獣化の制御
土埃が上がる中心にアドルフが抉った地面を感情のこもらない目で見つめている。
アドルフの攻撃を何とか避けた上級魔物は、先程までの余裕が無くなった表情でアドルフを睨みつける。
緊迫した空気が周囲を包む。
アドルフが走り出すと、それと同時に上級魔物も動き出した。
上級魔物はアドルフの攻撃をなんとか躱しながらアドルフへ攻撃を仕掛ける。
一見すると互角以上に戦っているようにも見えるが、アドルフの体にも次々と傷が増えていく。
このままでは全身が傷だらけになり、共倒れになるのも時間の問題だ。
アドルフの捨て身のような攻撃にエミリーはクッと歯を食いしばった。
「癒しの力でアドルフくんを回復させます!」
「ダメだ! ここで回復させればアドルフはずっと獣化の状態が続く。元に戻せなくなるんだ!」
「でもこのままじゃ!!」
アドルフの体はボロボロだ。
いつ倒れてもおかしくない。
しかしそれは唐突に終わりを迎えた。
「くっ……うあーーーー…………」
呻くような叫びに視線を戻すと、上級魔物がアドルフの足元に倒れていた。
その体がボロボロと崩れていく。
(あんなに強かった上級魔物を一人で倒してしまうなんて……)
しかしその代償として、アドルフの体は傷だらけになっている。
本来であれば立っているのも辛い状態のはずだ。
しかし獣化した体はその痛みさえ感じていないように動き続ける。
「く、来るな!! 化け物!!」
アドルフの様子をそれまで呆然と見つめていたウォルターがフラリと自分に近づいてくるアドルフに向かって叫ぶ。
(このままじゃダメだわ!!)
エミリーはアドルフに向かって走り出す。
「エミリー!! ダメだ!! 戻れ!!!」
後ろからルーカスの叫び声が聞こえるが、それでもエミリーは止まらず、アドルフの元へと走った。
「アドルフくん!!」
エミリーは勢いのままアドルフの腕にしがみつく。
アドルフは真っ赤に染まった冷たい瞳で、エミリーを見下ろす。そして邪魔だというように、エミリーを振り払おうと反対の腕を持ち上げる。
地面を抉るほどの鋭い爪で振り払われれば、タダでは済まないだろう。
(それでも!!)
「アドルフくん! 元に戻って!!」
エミリーはぎゅっとさらに腕にしがみついた。
するとアドルフの表情がピクッと動き、眉間に皺を寄せ、苦しげに表情を歪める。
「アドルフくん?」
「エ、エミ……リー…………はな……れ……ろ…………」
(アドルフくん意識が戻った……? でもとても苦しそう……私は何もできないの? どうしたらアドルフくんを元に戻せるの?)
すると突然、エミリーの中から光属性の魔力が溢れ出る。
「え? どうして…………私何も……」
今まで光属性の魔力を制御できなかったことなどない。
エミリーは自分自身でもわからない魔力の流出に驚くが、不思議なことに、頭の片隅でこれでいいのだと思う自分がいる。
(どういうこと? でもなぜか光属性の魔法でアドルフくんを包み込めばいいんだって私の直感が言ってる……)
エミリーは決意し、自分の直感を信じて、アドルフを包み込むように光属性の魔力を広げていく。
「エミリー? いったい何を?」
ルーカス達の心配気な声が聞こえる。
しかし、エミリーは魔力を広げていくことにだけ集中し、アドルフを包み込んでいく。
「うっ………」
「アドルフくん、もう少し頑張って!」
しばらくするとアドルフがぐらりと倒れ、尻餅をついた。
エミリーはアドルフの腕を引っ張って支え、流していた魔力を止めた。
「アドルフくん? 大丈夫?」
エミリーの言葉にアドルフはゆっくりと顔をあげる。そして閉じていた目を開いた。
エミリーはその目を覗き込み、思わず言葉を漏らした。
「綺麗…………」
先程までの冷たく恐ろしい赤色から、今はキラキラと輝く美しい金色に変わっている。
「あれ……? 俺何してたんだ……?」
アドルフが周囲を確認するため振り返ると、ルーカスたちが信じられないという表情で大きく目を見開いた。
「まさか……獣化を制御するなんて……」
「獣化? 何言ってんだ? うわっ!! 何だこの爪! それになんか……すっげー体が軽い!」
アドルフが目を丸くしながら体のあちこちを確認する。
その様子にエミリーがふっと笑い出した。
「エミリー?」
「あっ……ごめんね。いつものアドルフくんだって思うとなんだか安心して」
