第一章(23) 四回戦
◆Shericka◆
召喚魔術は比較的新しい魔術と言える。それでも数百年の歴史はあるのだが、それでも要素魔術よりは歴史は浅い。
名前の通り、異界より扉を経て異形を召喚する召喚魔術。魔力や触媒を使う点では要素魔術に酷似しているが、シェリカから言わせれば全く違う。
森羅万象そのものとも言える要素精霊を使役するには、そのための言葉が必要になる。要するにそれが呪文詠唱である。しかし召喚魔術にはその呪文は意味をなさない。違う言語が必要になるのだ。
この世界と異界との架け橋となる精霊――時精霊と呼ばれているそれらは、要素精霊に使う言語を聞き入れない。その時点で精霊と呼んでいいのかすら怪しい。が、魔力を食らい等価交換として力を与えるその体系は精霊とも言える。つまるところ、詳しいことは未だに不明なのだ。
時精霊に必要な言語は、二十六文字を組み合わせ作った単語を並べた詩文みたいなものだ。黄昏の古き都セイルエンダリアより発見された碑文に印された文字と同じことから古代神聖語と呼ばれた。
先ほど聞こえたロリガキの呪文。あれがそうだ。
そしてそれは今も続いている。
「Thou art the solid knight.」
召喚魔術の呪文は固体によって違う。似た文があっても、別物なのだ。シェリカには何となくそれが聞き覚えあるように感じた。一体、何だったか。
「And thou art the sword of pure justice.」
「召喚魔術って……あれがか?」
「そうよ! 今ならまだ間に合うわ!」
「わ、解った」
フィーロが剣を構えて駆け出した。召喚魔術の詠唱は長い。上位要素魔術と大体同じくらいだ。ロリガキの実力なら滅茶苦茶危険な異形を召喚するとは思えないが、止めておかないと厄介だ。
上位要素魔術を使用した反動で暫く魔術が使えない自分が口惜しい。回復まであと早くて三分。とてつもなく、永い。
「Therefore thou shalt not be tainted with vice.」
ロリガキにフィーロが迫る。
「させない!」
「ぐっ……」
「りゃああぁぁっ……!」
それを阻止すべく、モランがガナッシュを振り払い、フィーロに向かって飛び上がった。
「岩斬……爪破ッ!」
「ぐおっ……!?」
斧が地面に叩きつけられた。破砕し、衝撃波が地面を砕きながらフィーロに迫った。それを寸でで回避する。
「なんつー……」
「Thy lily armor is symbolic of innocent.」
着地したフィーロが再びロリガキに向かう。
「いかせません!」
しかし、真横から来襲したのは棒を持った女。「ぬぉっ……!?」真っ直ぐ顔面を狙った突きを、フィーロは首を曲げて避ける。そのまま飛び退いた。
「危なー……まさかモニカたち……は大丈夫か」
「ベアトリーチェさんが相手しています!」
「解説どーも」
棒を持った女が横薙ぎにそれを振るう。フィーロは剣でそれを受け止めた。
「ガナッシュ、頼む!」
「解った!」
フィーロは受け止めざまにシスコンにロリガキを止めるように頼んだ。命令でいいと思う。シスコンがロリガキに急行した。
シェリカはまだ魔術は使えない。あと少し。早く。早く。気持ちばかりが急いだ。
「And thy noble spirit is why thou art the guardian.」
「――おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
シスコンが太刀を振りかざす。
「行かせないって……言ってるでしょっ……!」
太刀と戦斧が激突した。甲高い金属音が鳴り響く。
「素直に……通せッ!」
力任せにシスコンが太刀を押し出し振り切った。モランはその勢いを使って跳躍。一気に戦斧を振り上げて、叩きつけた。
「やあぁっ……!」
「ちぃっ……」
半径一メートルを陥没させる一撃だ。さすがのシスコンも退避した。いや、別にお前死んでもいいからとにかく突っ込め。
「Hence,cut thyself off from the Thanatos.」
「やああぁぁぁぁっ!」
「のわっ!? ちょ……危なっ……うおぉっ!」
女が棒を連打する。フィーロが慌てながら剣で弾いた。正確に弾いているあたり、慌てているように見えるが冷静だ。
「The glance of indomitable dauntless will...」
「あークソ!」
フィーロは女に向かって剣を縦に振り下ろした。止められる。しかしそれを予想していたかのように、フィーロは女の横っ腹を蹴り飛ばした。
「あぐっ……!」そのまま横に転がる。
「Do keenly slash an unlimited darkness.」
「……ごめん」
ポツリと何かを呟き、咳き込む女をフィーロは一瞥した。
黒光りする剣を握り直し、フィーロは地を蹴った。
