書籍1巻発売記念SS「祈りと翳り」
十二、三ぐらいの子供が第二次覚醒をして魔力の増幅に成功した──。
魔物によって海に引きずり込まれた子供が、自ら魔物を倒して奇跡の生還を果たしたという話は、あっという間に領地内外に広まった。──アルムス子爵家の息子、エーリッヒ・アルムスの名と共に。
彼の屋敷には連日人が押し寄せ、第二次覚醒に至った経緯や、覚醒した瞬間の出来事を訊ねに来る者が後を絶たなかった。
とくに魔法を専門に扱っている研究者や、魔法学園の関係者、各ギルドの人々がやって来たという。
最初こそ丁寧に対応していたエーリッヒだが、時間を奪われていく内に嫌気が差し、次第に断るようになっていた。
この時はまだ、自身がどれほど周囲から注目を浴びているか気に止めていなかったように思う。
彼が最も優先にしていたのは婚約者だった。
それは覚醒して魔力が増えようが、注目されようが変わらなかった。否、命の危険に晒されたからこそ、婚約者の存在をより強く感じるようになっていたのかもしれない──。
テイト領地にあるテイト伯爵邸。
よく手入れされた庭園は季節ごとの花やハーブが植えられ、田舎の風景をそのまま切り取って持ってきたような造りだ。見ているだけで心が安らぎ、とても落ち着く。
天気が良い日は庭全体を見渡せるパーゴラで、ティータイムを楽しむ伯爵一家の姿が度々見受けられた。ここでは平野部を流れる川のように、時間もゆっくり過ぎていく。
それは将来を誓い合った二人にも平等に与えられていた。
ヘルミーナ・テイトはその日、朝から落ち着かなかった。約束の時間まで朝食と昼食を用意されたのに、もう何を食べたのか思い出せない。どれをやっても手につかず、ベッドに飛び込んでみても眠気は訪れなかった。
そして待つこと数時間、二週間ぶりに婚約者のエーリッヒが伯爵邸にやって来た。
知らせを受けて飛び出して行けば、ぐしゃぐしゃになった髪とワンピース姿を目撃され、メイド長に捕まった。結局、自分のほうが早くから待っていたのに、約束の時間に遅れることになった。腑に落ちない。
先に屋敷の中へ案内されたエーリッヒは、ヘルミーナが来るのを待っていた。
魔物に襲われ、第二次覚醒をしたエーリッヒは数日の安静が必要で、ヘルミーナも一度しかお見舞いに行けなかった。それから彼の元には様々な人が訪ねてきて、なかなか会えずにいたのだ。
一緒に過ごすようになってから、これほど顔を合わせなかったのは初めてで、妙な気分だった。
エーリッヒも同じ気持ちだったのか、気恥ずかしそうに頬を掻いて「久しぶり、ミーナ」と挨拶をしてきた。その姿が可笑しくて、ヘルミーナは思わず吹き出してしまった。
外見が急激に変わったわけでもないのに、何を遠慮する必要があるだろう。
ヘルミーナは笑いながらエーリッヒの胸に飛び込んでいった。
「その……ミーナは、僕が人気者になって嬉しい?」
格子に絡まった蔦のおかげで日陰になっているパーゴラの中。庭が眺められるように並んでベンチに座ったヘルミーナとエーリッヒは、久しぶりの会話を楽しんでいた。
「もちろんよ! だってエーリッヒは私の旦那様になる人だもの! もっと皆に自慢してこないと!」
顔色を窺うように訊ねてきたエーリッヒに、ヘルミーナは両手を広げて答えた。
そこへ、お茶を運んできたメイドが笑いを堪えるように肩を震わせる。ヘルミーナが生まれた時から雇われているメイドは、二人の前にお茶とお菓子を用意しながら口を開いた。
「お嬢様はエーリッヒ様のお話を、それはそれは何度もされましたよ。第二次覚醒をして魔物を倒されたと、繰り返し話してくださるものですから、私たちもすっかり覚えてしまいました」
「やめて、恥ずかしいわ!」
エーリッヒと会えなかった間、寂しさを紛らわせるように、彼の話を使用人たちにも話して回っていた。全員が全員、その話を知っていたとしても。
ただ、自分のことのように自慢気に話していたことが本人に知られてしまい、急に恥ずかしくなった。ヘルミーナは真っ赤に染まった顔を両手で隠した。
一方、お茶の準備を終えたメイドは、言いたいことだけ言ってさっさと退散してしまった。
残された二人の間には、なんとも言えない甘酸っぱい空気が流れた。
