56.あなたの名前は何ですか?
私の身柄は一旦、アニマソラ神樹国の預かりということになった。突然神子だと言われても、ハルウェスタ王国の外交官としてここにいる以上、引き抜かれるのは困る。私も嫌だ。表向きの神子は大陸から呼び寄せているのだからとごねたものの、アニマソラ神樹国も神子は必要不可欠だと一歩も引かない。ハルウェスタ王国側も突然のことに戸惑うばかり。
なので話し合いの末、リュドミーラ様がアニマソラ神樹国にいる間は、神子のお役目を優先することになった。以降のことは持ち帰り案件で。その間は、アニマソラ神樹国側が代理の通訳を用意したり、外交官が一人抜けることで不便がないよう特別なはからいをしてくれるらしい。
すべてがあまりにも急なことで、私もリュドミーラ様からやんわりと「どうして自分が神子であることを黙っていたの?」と言われてしまった。そんなこと言われても、私だって神子について知らなかったのだから不可抗力だとゴリ押した。
以前、オンブルのカードについて調べていた時に、エクサさんという転生者が神子候補だったということは知っていた。でも候補だけで、実際に神子として選ばれたのは別の人だったから、神子=転生者の図式を除外してしまったのよね……。
けれどあのロナルディーナの話しぶりだと、神子=転生者。なら前回の神子も、その前の神子も、転生者だったはず。なのに神子に関する記述は国外にはほとんどないから調べられなかった。ここで私はひらめいた。この状況、今なら調べ放題なのでは?
私は逆境でもたくましく生きられる女。不安がっても始まらない。なりたい自分をイメージして、自分に言い聞かせる。よし、せっかく神子になったのなら、神子にしかできないことをしておくのが一番だ。
『あの、私はこれから何をするのでしょうか』
『まずは貴女に宿る神の叡智について確認させてください』
ロナルディーナに案内されたのは神殿の最奥にある禁書庫。神樹ゴドーヴィエ・コリツァの北側に位置する建物の地下にある。神樹へ礼拝ができるよう一般開放されている南側と違い、北側はひどく静かで人の気配もない。
謁見の間での話では、神子には神の叡智の封印をしてほしいという話だったけれど……私自身の知識を確認するの?
『私が持つ神の叡智とやらの何を、教皇猊下はどう判断するのですか』
『神の国が一つではないことを知っております。まずはあなたの魂がいずれの国より参られたのかを教えていただければと』
ロナルディーナは禁書庫の扉を開く。中は真っ暗かと思ったら、天井や壁がぼんやりと明るく光っていた。よくよく見てみると鉱石のようで、それが天井や壁にある窪みにいくつも嵌められていた。夜光石みたいなものかしら。書庫は火気厳禁だものね。窓の明かりもないからこれは便利。
『……驚かないのですね?』
『何がですか?』
『神子によっては、この光景に驚かれる方もいらっしゃるそうです』
この光景とは……と書庫の中を見渡す。いたって普通の書庫。変わっているのは、光源が夜光石ってところ。
『この鉱石は珍しいものですか?』
『珍しい……そうですね。非常に珍しいものです』
歯切れの悪い答え。たぶん、神の叡智とやらが関わっているのかもしれないわ。
まぁいいや、と思いながら書庫を眺める。大袈裟な反応をしたって今さらだし。
ここに収められている書物の文字はアニマソラ語で記されているものばかり。神官が各地で採取してきた神の叡智が詰まっているみたい。部屋の大きさの割には、収納されている本は少ないけれど。
「あら? ベッド? 暖炉もある」
手前の本棚に隠されるようにベッドが置かれていた。テーブルと椅子があるのは分かるけど、なぜベッド? 暖炉も、灰や煤のない綺麗な状態で備えつけられている。換気もできないし火気厳禁なこの部屋で、不自然極まりない。
首を捻っていると、私のうしろからロナルディーナが声をかけてきた。
『それでは神子様。あなたに神を降ろします』
『……なに?』
今、ロナルディーナはなんて言った? 私に神を降ろす?