「Here I invoke.」
だけど、遅かった。
ロリガキの足元に文様が表れた。それは大小異なる幾つかの円が重なり合った、不思議な形をしていた。円の中には文字やら模様やらが描かれている。
これが扉だ。
魔方陣と呼ばれる。ここから異形の思念を異界より喚起し、この世界に介在する霊素と呼ばれる物質で身体を構築し、顕現させる。それが召喚魔術だ。
「Now,actualize..."Luxeria"!」
「うわっ……!?」
「フィーロ!」
激しい閃光とともにフィーロが弾き飛ばされた。二メートルほどごろごろ転がった。シェリカは慌ててフィーロのもとに駆け寄った。
「大丈夫……?」
「ああ……」
起き上がり、頭を掻く。いや、押さえている。打ったのだろうか。心配で見つめていると、フィーロがシェリカの視線に気付いた。
「大丈夫だよ」
にこりと笑った。可愛い……じゃなくて本当だろうか。もう一度フィーロを見たが、彼は前――閃光の発せられた場所を見据えていた。シェリカもその視線を追う。
光は一瞬のもので、すぐに晴れた。そしてそこにはロリガキともう一つの人影があった。
長身のそいつは、身を白銀に輝く甲冑で身を包み、同じく白銀の装飾華美な円盾とこれまた装飾華美な白銀の片手剣を手に持っていた。
そう。
どこからどう見ても騎士だった。
◆Firo◆
で、あれはなんだ。
見たところ人っぽいが。
身長は一メートルと九十センチくらい。フィーロより頭一つ分以上デカイ。
装飾華美じゃないかと思うくらい煌びやかな武具に身を包んだそいつは、いきなりこちらに背を向けたかと思えば、ロリエに向かって片膝をついた。
まるで騎士だ。いや、騎士なんだろう。召喚魔術で召喚された騎士。異様な雰囲気を身に纏っている。
「ルクセリア、わたしはなに?」
「You're my lord.」
「わたしのお願い聞いてくれる?」
「Yes,my lord.」
ロリエの言葉に白い騎士――ルクセリアは跪き、答える。
「じゃあ、お願いね?」
「Yes,my lord.」
ルクセリアが立ち上がった。こちらを見る。兜の奥は真っ暗闇だがやたら視線を感じる。つか視線というか完全に殺意だ。
バリバリ殺る気だよあの白騎士。
「騎士系の……」傍にいたシェリカが口を開いた。「騎士系の喚起は難しくないわ……比較的忠実だから。……だから下位なんだけど、それでも強いわ」
「そう。……それより、もう魔術は使えるか?」
「上位はきついけど、下位ならいけるわ。でも、白騎士は魔術効かないわよ」
「マジで?」
「反射魔術特性があるの」
「何それ」
「要は魔術が跳ね返ってくるってこと。だから中位要素魔術までなら弾かれる。その代わり打撃には弱いわ。頑張って、フィーロ」
嫌だ。
とは言える状態でもない。
しぶしぶ頷いた。白騎士を見つめる。未だ不動ではあるが、いつでも動ける態勢だ。
「ほーっほっほっほっ! どうですシェリカさん! わたくしたちの実力は!」
後ろの方で岩場に仁王立ちして高笑いするベアトリーチェがいた。本当なんなんだあの人は。
「なんであたしに言うのよ……」
「それはわたくしと貴方がライバルだからですわ!」
「う……ウザイ……」
少しばかり同感だ。
「さあ、反撃で――」
「いちいち煩いのだわですわ女」
「ひゃっ……!?」
三叉槍で一気に貫かんとするその突きを、ベアトリーチェは回避した。ちっ、というあからさまなモニカの舌打ちが聞こえた。
「ひ、卑怯ですわッ! 最後まで待てないのですか!?」
「戦争に待ったはないのだわ」
「慮外者めぇ……」
「結構な言われようなのだわ。まあ何にせよ、アンタの相手はアタシなのよ」
「くっ……解りましたわ! 相手して差し上げます! ――シェリカさん!」
「何よ……」
もう既にげんなりしている。ちょっと可哀想に思えてきた。
「次は貴方の番ですわよ! 首を洗って待っていなさい!」
「あ……そ……」
心底どうでもよさそうだ。
ベアトリーチェはモニカ目がけて駆けていった。
「一体、何なのよ……」
それについては俺にはどうとも言えない。
残り時間はあと二十分。
人形の消失で人形士が一体どうなったか皆目見当もつかない。変態がやれるとは思えないが、ここにいない以上どうとも言えない。
というか、それどころじゃない。変態より先に目の前のこいつだ。
真横からの斬撃を身体を引いて避ける。すぐに剣を振った。盾に弾かれた。続けざまに突きを放ってきた。身体を捩ってやり過ごし、バックステップで距離をとった。
何が打撃に弱い、だ。当たんなかったら意味がねーよ。
白騎士ルクセリア。
普通に強い。
「フィーロ、大丈夫か!」
ガナッシュが近付いてきた。モニカは健在だ。丁度ロリエの少し前で戦斧を構えている。
「ん。大丈夫に見えるんならお前の目は節穴だ」
召喚魔術については人並み程度には知っている。知識としてあるだけで、見るのは初めてだ。シェリカはフィーロの目の前で要素魔術以外の魔術を使ったことがないのだ。
