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『そういえば、これ。積み荷に戻すの忘れてたからミーナちゃんに渡しておくね』
『やはり青い瓶だと警戒されますね。中身の見える瓶に変えたほうが良かったでしょうか?』
『でも、それはそれでランプの魔道具だと勘違いされるんじゃないかな〜』
『……ランスに相談したのが間違いでした。それはランスが持っていて下さい。多めに準備してきたので、一本ぐらい減っても平気です』
『結構真剣に答えたつもりだったんだけどなぁ。……じゃあ遠慮なく、お守りってことで』
血を滴らせた黒い刃を前に、ランスは走馬灯のように流れてきた記憶にハッとした。ケーズ村に到着してからすぐのやり取りだった気がする。
こんな状況だからこそ、思い出さずにはいられなかったのかもしれない。
その時、リックの腹部に突き刺さった刃が黒い煙を巻いて消えていった。
「がは……っ」
「……の、バカ野郎! リック、おいっ」
深手を負ったリックは血を吐いて上体を崩した。折り重なるようにして倒れ込んでくるリックを受け止めようとしたが、彼は片手をついて自身を支えた。洞窟の崩落により、酷い怪我を負ったのはランスも一緒だ。
普段ならこんなことで怪我を負うことはなかったのに、戦っている時から魔力が奪われていたことに早く気づくべきだった。
悔しさを滲ませたランスはズボンのポケットに手を伸ばし、ヘルミーナに返しそびれた青い瓶を取り出した。
「リック、すぐにこれ飲め! ミーナちゃんが作った魔法水だ!」
「は……っ、くっ……これ、が、言っていた、お守りか……」
ヘルミーナから持っていろと言われなければ青い瓶は手元になかった。ランスはそれを迷わずリックに差し出した。
今すぐに治癒が必要なのはリックの方だ。彼が意識を保っていられるのも僅かだろう。血を流し過ぎている。だが、これを飲めば腹部の怪我も一瞬にして完治するはずだ。
しかし、リックはランスの手ごと青い瓶を握り締めると、首を振った。
なんで……と言い掛けた瞬間、塞がっていた壁の一部が激しい音を立てて崩れた。
『光ノ神ト同ジ臭イダ』
外からの光が差し込んだのも束の間、黒い瘴気を纏った鎧の魔物が現れた。
ランスはリックの肩越しからその姿を確かめた。
無傷の魔物は倒れ込んでいるリックとランスを見つけると、右手を上げて無数の黒い刃を出現させた。先程とは比べものにならない強い殺気に、全身の毛が逆立つ。
すると、リックはランスの耳元に顔を寄せて口を開いた。
「いいか、ランス……一度きりだ。──残りの魔力を込めろ」
「なに、を……いや、ダメだ……っ、それはお前が!」
お前が飲まなくてはいけないのに。
リックは青い瓶を掴むと鎧の魔物に向かって投げると、声を張り上げた。
「思いっきりぶっ放せ……っ!」
「────くそっ! 後で覚えてろよ、リック……っ!」
闇魔法を打ち砕くのはいつの時も光魔法だ。
数百年とその力を拝むことは出来なかったが、今の時代に覚醒した者がいる。彼女の護衛としてついてきたはずなのに、今こうして守られる側になるとは思いもしなかった。
胸の痛みを堪えて上体を起こしたランスは、右手を突き出してありったけの火魔法を鎧の魔物に向けて放った。渦を巻いた炎が青い瓶をも呑み込んで洞窟内を赤く照らす。
鎧の魔物は闇魔法で防ぐが、炎に隠された青い瓶が砕けた瞬間、目が眩むほどの閃光が走った。暗闇を覆い尽くすほどの白い光だ。
神聖魔法によって作られた魔法水を浴びた鎧の魔物は、炎の中から断末魔の叫びを上げた。そして、鎧の魔物を喰らった炎はそのまま洞窟の壁を吹き飛ばした。
「は、っ、はぁ……やった、か」
最後の魔力を使い切ったランスは荒い息を吐きながら、太陽の光が差し込む景色に目を細めた。
しかし、体に寄りかかってくるリックの重みを感じてすぐに意識を切り替えた。
「……リック? おい、リック!?」
ランスはリックの頬を数回叩いたが、反応はなかった。体温も失われつつある。一先ずマントで止血を行ったが予想以上に危険な状態に、ランスは歯を食いしばってリックを背負った。
きっとヘルミーナのいる小屋まで戻れば大丈夫だ。ランスは焦げた洞窟から抜け出し、痛みを堪えながら来た道を戻ろうとした。
だが、森に足を踏み入れようとした時、ランスの足を止めたのはリックだった。
「ランス、待ってくれ。頼む……」
「……リック?」
声がして立ち止まったランスは、背中から下りようとするリックを腕で支えた。
外に出てくると、リックの腹部から流れ出た血がより見て取れる。
急がなければ本気で命を落としかねない。神聖魔法は怪我人や病人は治せても、死者までは蘇生できないのだ。
それでも、リックは地面に両膝をつき、懇願するようにランスの腕にしがみついた。
「……俺を、このままにしてくれ」
「何、言って……。今からミーナちゃんのところに行けば、まだ間に合うだろっ!」
