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「──第二王子の誕生は王室にとって喜ばしいことであると同時に、避けては通ることのできない苦しみの始まりでもあるのじゃ」
自らの誕生を悲劇だと語るギルに、掛ける言葉が見つからなかった。
王国の象徴である王室に子供が誕生すれば、民は歓喜に沸き、ひと月はお祭り騒ぎだ。第二王子であるセシルが誕生したとき、両親がお祝い品やパーティーの出席で忙しくしていたのを覚えている。
民にとって王子の誕生は『喜び』でしかなかった。
しかし、それは王室の真実を知らなかった──あるいは、覚えていなかったからだと痛感する。
「第二王子が誕生して間もなく、国王は教会を通じて光の神エルネスから啓示を受けることになる。その時になってようやく我が子の辿る運命を知らされるのじゃ」
光の神エルネスから与えられた国の統率に必要な「無効化」という祝福を後世に残すため、王太子となる者が婚姻して新たな王位継承者を授かると、第二王子は王城から離れなければいけないと言う。
いくら相手が国を創造した神であっても、生まれて間もない子供の背負った運命を聞かされて、喜ぶ親がどこにいるだろう。
「それは、王妃様には……」
緊張からか、ヘルミーナの声が僅かに裏返る。
国の母という重責の中で、産んだばかりの小さな命を両手に抱え、我が子の誕生を心から喜ぶ王妃を思うと息が詰まった。
「腹を痛めて産んだ王妃に伝えるには、あまりに酷じゃな。だが、いずれ忘れてしまうからこそ、伝えねばならんのだ。子供を産んだことすら、記憶から消されてしまうのだから。家族として過ごせる時間が限られていることを、王妃もまた知らなければならん」
「──……」
これまでの歴史で、王室に目立った醜聞が流れたことはない。
国王夫妻がどんな政略結婚であっても、いつも仲睦まじい夫婦だった。そのおかげで、王室は民たちが模範とする理想の家族であった。
ギルの話を聞きながら、ヘルミーナはカラカラに乾いた喉に無理やり唾を流し込んだ。
……王国一、神に祝福された家族だと思っていた。
愛情深く家族を思いやる裏側には、その幸せが限られているものだと知っていたからだ。
人は、当たり前にあるものほど鈍感になってしまう。家族がいるのは至極当然だと思えば、相手への感謝や気遣いが疎かになってしまう。──失ってからでは遅いというのに。
だが、彼らはすでに家族の一人を、手放さなければならなかったのだ。
「子を奪われる母親の苦痛は計り知れん。……心を病んでしまう王妃も少なくなかっただろう。王妃の宮殿にある庭園は、そんな王妃のために造られたものだと言われておる」
ヘルミーナは、王妃に招待されて足を運んだ薔薇の花園を思い出した。
現実を忘れそうになる幻想的な庭園は、事実その言葉の通り現実を忘れるために造られたのだと考えたらゾッとした。美しい薔薇に囲まれながら、王妃は身が引き裂かれそうな悲しみに耐えてこなければならなかったのだ。
「だが、それも第二王子が王室を離脱すれば、病んでいたこともすべて忘れてしまうんだがな」
王室から離脱していった王子たち。
彼らが祝福を失った瞬間、国王夫妻は息子がいたことも、一緒に過ごしてきた時間も、成長を見守ってきた光景も、すべて無かったことにされてしまう。
しかし、これほど恐ろしいことが起きていても問題にならなかったのは、そんな事実があったことすら忘れてしまうからだ。
今なら、王妃がヘルミーナを招待し、自分の手を取るように言ってきた理由が分かる気がする。たとえ記憶に残らなくても、我が子の幸せを願うなら、なりふり構っていられないはずだ。
そして、ルドルフもまた光属性の魔法石を付与した剣に、あれほど感謝を示した理由が痛いほど良く分かった。
彼が一回り以上離れたセシルを大切にしているのは、ただ血の繋がった弟だからというだけではない。セシルのために自身を痛めつけてでも、第二王子の宿命を変えようと必死だった。
ルドルフが婚約者であるアネッサと長く婚約したまま婚姻せずにいるのも、幼いセシルを想ってのことだろう。
「このことは王室で働く者や、医者、護衛騎士や上位貴族にも伝えられる。第二王子を、よからぬ争いに巻き込まないためじゃな」
悪事を企てたところで、第二王子が王室を離脱すれば、すべては記憶の彼方に葬られる。
それによって王室の平穏は保たれ、犠牲は最小限に抑えられるというわけだ。
建国から繰り返されてきた歴史とはいえ、それでは呪いに等しいではないか。
ヘルミーナは、仲良く過ごす兄弟の姿を思い出して唇を噛んだ。
セシルに、閉ざされていた騎士の道を歩ませることができても、肝心のルドルフがその存在を忘れてしまっては、一体誰が喜んでくれるというのか。一番にセシルを褒めて頭を撫でてやれるのは、兄であるルドルフだけなのに。
魔物と戦えない者でも扱える武器を作ったことに満足していたが、自分の考えが浅はかだった。
光属性を授かっても、すべてを覆せるわけではなかったのだ。