エミリーの言葉にアドルフは申し訳なさそうにふにゃりと笑う。
「俺、心配かけちまったみたいだな……ごめんな?」
「ううん。無事で良かった!」
「あれ? そういえばあの上級魔物は?」
「あれ? って……お前が倒したんだろうが」
バーナードが呆れたようにため息を吐く。
しかしその表情は安心したように穏やかな笑みを浮かべている。
「え!? あんな強かったのに俺が倒したのか!?」
「そう。あの爪の痕、アドルフの」
地面の大きく抉れた部分をファハドが指差すと、アドルフは目を見開く。
「う、嘘だろ……」
「本当ですよ」
アーノルドもまた、呆れたようにため息を吐き、モノクルを押し上げるが、その口元は緩んでいる。
「アドルフの獣化の制御については後で調べるとして……とりあえず今は」
ルーカスが振り返ると、ウォルターが「ひっ!」っと声を引き攣らせ、後ろにジリジリとさがる。
ルーカスはウォルターの後ろに周り込むと、素早く腕を掴み背中にに回すと押さえつけた。
「とりあえずお前はこのまま獣王国で拘束させてもらう」
「いっ……くそっ!! は、放せ!! 化け物どもがっ!!」
バタバタと暴れるウォルターにエミリーは眉を寄せる。
彼のことはよく知っているわけではないが、少なくともこんな振る舞いや言葉遣いをする人物ではないはずだ。
「ルーカス様、やっぱり彼の様子はおかしいです。以前とは違いすぎます……解除魔法を使ってみてもよろしいでしょうか?」
「精神操作をされているということか? わかった。解除魔法をかけてみてくれ」
エミリーは頷くと、ウォルターを自分の魔力で包み込む。
「なっ! 何をするつもりだ!! やめろ! 放せ!!」
エミリーの魔力に対抗するように暴れ回るウォルターにエミリーはため息をつく。
(彼は今正気ではないのでしょうけど……こうはなりたくないわね)
「解除魔法!!」
エミリーの魔法が発動すると、ウォルターはガクリと頭を揺らし、力無く項垂れた。
しばらくしてうっと眉を寄せると、顔をあげる。
「私はいったい……ここは……?」
長い眠りから覚めたようにぼうっとした表情で周囲を見回す。
そしてルーカス達を見つめると大きく目を見開いた。
「ど、どうして獣人族が!?」
「ウォルター・ベイリー魔道士団長、落ち着いてください」
ウォルターはばっとエミリーの方へと振り返る。
「エミリー・オルティス伯爵令嬢?」
「はい。ですが私はもうオルティス伯爵令嬢ではございません。あなたが一番ご存知でしょう?」
ウォルターはエミリーの言葉に訳がわからないというような、困惑した表情を浮かべる。
「それはどういう……あっ……そうか……私は王宮であなたに…………」
はっとしたように顔色を悪くするウォルターにエミリーはさらに問いかける。
「あなたが獣王国に単独で攻め入ったことは覚えていらっしゃいますか?」
「わ、私が!? な、何をおっしゃるのです!! そのようなことしようはずもありません!! 自ら戦争を起こすようなこと!!」
「ですがここは獣王国の領土ですよ。あなたは間違いなく獣王国に攻め入ったのです」
「そんな…………私は何ということを…………」
絶望したというように顔を真っ青に染めるウォルターに、エミリーはため息をついた。
おそらくこの様子では精神操作をされている間の記憶がほぼないのだろう。
ウォルターは魔道士団長だ。ヴァージル王国で最も魔力が強く、扱いに長けている。
そんな人物に精神操作の魔法をかけるのであれば、相当強力なものでなければ、持続させることができなかったのだろう。
その結果、本人の意思もなく、記憶まで欠落させる事態になったらしい。
「おい!! アドルフ大丈夫か?」
突然のバーナードの大声に振り返ると、アドルフが地面に倒れていた。
「アドルフくん!?」
エミリーがアドルフに駆け寄ると、アドルフは困ったように笑う。
「ごめん……なんか体に力が入らなくて……めっちゃ眠い……」
「アドルフくんしっかりして!!」
エミリーが焦ってアドルフに肩を揺らすと、後ろから肩に手を置かれる。
「エミリー、大丈夫だ。獣化で力を使い過ぎたんだろう。眠っているだけだ」
ルーカスの落ち着いた声に、エミリーもなんとか落ち着きを取り戻す。
「そうですか……よかった……」
「とりあえずアドルフをこのまま寝かすわけにもいかないし、一旦王宮に帰ろう」