「お前だって小屋の中の人を見ただろ? ヘルミーナ様は、彼らを放っておけないはずだ。……全員に治癒を施せば、彼女の魔力は尽きてしまう」
ヘルミーナの護衛を最初に任された二人だからこそ、彼女の性格や行動は誰よりも知っているつもりだ。行動に関しては把握しきれないこともあったが、自分を犠牲にしても他人を助けてしまう性格だけは良く分かっていた。
小屋に横たわった罪のない村人に、ヘルミーナが何もせずに終わるわけがない。それはランスも同意した。彼女の魔力が、底を尽きてしまうのも……。
だからと言って納得出来るものではない。リックはランスと同じ火属性の一族で、同時期に騎士となり、第一騎士団に配属されたのもほぼ一緒だ。今は家族よりランスを理解し、互いの背中を合わせて魔物を討伐出来る間柄だ。
その仲間を、親友の死を受け入れろなど簡単には出来なかった。
「彼女を、困らせたくない。それに……私は騎士だから。自分の最期ぐらい、分かる」
なのに、リックは満足そうに笑った。
ランスは力なく倒れ込むリックを抱きとめ、地面に膝をついた。
仲間の死を見送ったのはこれが初めてではない。けれど、これまでは騎士として受け入れることが出来たのに、両腕に抱えた友の死だけは耐え難かった。
ランスは震える唇を何度も噛んでは嗚咽を漏らした。そして、視界が滲んでいくのを堪えるように青空を見上げた。
「リック……っ、悪い………………………………………………許してくれ……っ」
★ ★
「あと、一人……」
持っていた魔法水と魔法石はとうに使い切ってしまった。ヘルミーナは自身の魔力だけを頼りに、神聖魔法を使った。魔力がごっそり抜けていくのが分かる。
それでも最後まで集中を切らすことなく治癒に当たることが出来た。騎士団の病室で経験を積んだおかげだ。
最後は若い男性だった。こんなところで死を迎えるには早すぎる年齢だ。治癒によって元の姿を取り戻した男性に、ヘルミーナは安堵の息をついた。すると、視界が揺らいで体が傾いた。
「ミーナ嬢っ!」
男性の皮膚に瘴気が残っていないか確認したカイザーは、倒れそうになるヘルミーナに気づいて腕を掴んでくれた。
魔力の使い過ぎだ。
しかし、全員を治癒し終えたヘルミーナは、両手を握りしめて達成感に満たされた。
神聖魔法で、名も知らない村人を危機から救うことが出来た。役に立てたのだ。
魔力は尽きても、今は誇らしい気持ちになった。
ヘルミーナは心配してくるカイザーに笑いかけた──が、喜びに浸る間もなく、森の奥から激しい爆発音が聞こえてきた。
木々で羽根を休めていた鳥が一斉に飛び立ち、静寂していた辺りに激震が走った。
「一体何が……っ」
「メアリ! ミーナ嬢を頼む!」
すぐに何かを察知したカイザーがメアリを呼んでヘルミーナを任せると、森に向かって歩き出した。
嫌な予感がした。剣を抜いて炎を纏わせるカイザーに、嫌でも魔物の脅威が迫っているのだと自覚させられる。
その時、森から黒い瘴気を纏わせた魔物が現れた。鎧を身に着けた魔物だった。だが、その魔物は全身傷だらけで立っているのもやっとだった。
『見ツケタゾ……光ノ代行者ァ!』
魔物のしゃがれた声に背筋が凍りつく。
その魔物はヘルミーナに向かって人差し指を持ち上げてきた。騎士団の演練場で見た魔物とは全然違う。人語を話す魔物に、今までにない恐怖に身震いした。
と、鎧の魔物が次の動作を取ろうとした瞬間、ぼとりと地面に黒い塊が落ちた。それが魔物の腕だと分かった時には、カイザーの振り下ろした剣が魔物の胴体を真っ二つに切り離していた。
「彼女には近づかせない、散れ」
誰一人として目で追える者はいなかった。
鎧の魔物ですら、無くなった腕に気づいていなかった。刹那、鎧の魔物が一瞬にして炎に飲み込まれていった。
『西ヘ……行カナ、ケレバ……』
鎧の魔物が死の間際に不気味な言葉を放ったが、それも炎に包まれて掻き消された。カイザーは魔物の消滅を確認したが、その表情から険しさが消えることはなかった。
「ヘルミーナ様、大丈夫ですか?」
「ええ、……今の魔物は……」
メアリに支えられ、なんとか意識を保っていたヘルミーナは震える声で訊ねた。けれど、メアリもまた人語を話す魔物に出くわしたのは初めてのようだ。
あの魔物の声が耳に焼き付いて離れない。
その時、再び森から草を踏む音がして三人は過剰に反応した。だが、視線をやった先に覚えのある赤い団服を見つけて強張っていた肩から力を抜く。けれど、いつもと違う彼の様子に誰もが気づいた。
「…………ランス?」
満身創痍の状態で戻ってきたランスと、彼に背負われたリックを見てカイザーとメアリが慌てて駆け寄っていく。
しかし、ヘルミーナだけはその場から動けなかった。
早く行かなければいけないのに、なぜか体が動かず、声も出てこない。
「……あ、……っ………」
カイザーの声とメアリの悲鳴が聞こえてくる中、ヘルミーナは絶望感と無力感で立ち上がることすら出来なかったのだ。