すると、エーリッヒは「……そうか」と照れたように笑ってから、突然真剣な表情になって話を続けた。
「魔物に連れて行かれた時、本当に死んでしまうかと思った。そうしたらミーナの顔が浮かんできて……。僕がいなくなったら、きっと泣かせてしまうと思ったんだ」
「エーリッヒ……」
「それに、君のことだから海底まで追いかけてくる気がしたんだ。でも、そんな無茶はさせられないだろ?」
それはまだ聞かされていない話だった。魔物に襲われた精神的ショックも大きく、ヘルミーナは父親からも無理に聞き出さないように言われていた。
だから、エーリッヒから話してくれたことに喜びつつも、目の前の人を失っていたかもしれないという現実にゾッとした。
皆にエーリッヒの話をしつこく聞かせたのも、無意識にその恐怖から逃れようとしていたのかもしれない。
返す言葉が見つからず顔色を悪くすると、エーリッヒは口元を緩めてヘルミーナの頭に手を置いた。
「それでなくても伯爵夫人からしっかり目を光らせて面倒見るように言われているのに」
「──っ! 途中まで感動してたのにっ!」
「アハハ、今の話を聞いて怯えていたじゃないか!」
青褪めるヘルミーナに悪戯な笑みを浮かべたエーリッヒは、わざとらしく声を上げて笑った。
そんな風に声を出して笑うことは珍しい。それがエーリッヒなりの気遣いだと知れば、自然と心が軽くなった。
「ただ、ミーナを思い出したのは本当だよ。これからはもっと力をつけて、ミーナを守ってやれる男にならないと」
「分かったわ。それじゃ私も、エーリッヒがまた海に落ちるようなヘマをしないように見張っておかないと」
「口が悪いよ、ミーナ。まったく、船乗りたちの影響だね」
エーリッヒの手がヘルミーナの頬を摘んでくる。押し出されるようにして唇を尖らせたヘルミーナは、けれど彼の手を掴んで握りしめた。
本当に、無事に戻ってきてくれて良かった。
今こうして一緒に笑い合えているだけで幸せなのだ。
これからも繋いだ手が離れることのないように、二人はお互い絡ませた指に力を込めた。
★ ★
平穏だった伯爵邸に翳りが見え始めたのはいつからだろう。
「エーリッヒからの手紙は届いた?」
「お嬢様……。いいえ、今日も届いておりませんでした」
エーリッヒが首都に行ってしまってから数ヶ月、明るかったヘルミーナは元気を無くしていた。
人一倍活発だった少女の変化により、屋敷全体も以前のような明るさはなくなっていた。
「そう。首都に行って忙しいのかもしれないわ」
「お茶のご用意をしましょうか?」
「いいえ。庭に行って魔法の訓練をするわ」
最初は数日置きに届いていたエーリッヒからの手紙は、次第に送られてこなくなった。
いずれはヘルミーナも社交界デビューのため、首都へ赴くことになる。けれど、初めて離れて暮らす婚約者が気がかりで仕方なかった。
エーリッヒが首都に行ってから、彼がまた魔物に襲われて海底に引きずり込まれるような悪夢を見るようになった。王国騎士団によって守られた首都で、そんなことは起こらないのに。不安ばかりが募っていく。
「……何もない、よね? 今度会った時に訊いてみよう」
その次さえ、いつになるのか分からない。
ヘルミーナは不安を抱えながらも庭に出た。
それでもエーリッヒの婚約者として恥ずかしくないように、魔法の訓練だけは欠かさず行っている。彼に何かあれば、魔力の少ない自分でも役に立てるように。
次こそは大切な人を守れるように。
ヘルミーナは気を取り直して魔法の訓練に集中した──。
「お荷物令嬢は覚醒して王国の民を守りたい!」1巻が本日より発売です!
アルファの短編から読んでくださっていた方、なろうの連載版から読み始めてくださった方。
色々な方々に支えられて無事に刊行することが出来ました。本当にありがとうございます!
woonak先生の素敵なイラストもご堪能下さい!
書籍に収録された番外編は削除させていただきました。
書籍1巻で引き続きお楽しみください。
ご購入された方は特典SSをお忘れなく。騎士団のお話になります。
WEB版は次回からまた本編のほうを進めていきたいと思います。
引き続きお荷物令嬢を宜しくお願いします。