たまにそれとなく聞いたりするが、大体お茶を濁す。要するに出来ないのだ。
要素魔術のみしか使えないシェリカ。凄いのかそうでないのか。単に努力不足か。
「旗最優先で行くぞ。以外にタフだ、あいつら」
「もともとそういうルールだから」
旗無視して相手を戦闘不能にしている時点でおかしいのだ。別にルールは間違っちゃいないが。ただなんとなく人として間違っている気がする。
「旗はボクが獲る。お前は白騎士を頼む」
「なんで面倒臭いヤツばっか俺に押し付けんだよ」
フィーロはぶつくさ文句を言うが、無視してガナッシュは前に出た。かと思いきや、顔をこちらに向けた。そしてニヤリとキザったらしく笑った。
「信頼してるのさ。――行くぞ……!」
前に向き直り、駆け出した。
モニカがそれに対して走りだす。すぐに両者が激突した。
「ルクセリア、ゴー!」
「Yes,my lord.」
ロリエの号令で白騎士がこちらに向かってきた。
「たく……何が信頼してるだよ」
振り下ろされた刃を受け流して斬る。白騎士は飛びずさったが、切っ先が胴部を捉えた。薄く筋が入る。確かに、鎧自体の防御力は弱いらしい。
白騎士が着地と同時に突きを放つ。鎧が傷付いた焦りなどはないのか。まあ、感情なさそうな奴だしな。フィーロは身体を捩った。右脇腹のあたりをすれすれで剣が横切る。フィーロは左手に剣を持ちかえ、横薙ぎに振るった。狙うは奴の顔面。
「獲った……!」
剣が兜に直撃して弾け飛んだ。空中を舞い、地面に転がる。「な……」そしてフィーロは唖然とした。
白騎士に首はなかった。
正しくは、空洞だった。鎧の中に人などは入っていなかったのだ。ふと、シェリカの言葉を思い出す。騎士。だからだ。旧き記憶のみで動く亡念の首なし騎士。その眷属、白騎士ルクセリア。不覚にもほどがある。
動きの止まったフィーロに白騎士は盾を突き出し突貫した。
「ぐぅ……!」
直撃し、地面を転がる。息が詰まった。
「フィ、フィーロ……!」
シェリカの声がして、なんとか立ち上がると、目の前に既に白騎士が迫っていた。繰り出される剣撃をギリギリで防ぐ。まずい。押し切られる。
すくい上げるような逆袈裟斬りの一閃がついにフィーロの剣を弾き飛ばした。汗で握りが甘かったのも一つだ。とにかく、剣を飛ばされたフィーロはそのまま突き飛ばされて、尻餅をついた。
そのまま一旦腰まで剣を引いた白騎士はフィーロ目がけてすぐさま突いた。遮るものがなくなった白騎士の剣はフィーロの腹のど真ん中を貫こうとして――、
途中で停止した。
「………え?」
何が起こったのか一瞬理解出来なかった。
恐る恐る白騎士を見上げると、カタカタと震えていた。鎧の隙間で鎧同士が擦れて鳴いている音だ。何事かと思った瞬間、いきなり破裂した。
いや、破裂というより分解か。籠手が白い小さな粒となって消えていった。剣と盾が持つ者を失い、地に落ちて同じように粒になって消えた。だんだん鎧が白い小さな粒となって、最後に脛当てが消え去って白騎士は完全に消失した。
「何が……」
起こったのか。そこまで言わずとも、フィーロはなんとなくだが理解した。
ロリエの足元に広がっていた魔方陣のようなものに、蒼く波打つ太刀が突き立てられていた。紛れもない、聖体の秘蹟。
「わ……わゎ……?」
完全にテンパっているロリエに、黒髪の魔剣士は口元を歪ませて言った。
「――チェックメイトだ」
◆◆†◆◆
フィールドから転送されたフィーロたちは、運動場の扉前にいた。
フィーロは呆然としていると、地面に座り込んでいる自分のもとに歩み寄ってきたガナッシュに気付く。手を出してきたので掴まった。引っ張り起こされる。
「どうにか勝ったな」
「うん。でもなんで勝てたんだ……?」
「………わたしのおかげ」
「うお!? 何時の間に……」
気付けばクロアがフィーロの隣にいた。神出鬼没な娘である。
「まあ、クロアのお陰だな」
「クロアの?」
「ああ。モランを狙撃してくれたから、ボクが合間を抜けれた。相変わらずいい腕だ」
「そうか」
「………ほめて?」
そう上目遣い(反則)で言ってきたので、フィーロはクロアの頭を撫でた。別に減るものじゃないからこれくらいなら構わない。
しかしクロアがガナッシュの援護をするなんて珍しいな。気紛れで動く奴だから今回も気紛れだろう。月に何回あるか解らないが。
フィーロが苦笑混じりにクロアを見ると、視線に気付いたクロアは首をかしげていた。こうしてみると可愛い女の子である。
もう一つ気になることがあったフィーロはガナッシュに視線を移した。
「じゃあ白騎士が消えたのは……」
「異形は魔方陣の通して操るものだからな。あれを壊すか、魔術士を殺すかすれば異形は強制退去出来る。例外はあるらしいが」
「そっか」
「フィーロ!」
ガナッシュの解説に頷いていると、怒気を孕んだ姉の声が響いた。何故に怒っている?
