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お荷物令嬢は覚醒して王国の民を守りたい!【WEB版】  作者: 暮田呉子
4.黒い瘴気と奇跡の娘

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 草むらを飛び跳ねるようにして逃げていく男を、ランスは追いかけていた。


「ウサギみたいにすばしっこい奴だな!」


 真っ先に小屋を確認したランスは、男たちの非道な行いを瞬時に見抜いた。

 男たちは保身のために、他領から連れ去ってきた者たちを生贄として差し出していたのだ。身寄りのない者ばかりを狙ったのもそのためだ。

 しかし、連れ去る人間を選ぶにも限界があり、最後は手当たり次第になっていく。

『魔喰い』になった者は二度と元には戻らない。魔物となる前に、死ぬことだけが唯一の救いとなる──。

 ランスは爆発しそうな怒りに、拳を強く握りしめた。

 男がどこへ逃げようとしているか分からないが、甘く見られたものだ。王国の騎士から逃げ切れるわけがないのに。

 すると、男は深い森を抜けると、迷うことなく切り立った崖下の洞窟へ入って行った。


「ランス!」


 洞窟に入って行く男を見つけ、ランスが一旦立ち止まった。すると、後ろから追いかけてきたリックがランスに追いついた。


「一人行動は慎め! カイザー副団長の命令を無視しただろ」

「悪かったよ。説教なら後でたくさん聞くからさ」


 ただ、男を捕まえるまで戻るつもりはない、と目で訴えると、リックは呆れるように嘆息した。

 リックもまたこの事件には強い怒りを感じている。

『魔喰い』になった者を見つけた場合、騎士はその場で相手を殺さなければいけない。人間としての心が残っていたとしても、だ。騎士になった際に取り交わした契約書にそう書かれていた。

 それがどれほど重い任務なのか、騎士になった重圧を感じてサインする手が震えた程だ。

 リックは悩む素振りも見せず、ランスに向かって「分かった。一緒に行こう」と頷いた。それから二人は近くの茂みから良さそうな木を見つけ、先端に火を灯して松明にした。


「洞窟の中では魔法を控えるんだ」

「火魔法と洞窟って相性最悪だよね」


 洞窟内に有害な毒や物質が溜まっていれば火魔法を使った瞬間引火して、大爆発を引き起こす危険性がある。

 それ以外にも洞窟全体が湿っていれば、火魔法の威力は落ちて不利だ。物理攻撃だけでは魔物を倒せないだけに、いつもより慎重に洞窟内を進んだ。


「油断するなということだ」

「大丈夫だって。俺にはつよーいお守りがあるから」


 そう言ってズボンのポケットを二、三度叩いたランスは、口の端を持ち上げた。

 その時、洞窟の奥から悲鳴が聞こえてきた。二人は互いの顔を見合わせた後、松明の明かりだけを頼りに奥へと急いだ。


『──今日ハ餌ガ多イヨウダ』


 洞窟の開けた場所に足を踏み入れると、四方に灯された松明の炎が風もないのに揺れていた。

 声がした方を見れば、石の祭壇に黒い塊が転がっていた。息絶えたそれが、先ほど追いかけてきた男だと認識するのに時間がかかった。

 そして……。


「なんだよ、あれ」

「女性が言ってた化け物、だな。間違いなく上位種の魔物だ」


 黒い鎧に覆われた上位の魔物が石段に座り、不気味なほど落ち着いた様子でこちらを眺めていた。



 ★ ★


 魔法石から魔力が抜けると、灰色になって石化した。魔力が尽きれば魔法石もただの石ころだ。

『魔喰い』によって瘴気に覆われた村人の治癒を申し出たヘルミーナは、外套で鼻と口を覆い、最も症状の重い人へ近づいた。

 初めは治癒を施すことに難色を示したカイザーは、けれど、ヘルミーナの意志を尊重してくれた。

 治せるなら、治してほしい──と、思うのは誰でも同じだ。それも、これから命を奪わなければいけない人であれば尚のこと。

 カイザーは頷き、剣を振るって小屋の壁一面を壊してくれた。それまで暗闇だった室内に明かりが差し込み、同時に『魔喰い』に遭った人たちの状態をより鮮明に、正確に見ることが出来た。

