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中庭が見渡せるテラスのテーブルに着くと、メイドがお茶を運んできた。
香り立つ紅茶に一息つくと、フィンとメイドはテラスから出て行った。呼べばすぐに駆け付けてくれる距離に控えてくれているはずだ。
「……沈黙の宮殿、か。これほど美しい庭があったとはな」
「こちらの宮殿には来られなかったのですか?」
ギルの正体は、まだはっきりしていない。
偽名と思われる名前に、レイブロン公爵家専属の魔道具師ということだけ。それでも、彼が王室の一員だったことは確かだ。
ヘルミーナが訊ねると、ギルは顎を撫でて悩む素振りを見せた後、真面目な顔で答えた。
「……ふむ。ここは王女の誕生を望んだ歴代の王たちが、夜な夜なさ迷い続けている幽霊宮殿だと言われてな」
「まさか、一体誰がそのような噂を……!」
カップに手を伸ばしかけたヘルミーナが固まる。
主を待ち続ける「沈黙の宮殿」であることは聞かされたが、幽霊宮殿という噂は耳にしたことがない。けれど、王室に関しては彼のほうが詳しい。もしかしたら、公にされていない事実があるのかもしれない、と恐る恐る周囲を見渡してしまった。
その反応に満足したのか、ギルは口の端を持ち上げた。
「我が兄だ」
「お、お兄様が……」
悪戯が成功して喜ぶ少年のような表情に、紛れもなく王族の血が流れていると確信する。何より、笑った顔が国王やルドルフによく似ていた。
「儂が子供の頃の話だ。兄は人をからかうのが好きでな。儂は怖がりじゃったから」
「あの、お兄様というのは国王陛下の……」
答えは返ってこなかったが、否定もされなかった。
ギルの年齢から推測するに、話に出てきた「兄」というのは現国王の父で、先代の国王だ。そして、ギルは国王の叔父で間違いない。
けれど、いくら思い出そうとしても先代の国王に兄弟がいた記憶はなかった。
「思い出そうとしても無駄じゃ。それが我々に定められた宿命だ」
「────」
先ほどまで楽しそうに話していたギルの表情に影が差す。ヘルミーナは何と返していいか分からず、口を噤んだ。
この世に生まれ落ちた瞬間から、定められた役目を持つ王族。
光の神エルネスの祝福を与えられし者たち。
それは、皆が思っているような喜びに満ちたものでないことは、目の前にいるギルの存在が、すべてを物語っていた……。
「王太子殿下の弟君は、何歳じゃったかな」
「……十歳です。ルドルフ殿下より一回り以上離れております」
短い沈黙の後、先に口を開いたのはギルだった。
紅茶の入ったカップを手に取って口をつける姿には品がある。いくら本人が隠したがっても、幼い頃より体にしみ込んだ所作は誤魔化しきれない。
喉を潤したギルは、しかし、悔いるように溜め息をついた。
「そうか……それは、残酷じゃな」
未来を予見したギルの言葉が、胃に深く沈んでいく。
ヘルミーナは、ルドルフと並ぶ第二王子セシルの姿を思い出してスカートを握り締めた。
地方出身の伯爵令嬢に過ぎない自分が、王室の問題に首を突っ込むのはお門違いだ。けれど、王太子であるルドルフがヘルミーナの前で跪き、感謝と誓いの言葉を述べたことを思うと、見過ごすことはできなかった。
「王宮に来てから、王室に関するお話を聞きました」
ヘルミーナは無礼を承知で、忘れられる王族について見聞きしたことを伝え、王室を取り巻く環境や問題について訊ねた。
人づてに聞いた話だけでは限界がある。人の記憶から抜け落ちてしまっているなら尚更、当事者の口から語られることが最も具体的に知り得る情報なのだ。
すると、ギルは顔色ひとつ変えることなく、ヘルミーナの話に耳を傾けてくれた。
「忘れ去られる王族、か。確かに、その通りじゃな。王室の歴史や記録は残っていても、儂の存在まで覚えている者は誰もおらん」
これまでに第二王子の境遇や、王室から離脱していった王族の話は、どれも断片的だった。
誰も、光の神から与えられた祝福を失うことがどれほど恐ろしいことなのか、正確に知る者はいなかったのである。
「その、忘れ去られるとは……」
ヘルミーナがギルを知らなかったのは、単純に勉強不足だったかもしれない。最初から、本当に知らなかっただけかもしれない。
だが、ギルと親交のあった者は、本当に彼の存在を忘れてしまったのだろうか。
今、こうして一緒にお茶を飲み交わしている存在を、暫くしたら記憶から消し去られてしまうとは考えられなかった。
だが、ギルは皺だらけの手をテーブルに置くと、自分の手の甲を撫でながら話した。
「王族はその血を絶やすことなかれ──それが光の神エルネスと交わした盟約だと言われておる。王室は光の神から受けた祝福を、今日まで絶やすことなく受け継いできた。王国が長く存続してこられたのも、そのおかげであろう」
不毛の地に光の神エルネスが降り立ち、多くの祝福を与えたことで国が造られ、現在の大国にまでなった。
その間、内乱や反逆で国が荒れたことはなく、国民の目は常に天敵となる魔の物へ向けられてきた。
「王室で新たな王位継承者が誕生すれば、お荷物となった王族は早々に立ち去らなければならん」
「なぜ、お荷物などと……っ」
高貴な身分である王族が、自分と同じお荷物にされているのを聞いて、ヘルミーナは思わず声を荒らげていた。
「王室から離脱すれば、光の神の祝福も途絶える。城を離れれば自然と両親はもちろん、仲の良かった兄でさえ弟がいたことを忘れてしまう。そして民たちも……」
当時を思い出しているのか、黄金色の瞳が揺れていた。
国が栄えた裏側には、魔物の驚異から民を守って命を散らした騎士の他にも、犠牲になってきた者たちがいることを知った。
「儂が今、お前さんに昔の名と身分を明かしたところで、数日もすれば忘れてしまうだろう」
「……」
「それならば一人の職人として覚えてもらったほうが遥かに良い」
そう言いながら、ギルは中庭に視線をやり、希望の花言葉を持つ花々に目を細めながら話を続けた。
いつも読んでくださりありがとうございます。
お荷物令嬢の書籍2巻発売まで残り一ヶ月となりました。
3章と4章をぎっちぎちに詰め込み、外伝はマティアスの幼少期のお話になります。
ご興味がある方は是非に。woonak先生による素敵な(イケメン揃い)イラストも必見です。




