受け取って、わたしは名残惜しくカウンターを離れた。
師匠は一階フロアのエスカレーター脇にいた。
「在庫がなかったので注文してきました。二週間ぐらいかかるらしいですけど大丈夫ですよね」
来年用の手帳を物色する黒い背中に声をかける。
「ああ問題ない。どうした? ニヤニヤして」
わたしの顔を見て師匠が怪訝な表情を浮かべる。
「とっても素敵な書店員さんに助けてもらったので」
そういうと師匠は「なるほど」と、うなずいた。