 瘴気の毒は、蛇が絡みつくように皮膚を駆け上がっている。それが心臓を喰らえば自我を失い、人は魔物となる。

 ヘルミーナはせり上がってくる胃液を飲み込み、最初に攫われたと思われる老人の横に跪いた。

 それから、所持していた魔法石を取り出して神聖魔法をかけた。残りの人数を考えると、自身の魔力は極力温存しなければいけない。


「……っ、く……っ」


 老人の全身に絡みついていた黒い瘴気が、光の蔦によってみるみる覆われていく。

 それは何度見ても目を奪われる光景だった。

 小さく呻いた老人は、黒い瘴気が完全に消え失せるとゆっくりと目を開いた。

 ヘルミーナが「大丈夫ですか?」と声を掛けると、老人は眩しそうに目を細めながら「……ああ、聖女様」と呟き、そのまま眠ってしまった。

 念のため黒く変色していた皮膚を確認したが、命に別状はないようだ。


「まさか、本当に治せるとは……」


 見守っていたカイザーとメアリは、神聖魔法の効果に改めて驚かされた。怪我や病気は治せると思っていたが、まさか魔物になりかけていた人間までも治せてしまうとは。

 ヘルミーナが行ったのは治癒だけではない。黒い瘴気を「浄化」して見せたのだ。魔物にとって最大の天敵になるだろう。


「メアリは治った方の介抱を。カイザー様は私の手伝いをお願いします」

「任せてくれ」


 一人を治癒し終えたヘルミーナは、カイザーとメアリに指示を出すと、すぐに次の村人の元へ急いだ。

 遅くなればなるだけ、魔力を使わなければいけなくなる。

『魔喰い』による瘴気の毒を消滅させるのは、怪我を治すのとはまるで違った。

 戻ってこないランスとリックも心配だが、ランスにはいざという時のためにお守りを渡している。彼らならきっと大丈夫だ。

 ヘルミーナは折れそうになる気持ちを奮い立たせ、再び村人に治癒を施した。



 ★ ★


 魔物のランクには基準がある。

 闇魔法を使う魔法の魔力量、攻撃力、素早さ、そして知性だ。普段、考えなしに村を襲ってくる魔物は下級の魔物が多い。考えて行動することは出来ず、魔力を奪う能力も備わっていない。

 だが、上位の魔物となれば別だ。下級の魔物とは天と地ほどの力の差がある。

 左右から挟み込むようにして剣を振り抜いたランスとリックだが、鎧を纏った魔物は闇魔法で二人の攻撃を防いだ。その場から一歩も動くことなく。


「くそっ!」


 火魔法を制限される中、闇魔法を使いこなす上位種の魔物に、ランスとリックは苦戦を強いられていた。

 これまでの魔物とは違い、人語を理解し、話せる知能の高い魔物だ。学習能力もあるため、攻撃が単調になればすぐにかわされてしまう。

 上位種の魔物が生まれるには、二通りあると云われている。

 人間を数えきれないほど殺した魔物か、生まれながらにして魔物の長になる存在だ。後者であれば最初から備わっている魔力も、能力も桁違いだ。精鋭揃いの騎士たちが束になっても勝てるかどうか分からない。

 二人は剣に炎を纏わせて鎧の魔物に攻撃を仕掛けるが、闇魔法とぶつかるたびに魔法が相殺されてしまう。おかげで、じわじわと魔力が削られていった。

 第一騎士団に所属して、上位の魔物と出くわしたのはこれが初めてだ。


「ランス、ここは一旦引くしか……っ」

「りょーかいっ! うちの団長と闘ってるみたいだ!」


 魔物を目の前にして逃げ帰るのは癪だが、敵の情報を持ち帰ることも重要だ。それで仲間の命を救うことにも繋がる。あの魔物は間違いなく騎士団にとって脅威になり得る存在だ。

 リックが合図するように頷くと、ランスは鎧の魔物に向かって火を放った。同時に、リックは天井に向けて剣を振り下ろした。


「崩れる前に脱出するぞ!」


 洞窟の天井が音を立てて崩れ始める。リックとランスは松明を持って出口へ走り出した。

 一度、カイザーの元に戻って形勢を立て直す必要がある。幸いにも第二騎士団も近くにいる。勝機はあるはずだ。

 しかし、走る二人の行く手を阻むように鎧の魔物が現れた。


『嫌ナ気配ガスル』


 背後の崩れる洞窟の中にいたはずなのに、目の前に現れたのは確かに戦っていたあの魔物だ。


「な……っ!?」

「なんで、お前がここに……っ」


 天井まで届きそうな大きさに、二人は静かに見下ろしてくる鎧の魔物に寒気が走った。

 だが、そんな鎧の魔物にも微かに焦りの色が滲んで見える。先程とは違って何かを探っている様子だ。すると、鎧の魔物はランスを見ると、口を開いて言った。


『オ前ダ! オ前カラ──!』


 鎧の魔物が叫ぶと洞窟に地響きが鳴り、地面が揺れて足元がぐらついた。瞬間、無数の黒い刃が放たれた。


「ぐっ……!」

「ランスっ!」


 黒い刃はランスだけを襲った。ランスは剣を振り抜いて飛んでくる刃を払い落とす。リックも応戦するが、今度は天井の岩が崩れ落ちてきた。

 二人は互いの名を叫んだが、崩れてくる音に掻き消されて砂埃の中へと消えていった。










 ────ポタ、ポタ……。

 頬に水滴が当たってランスは気づいた。刹那、全身に鋭い痛みが走る。


「…………痛ッ、一体なにが……?」


 ランスは掌に魔力を集中させて火を灯した。洞窟のあちこちが崩れて、周囲には大きな岩石がごろごろ転がっていた。痛みからして肋骨数本は折れているだろう。

 だが、それより目の前を覆う影に気づいて、ランスは目を見開いた。


「──…………リック?」

「……くっ、……俺の周りは問題児ばかりで、世話が焼ける……」


 ランスに覆い被さるようにして両手をついたリックは、乾いた笑いを漏らした。

 けれど、数本の黒い刃がリックの腹部を貫き、ランスの目の前まで迫ってきた先端から鮮血が滴り落ちてきた。自分の濡れた頬に触れれば、ぬるりとした感触があった。

 崩れてくる岩をすり抜けるようにして襲ってきた黒い刃に、リックが身を挺して守ってくれたのだ。

 赤い団服が真っ赤な血に染まっていく光景に、ランスは顔を強張らせた。

 なんで、どうして……。

 痛みに呻くリックに、血で汚れた手を伸ばす。


「なに、して……おい、リック……? ──リック……っ!!!!」


 閉ざされた洞窟の中、ランスの叫び声が響き渡った。

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