「お疲れシェリカ」
取り敢えず無難な返事をしてみた。だが寄った眉間の皺が戻る気配はない。
「ど……どうした?」
「……まで………」
「え?」
「いつまで頭撫でてんのよ! 馬鹿フィーロ!」
「ぐぇっ……!?」
いい感じにシェリカのアッパーカットがフィーロの顎を捉えた。よろけて二歩ほど後退する。
「な、何するんだよ!」
「煩い! この浮気者っ!」
「ハァ!?」
何言ってんだコイツいい加減にしろよマジで。
「約束! 忘れたの!」
「約束ぅ?」なんの約束だよ。
「したじゃない!」
「何を」
「だ……」いきなり声が小さくなる。
「だ?」
「だ……抱いてくれるって……」
「………」
空気が、凍った。
もう比喩とかそんなんじゃなくて、カチカチに凍った。ガナッシュの表情が完全に唖然としたまま固まっている。クロアでさえ数少ない感情を顕にしている。目を見開いて停止していた。
空気より時が止まった。
周りの喧騒さえ耳に届かない。この場だけ沈黙の帳がぼとんと降りていた。
ややあって口を開いたのはガナッシュであった。こちらを唖然とした表情のままで見つめてきた。
「……本気か……フィーロ、お前……」
「いや、違う! 言ってない! 断じて! 言ってない!」
「言ったわ。さっきのフィールドで、『あとでいくらでも抱いてやる』って」
シェリカが腕を組んでふんぞり返りながら言った。なんでそんな偉そうなんだ。いや、つーか、
「ハァ!? いや……ハァ!? 言ってねーよ! いや言ったとしても俺は認めない! 絶対に認めない!」
「ホント? って聞いたらホントって答えたじゃない! 嘘吐く気!?」
「嘘以前の問題だろーが!」
「じゃあ何よ、この女の頭は撫でれてもあたしは抱けないっていうの!」
「比べるもんが違うだろぉぉぉ!」
「とにかく! 約束は約束なの!」
「してねーよ!」
「……あとで待ってるから」
「聞けェェェェェェェェェェェェェェェ!」
嵐のようにシェリカは去っていった。頬が桜のようにほんのり薄く赤みがさしていたのは気のせいだと思いたい。つかもう夢だろ。夢だ夢。誰かそう言ってくれ。
「やっちまったな……」
「……うるせー」
もう見えなくなった馬鹿すぎる姉を呪った。茫然自失になっていると、クロアが袖を引っ張ってきた。
「……何だ?」
「………心配ない……先にわたしと寝てしまえば無問題」
「いや、ありまくりだろ」
わけの解らないことを言うクロアの額に軽くデコピンする。「………あぅ」という声が少し可愛いと思ってしまった。
つかそれよりも、とにもかくにも今後の打開策を早急に導きださねば。人として終わる。若干十五歳にして人生泥沼だ。
「だークソ……いつそんなこと言った……?」
記憶を掘り返し、確かにそんなことを言ったことを思い出し、フィーロは跪いて絶望した。
俺の馬鹿野郎。
フィーロはユーリが慌てて止めに入るまで地面に頭を打ち付けていた。あわよくば記憶が吹っ飛んでくれることを祈ったが、無理だった。額が腫れただけだ。




