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「──お前さんが光属性を与えられた娘か」
魔道具師と面会する準備が整うと、メイドが呼びに来てくれた。ただ、メイドは先程とは違って、顔が真っ青になっていた。
ヘルミーナが客間に赴くと、車椅子に乗った老人と、彼に寄り添うようにフィンが立っていた。
彼の姿を見た瞬間、あまりの情報の多さに困惑した。
一体なにから、どのように訊ねるべきか。
そもそも軽々しく口を開いても良いのだろうか。
けれど、扉の前で立ち尽くしてしまうヘルミーナに、老人もまた衝撃を受けた様子だった。あらかじめ、光属性を宿した娘であることは伝えられていただろう。
だが、実際現れたヘルミーナの容姿に、感嘆の息を漏らさずにはいられなかったようだ。しかし、驚いたのはヘルミーナも同じだ。
これまで見たことのないレバー付きの車椅子に座った老人は、白金の髪と黄金の瞳を持っていた。皺の刻まれた顔は、どことなく現国王と重なる。
明らかに王族の血縁者と分かる老人に、ヘルミーナは深々と腰を落としてスカートを広げた。
「は、初めまして。私はウォルバート一族の……」
「ああ、そういう堅苦しい挨拶は不要じゃ。儂はレイブロン公爵家に雇われている魔道具師に過ぎんのでな」
「ですか……」
中途半端に体を折り曲げたまま、ヘルミーナは助けを求めるようにフィンへ視線を走らせた。だが、彼も判断がつかず首を振った。
すると、老人はごつごつした手を持ち上げ、嗄れ声で言った。
「とうの昔に王室から離脱している身だ。楽にすると良い」
そう言って、老人はレバーを操作して車椅子を動かした。ギコギコと小舟を漕ぐ音はするものの、画期的な車椅子に好奇心が刺激される。
しかし、どれほど素晴らしい車椅子であっても、手放しで褒めることはできなかった。
その車椅子の足置き場には、足が置かれていなかったのだ。体の一部のように車椅子を操る老人の両脚は、膝下から欠損していた。
ひざ掛けをしていても、あるはずの足が無ければ嫌でも気づく。
事故か、病気か、それとも魔物か……。
ヘルミーナは心がざわつくのを感じながら、記憶の片隅にも残っていない、忘れ去られた王族の一人と出会った。
『いくら騎士になりたいと願ったところで魔物を倒す魔力を持たない王族は、自分の身を守ることも出来ない。──魔力を持たない者がこの王国で暮らしていくのは厳しい。彼らの大半は誰からも相手にされず、その存在は「忘れ去られた王族」に名を連ねることになる』
以前、医者のロベルトから王族が抱えている問題を教えられたことがある。
王室で生まれた王族だけが与えられる「無効化」の祝福──王国の民を統率するために必要な能力は、決して無敵などではなかった。
一歩、外へ出れば矮小の魔物すら彼らには脅威なのだ。
これまでにも自らの境遇に喘ぎ、苦しみ、絶望しながら現実を受け入れてきた王族は存在しただろう。長い歴史の中で、すべてを覆そうと手を尽くした者もいたはずだ。
大切な家族を失わないために。
記憶から消されてしまわないために。
だが、今日まで王となった者たちに、血を分けた兄弟がいたことを覚えている民は誰もいなかった……。
「さて、お前さんが依頼してくれた魔道具だがな」
ギルと名乗った老人は、広いテーブルの前に向かった。そこには布で覆われた大きな品が置かれていた。
ヘルミーナも「ミーナ」とだけ名乗り、老人の傍に歩み寄った。
「布を取ってくれ」
「畏まりました」
普段は助手がやっている作業を、今日に限ってはフィンが彼の手足となって動いてくれていた。
白い布が取られると、両手を広げた大きさの魔導具が現れた。横に寝かされた歯車の上に筒状のガラス細工が置かれ、それらは木枠によってしっかり守られていた。
「歯車は風属性を付与した魔法石の動力によって動く。水は、水属性の魔法石がついたレバーを回せば出るようになっておる。あとは天辺についた魔法石に神聖魔法を注ぎ込んで、外側に取り付けた木枠に瓶を設置すれば、勝手に魔法水を入れてくれる仕組みだ」
「まさか、すでに完成されているとは思いませんでした!」
「改良は必要じゃがな」
「歯車も木で作られたのですか?」
「元々、儂は彫刻のほうが得意でな。……木は良い。どんなに姿かたちを変えようが温もりを感じることができる」
細部まで手の込んだ緻密な木製の歯車に職人技を感じる。小さな歯車ひとつ取っても美しかった。
思わず魅入ってしまうと、ギルが「使ってこその魔導具だ」と言ってきた。
光魔法を使うのは躊躇われたが、自分のためにこれほどの魔導具を用意されて拒むことはできない。むしろ、この魔導具がどのようにして動くのか胸が高鳴った。
ヘルミーナは頷き、魔導具についた魔法石に魔力を流した。
緑色の魔法石が光ると魔導具に風が流れて歯車がゆっくり回り始める。同時に、瓶を置く板も動き出した。一方、青い色の魔法石からは水が流れ、ガラス細工の円筒を満たしていった。
そして、最後は天辺にある魔法石だ。
深い青色を見れば純度の高い魔法石であることが分かる。そこへ両手を翳すと、白い光が溢れ出した。今までとは比べものにならない量の魔力が体を巡る。光りを帯びた蔦が伸びてくる速さも桁違いだ。
あっという間に付与が終わると、白く輝き出した魔法石から光りの粒子が水に落ちていく。
これで魔法水の完成だ。
あとは瓶を設置して魔法水が出るように蓋を開けば、徹夜する必要はなくなる。技術の勝利だ。
ヘルミーナは目を輝かせて「本当にすごいです!」と喜んだ。あの作業の辛さを思い出せばこそ、感動して涙が出てきそうになる。
しかし、ギルはやや呆れた様子で自身の顔を撫でた。
「いやはや、生きている間に光魔法を拝める日が来ようとは」
本当に凄いのはどちらか。
ギルの言わんとしていることに気づき、子供のようにはしゃいでしまったヘルミーナは恥ずかしくなった。
その時ふとギルの足元を見つめたヘルミーナは、意を決したように口を開いた。
「あの、失礼でなければ……魔導具のお礼に、ギル様の怪我を治癒させてはいただけませんか?」
「……神聖魔法による治癒か。命さえあればどんな怪我や病気も治してしまうと聞く」
「はい、仰る通りです」
今回はしっかり対価を得ている。決して悪くはない取引だ。
だが、膝の上に手を載せたギルは、失われた脚を見下ろしながら答えた。
「すまんが、その申し出は受けられん」
「何か、問題でも……?」
「そうさな。少しだけ、儂の話に付き合ってくれるか?」
再び顔を上げてきたギルに、ヘルミーナはハッとした。
すぐに「分かりました」と答えると、フィンに目配せして彼と共にテラスへ向かった。
久しぶりに外へ出ると、気持ちの良い風が体の脇を吹き抜けていく。
ギルもまた「心地が良いな」と口元を綻ばせたが、黄金色の瞳の奥は深くて暗い悲しみに染まっていた──。