『神を降ろすってどういうことですか? 私の持つ知識を確かめるのではないのですか?』
言っていることが分からない。さっきから一貫していない。その不気味さに肌が粟立つ。
この世界に魔法なんて存在しない。神降ろしなんて言っても、実際は何も起こらないと思う。それなのに嫌な予感がひしひしとする。
『……本を読むには暗いですね。そろそろ明るい場所に出ませんか』
やんわりと微笑みながら提案するけれど、ロナルディーナは静かに私を見つめるだけ。私はささっと本棚を迂回して、地上に上がるための階段を目指すけど。
『お待たせしました、教皇猊下』
「げ」
思わず貴族令嬢らしくない声が出てしまった。げ、って。いや、そんなこと言ってる場合じゃないけど!
階段から降りてきたのは、一年経っても忘れられない人物。学研都市リストテレスでノエルちゃんからテネッコンを奪おうとした神官、ボフミル・ペラーン!
はち合わせたボフミルは盆を持っていた。両手がふさがっている状態で私とぶつかりかけて、目を見張る。その表情がだんだんと険しくなっていって。
『貴様……!』
『ボフミル。どうしましたか』
『教皇猊下、この者です。一昨年、リストテレスで発明された天体観測器の封印に横槍を入れた者は』
『それは本当ですか、神子よ』
ボフミルがさらっとカミングアウトしてしまった。私は否定できない。神官が子どもから大切なものを強奪しようとしていて、とっさに横から割って入ったのは間違いなく私だったけれど。
『それがどうかしましたか』
『神子の使命をお忘れでしょうか。神子には我々人類にとって脅威になる神の叡智を封印していただきたいのです。それなのにどうして、率先して脅威を広めようとなさるのでしょうか』
ロナルディーナの声には棘が含まれている。なるほど、ボフミルは異端審問官のような役目を持って、あのテネッコンをノエルちゃんから取り上げようとしていたんだ。ロナルディーナは神子である私がそれを妨害したから、棘のある言葉を投げてきたと。
でも、そんな非難がましく言われても、私は自分が正しいと思ったことをしただけ。
『誰かが人生をかけて手に入れたものを簡単に踏み潰そうとする。その行為を悪質だと感じて介入しただけです。神の叡智が介在しなくても、いずれ人はその頂に到達するものです。それが自然な流れというものですから』
不便だと思うから利便性を追求するし、憧れを持つから空を飛ぼうと考える。それが人間であり、知的生命たる由縁だもの。
『今年の神子は少々、扱いが難しそうですね』
扱う?
まるでペットのような言い草に、カチンときた。
『あなたたちが求めるから応じただけです。神子としての使命とやらも、私が介入する必要は本来ないでしょう。私はあなたたちの意に添えない神子のようですので、外交官としての仕事に戻ってもよろしいでしょうか』
たとえ科学者が転生したとしても、この世界の文明レベルでどこまで科学を発展させられるかは分からない。私のように何も持たない人間が転生する確率だって高い。
それに、アイン・ザック博士やノエルちゃんのように、自分たちでこの世の理を解き明かす人だっている。それら全てを管理しようだなんて、到底無理な話だわ。
そう主張すれば、ロナルディーナは深く嘆息する。
『……面倒な人。ボフミル、その女を捕まえなさい』
ロナルディーナがそう言った瞬間、ボフミルは盆を落として私の腕を掴んできた。私はぎょっとして、とっさに振り払おうとする。でも、ボフミルの腕は振りほどけない。それどころか、身体ごと抱きすくめられた。
ぞわりと肌が粟立つ。
「ちょっと! 離しなさい! 離して!」
『さて。神子はこれに対して拒絶反応を見せましたね。〝ギフト〟〝ポイズン〟〝ウェネーヌム〟あるいは、〝ドク〟〝ディリティリオ〟。エルパダ王国の使者の証言によれば、貴女はおそらく〝ドク〟が毒の意味を持つことに気がついたのでしょうね』
やっぱり、昨年の社交界の時には気づいていたのね……!?
お茶会から逃げ回っていた私に対して通訳の男をけしかけたのも、それが理由。ここまでくれば明白だわ。私の予感は正しかった! やっぱり信用できないじゃないのアニマソラ!
ロナルディーナが盆の上にあった瓶を手に取った。瓶の蓋を開け、盆と一緒に床に転がったカップへと注いでいく。
『でも安心してください。これは毒ではありません。忘れてしまわれた神の権能を取り戻すための、薬のようなものです』
ロナルディーナはそう囁くと、とろりとした銀色の液体がなみなみと注がれたカップを持って、私へと近づく。金属のような光沢が、暗い部屋の中で不気味に照っている。
ただでさえ怪しい液体が、さらに怪しい物体になってしまった。逃げたいのに、ボフミルが邪魔で逃げられない……!
「私、絶対に飲まないから!」
『抵抗しても無駄ですよ』
絶対に飲んでやるものかと、唇を引き結ぶ。でもロナルディーナは、まるで悪戯な子どもを躾けるかのような表情で私の鼻をつまんだ。
『何秒耐えられるかしらねぇ。いーち、にー、さーん……』
やばい、息を止めにかけられている。鼻をつままれては口から呼吸するしかないのに、口を開けたらあのよく分からないヤバそうな薬を飲まされる……!
ぐるぐると考えていると時間だけが過ぎていき、酸素が欲しくなってしまう。
『ろくじゅう……案外、我慢強いのですね。とはいえ、このまま我慢比べをする時間も無駄です。飲まなければ、ハルウェスタ王国は神樹ゴドーヴィエ・コリツァを冒涜する悪党として世界に宣告しましょうか』
あんまりにも人を馬鹿にしている脅しに、私はロナルディーナを睨みつける。ロナルディーナはさらに私を挑発して。
『ハルウェスタ王国の誰ぞが、神樹ゴドーヴィエ・コリツァを燃やそうとした……この筋書きなんてどうかしら、ボフミル?』
『その悪党を私が捕まえてご覧に見せましょうか。随行している使用人か……大使か……いや、玄蒼国の神子の腰巾着。あの男を捕らえましょう。アレはこの女とも面識があります』
『あの灰色の青年のことかしら? よく知っているわね』
『奴はこの女と結託して、リストテレスで私からテネッコンを奪った者たちですから』
『そうだったのね。たしか名前は……』
『ヴィクトル・ミシリエです』
私をはさんで交わされる会話。
心臓が跳ね上がる。
(どうしてヴィクトル様の名前が出てくるの!?)
ヴィクトルが玄蒼国の皇子に気に入られたという話は聞いた気がする。それがどうして、玄蒼国の神子と一緒に? ……違う、玄蒼国の皇子が神子だから、ヴィクトルも一緒にアニマソラ神樹国にいる?
それならどうしてここにいると連絡をくれなかったの? 玄蒼国の人に、何か言われたりとか、意地悪とか、有能すぎて引き抜きとか……そんなこと、されてないよね……!?
思考がぐるぐる巡る。
息を止めているせいで、ちょっとずつ、思考は鈍くなっていく。
ロナルディーナの愉悦に満ちた笑みが、視界いっぱいに広がる。
『いいわ、その男に罪を着せましょう。神樹を焼こうとした罪……たしか神の世界にはかの法典があるのよね? 〝目には目を、歯には歯を〟 ならば、その男を生きたまま焼いてしまいましょう』
無邪気に紡がれる言葉は、それが正しいことだと信じて疑われない。それがあまりにも残酷なことだと、知りもしないで。
私は悲鳴をあげる。
「やめて! ヴィクトル様は関係ない! どうしてそんなことを言う……っ、む、んぅっ」
『ようやく口を開いてくれたわね』
ロナルディーナは私の舌の根を抑えつけると、無理やり銀色の液を流しこんできた。苦くて、苦しくて、屈辱で。涙がにじむ。
『吐いては駄目よ? ちゃんと嚥下して。大丈夫』
何が大丈夫なものか。
気がつけば私は床に崩れ落ちていた。無理やり飲まされた反動でえずいてしまう。
『ボフミル、これをそっちに運んで頂戴』
『御意』
身体が浮いた。私を抱き上げる男の手から逃れたいのに、まるでお酒を飲んだかのような酩酊感があって前も後ろもわからなくなる。
視界がぐるりと回った。
何処か柔らかい場所に降ろされる。男の手は離れたはずなのに、ずっと身体が揺れているような感覚で起き上がれない。
『さぁ、神子。まずはあなたの名前を教えてもらいましょう』
ロナルディーナはそう言うと、呪文のようなものを唱えだして。
――Darf ich Ihren Namen wissen?
――What is your name?
――Nōmen tuum edicās.
――あなたの名前をおしえてください。
――Πώς σας λένε;
ぐわん、ぐわんと。言葉が巡る。
知らない言葉が、私をつつむ。
何回も、何回も、くり返されて。
ことばと音が、よせては、かえして。
わたしはことばをひろう。
――あなたの名前をおしえてください。
このおとを、わたしはしっている。
「わたしの名前は……」
なんだったっけ。




